02 ドキドキ初仕事! やっぱり先輩はおかしな人?
「森田さん、制服のサイズはどうする?」
「Mでお願いします」
「ほい、これ」
「はい、ありがとうございます」
「ちなみに、ウチはLやで。ドLや」
「は、はあ……」
桃山真理。これが先輩の名前だ。先輩も高校に入学したときからこの寮の食堂でバイトをしているらしい。ベテランさんだ。
わたしは桃山先輩から食堂の仕事を教えてもらうことになり、まずは作業着に着替えている。先輩はサイドに流していたセミロングの髪を後ろでまとめ、見えなかった輪郭が露わになる。あら、意外と小顔。スラッとしてるからモデルさんみたいだ。
先輩は続いてブレザーを脱ぐ。ワイシャツの下にキャミソールを着けていた。なるほど、楽だからとスポブラだけのわたしとは違って、見えないところもしっかりしてるんだな。
しかも先輩は着痩せするのか、意外と大きい。ふと自分の胸元を見やる。……まあ同年代の女の子の標準くらいはあるだろう。及第点及第点。たぶん。
ただ着替えをしているだけなのに、不審者感漂う先輩に女子力で完敗した気がして凹んでくる。いやいや、二年も違うんだし、これくらいまだまだ挽回できるって!
「さっきからこっちジロジロ見てどうしたん? まさかウチの美しさに見とれてたんか? 嬉しいけど、照れるなあ」
「ち、違いますよ! それに自分で美しいって、自信家ですか!」
先輩は顎に手を当て、明後日の方向に顔を向ける。
「せやなあ。自分じゃ自分が綺麗かどうかなんて、よく分からんからなあ。どうやったら自信付くんかなあ」
「え? じゃあさっきのは何なんですか?」
「あれや。軽口でも叩けば森田さんの緊張もほぐれるかと思ってな」
「はあ……そうですか……。ありがとう、ございます?」
「疑問形かあ」
そうこうしている間に作業着に着替え終わる。作業着と言っても黒いスラックスと白いポロシャツの上からエプロンをして、頭に三角巾を着けるだけの簡単なものだ。背が高めでスタイルの良い先輩はこんな恰好でも様になっていて羨ましい。日本人の平均身長平均スタイルのわたしでは、三つ編みのおさげと丸い黒縁メガネも相まって、地味な女学生が調理実習に挑むみたいになってしまっている。いや、実際それが近いんだけどさ!
「それにしても、その髪型とメガネ、まるであれやね。日曜夕方にやってる国民的アニメのあの子みたいやね」
「え?」
ロッカーに備え付けの小鏡で顔を確認。確かに、言われてみれば、モロにあの子だ……。
社員の柚木さんも不真面目そうだし、桃山先輩もこんなだし、真面目ぶっても仕方ないだろう。わたしは顔を赤くして、伊達メガネを外して三つ編みを解き、いつもの二つ結びにする。
「ああ! 可愛かったのに、もったいない」
「それは残念でしたね。ほら、ちゃんと仕事教えてください」
「せやな、ビシバシいくで、タマちゃん」
桃山先輩はそう言って力こぶを握るような素振りをする。
「タマちゃんて……。もう、言わないでくださいよ! 先輩のことも変な風に呼んじゃいますよ!」
「……ええな、それ。ウチのこと、タマちゃんの好きなように呼んでもええで」
「え?」
これは予想外の返し。タマちゃん呼びを止めさせようと思ったら逆に逃げ道を塞がれてしまった。しかし、あまりに変な呼び方だと気を損ねちゃうし、ネーミングセンスには自信ないし。うーーん。
「じゃ、じゃあマリー先輩で。ちょっと安直かもしれませんけど」
「おっけー。じゃあ、ウチは今からマリー先輩や。ほな、行くでタマちゃん」
「あ、待ってくださいよー」
寮の食堂の仕事は、とても単純だった。まず、食堂全体の掃除と調味料や紙ナプキン、給茶機にお茶の補充。そして給食センターから運ばれてきたお弁当箱を受け取り、一般生徒の入口近くに積み重ねておく。とりあえずこれがオープンまでにすること。
食堂がオープンすると、感染症対策で生徒たちはバラバラに来て、それぞれ向かい合わず隣り合わずで一人で食事をする。そして食べ終わったお弁当箱は出口近くに積み重ねられる。わたしたち食堂スタッフは適宜それを回収していき、食堂がクローズしたらまとめて給食センターのトラックに返却する。生徒たちが給茶機で使ったコップや箸などを洗い、掃除をして、ゴミを捨ててこの日の業務は完了。
「タマちゃん、初日お疲れちゃんやで。どやった?」
わたしが着替え途中、スポブラ姿で軽く腕と肩のストレッチをしていたら、キャミソール姿のマリー先輩が話しかけてきた。
「はい。おかげさまで何とかなりました。しかし、結構な力仕事ですね。わたし、鍛えてないから結構堪えましたよ」
「はは、そうやな。ウチも始めたばかりの頃はそうやったわ。すぐに慣れたけどな。タマちゃんも早う慣れんとな」
「そう、ですね。そう願います」
慣れかあ。マリー先輩は一年の頃からやっているらしいし、そうかもなあ。でも、わたしよりもスラっとしてるくらいなのに、一体どこにそんな体力があるんだろう。
ハッ! ひょっとして、先輩がスレンダーなのはこの力仕事のおかげ!? わたしも続けてればスタイル良くなれる……?
先輩の身体を見やる。たしかに引き締まった腕やお腹は、この仕事で付いた筋肉のおかげかもしれない。だけど、そもそも骨格からしてわたしとはモノが違った。現実はいつだって残酷なのだ。ぴえん。
「コホン」
ハッ、わたしったら、またマリー先輩のことをじっくりと観察してしまっていた。サングラス越しで良く分からないけど、きっと漫画みたいなジト目をしているに違いない。
「タマちゃん、ひょっとしてそっち系か? ウチは来るものは拒まんけど、流石に出会って初日でそれはちょっと手が早すぎんくない? 然しものウチも、まだ心の準備ができとらんわ」
「そ、そっち系!? 違いますよ! 何言ってるんですか!!」
「…………はは、冗談や、冗談」
少し先輩の声のトーンが落ちてる気がするけど、多分気のせい。
二人とも着替え終わり、更衣室を後にする。今日は少し疲れたから明日ちゃんと起きられるかなあと心配していたら、別れ際に先輩が「せや、言い忘れとった」と立ち止まり。
「タマちゃんタマちゃん、朝のシフトは六時から七時な。ウチらは授業があるから朝は掃除と搬入だけやけど、寝坊して遅刻せんといてな」
「え? 朝もやるんですか?」
「当然やろ。夕方は十七時から二十時、朝は六時から七時の一日計四時間。月曜から金曜の週五日がウチらのシフトや。早う慣れんとな」
マリー先輩はそう言い残して「ほな、おやすみ~」と言って自室の方に戻っていった。 わたし、いつも七時に起きてたんだけど、六時からって、大丈夫かな……。
食堂バイトを始めて一週間。最初は体中が筋肉痛になったり朝遅刻しそうになったけど、何となく慣れてきた気がする。時々失敗しそうになったけど、マリー先輩がフォローしてくれた。先輩はこれを二年も続けているのかと思うと尊敬の念を禁じ得ない。
今日もいつも通り夕方のシフトを終え、マリー先輩と食堂の作業着から学校の制服に着替える。マリー先輩はワイシャツのボタンを留めながら「そう言えばタマちゃん、どうしてこの食堂でバイトすることになったんや?」と切り出してきた。
わたしは頭を打たれたような衝撃を感じ、思わず目を見開く。
「ど、どうしてって、ほら、お金欲しいじゃないですか。特にやりたい部活もなかったし」
「誤魔化さんでええで。ここのバイトは普通のルートじゃ辿り付くことはできんからな。ウチがそうだったから分かる。タマちゃん、アンタ何か特殊な事情があるんやろ?」
「その、何のことでしょうか。わたしはただ、担任の先生から紹介されてここに来ただけですけど……」
「なんや、図星か」
「どうしてそう言えるんですか?」
マリー先輩は着替えを終え、ポニーテールにしていた髪を解く。縛っていたため少し癖がついてしまっているが、再び顔の輪郭が隠れる。サングラスとマスクで顔がほとんど見えない、いつもの不審者スタイルだ。
「少し話が長くなりそうやな。柚木さんに怒られてまう。タマちゃん、この後、時間ある? ウチの部屋でちょっとお話ししようや」