01 せっかく入学したのに即ピンチ!? 頼みの綱は不審者さん?
「アンタはこの百五十万円を殖やして三年分の学費三百万の支払いと百五十万の返済をして、そして残ったお金を後輩に引き継ぐんや。それがウチとの、このお金を紡いできた先輩たちとの、約束やで」
これが心の血と涙と汗と、それと人々の欲望が渦巻く、わたしと先輩の物語の幕開けだった―――
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「ああ、どうしてこんなことになっちゃったんだろう……」
わたし、森田真実は絶望していた。高校に入学して二週間余り。最初の実力テストの答案用紙が返ってきて、そのあまりのデキを目の当たりにしたからだ。
「しっかりと勉強したつもりだったのに……。中学の時はちゃんと点数取れてたのに……」
自称進学校の我が校は中学で成績の良かった生徒が集まってきている。中にはなまじ勉強せずに良い成績を取れてきた生徒もいるはずで、そういう彼ら彼女らの心を折って勉強するように仕向けようというのだろうか。非常に難しい問題が取り揃えられていたように思う。
その証拠に平均点は三十点から四十点と大低迷。その中でわたしの成績は全教科大体六十点から七十点。はた目から見ると善戦していたのかもしれない。
だけど、わたしには全教科八十点以上とらなきゃいけない事情があったのだ。
「やばい、こんな成績じゃ……」
うなだれていたら肩をポンと叩かれた。頭を上げると担任の出口先生が目に入る。いつも笑顔の感じの良い、小太りな中年のおばちゃん先生で、職員室で煎餅かじりながら丸点けしてそうなイメージ。いや、実際はどうだか知らないけど。
「放課後、お話があるからちょっと残ってもらえるかな」
声色からすると、先生は悲壮感を出さないようにと必死に笑顔を作ろうとしているようだったけど、目が笑っていない上に流行り病対策でマスクで口元が見えなくて良く分からない。何とも言えない気の毒なものを見る目だ。入学してから初めて見るその表情に、まるで他人事のように新鮮さを感じてしまう。
そして放課後、教室には先生と私の二人きり。無言の空間に運動部の声が響き渡り、暗い雰囲気を和らげてくれる。
しばしの沈黙の後、先生が重い沈黙を破った。
「この成績じゃ、特待生を続けてもらうのは難しそうね。入学したばかりで申し訳ないんだけど……」
そう。特待生。これがわたしが成績を落とせない理由。
この高校は希望者は寮に入ることができ、特待生は学費免除、寮費も免除、寮の食堂か学食でなら毎日三食の食事代も免除と、金銭的な待遇が非常に良い。おまけにわたしが今着ている制服。これも学校からのプレゼントだ。
私服以外は衣食住の全てを賄ってもらえる厚待遇を受けられる特待生であり続けること。これが裕福でない家庭に生まれ落ちたわたしが高校に通うための一筋の光だった。
幸い中学校までは学校の成績は良かった。良い子ちゃんぶってた訳じゃないけど、中学の先生からは品行方正に見えていたのか内申も悪くなかった。この高校に特待生として入学するのは必然だった。なのに。
「あの、わたし、どうなるんですか?」
先生は顎に手を当てて少し考えて。
「そうね……。今まで残念ながら特待生から脱落しちゃった子は、大体は親御さんに学費と生活費を援助してもらったり、奨学金も貰ってやりくりしてたわね」
そりゃあそうだよね。それが普通の家庭だ。だけどわたしには、その選択肢はどちらも取ることはできない。
「そうですか。残念ながら、わたしには無理な話ですね。実家の収入、奨学金が受けられないほど多いですから」
奨学金には親の収入が何々円以下、といった受給基準が設けられていることが多い。実家は会社を経営してるとかで収入自体は多く、それに引っかかってしまうので、わたしは奨学金を受けることができない。もちろん公立高校の授業料無償化制度もだ。そんなに収入があるなら子どもの学費くらい自分で払え、ってことだ。
出口先生が「それなら学費くらい」と言いかけたところでわたしは続ける。
「残念ながら、わたしの学費や生活費の工面はできないんですよ。だって収入のほとんどが借金返済に回されてるんですから。今だってギリギリの生活をしてるんです」
収入全てを自由に使える家庭なんてない。ウチは昔、わたしが生まれる前に事業に失敗して大きな借金を負ったとか何とかで、収入のほとんどが借金返済に回されてしまうらしい。今は軌道に乗ってるみたいだけど、それでも何とか生活できるレベル。こんなことってある?
高校選びの時に、どうするのが金銭的負担が一番小さくなるのか、入念に調べた。だからこそ、親元を離れて縁もゆかりもない見知らぬ土地に来ることになってでも、金銭的待遇が抜群のこの高校の特待生を狙ったのだ。
「先生。もし、このまま学費や生活費が捻出できなければどうなるんですか?」
先生は顎に手を当てたまま、少し俯いてわたしから視線を外す。
「学費が払えなかったら退学どころか除籍だけど、でも、学費は卒業するときまで支払いを待って貰うことができるわ。だから、すぐにどうこうってことはない。これは安心して」
いやいや、たしかに直ちに影響はでないかもだけど、卒業する時に払えなかったら結局同じじゃん。わたしきっと、このまま高校除籍になって、空白期間持ちの中卒になって、まともな就職もできなくて、キツくて汚くてキケンで帰れなくて給料安くて休暇取れなくて、おまけに結婚できない7Kな人生を送ることになるんだ! どうすれば良いの! もう終わりだよこの国。いや、終わってるのはわたしか。ハハッ……。
「学費は一旦置いといて、問題はむしろ生活費の方。……あ! そうだわ」
先生は良いことを思いついた、と言わんばかりに手を合わせ、授業道具を入れたバスケットから一枚の紙を取り出す。
「アルバイトをしましょう!」
「アルバイトって、学校の先生が堂々とサポのあっせんですか? パパ活ですか? 捕まりますよ」
「ちがうわよ! どこをどうしたらそんな発想になるのよ!」
え、だって高校に通いながら人一人の生活費を賄うほどの収入を得ようと思ったらそれくらいしかないじゃない。
「ちゃんとしたおしごと! 寮の食堂のバイトよ! ちょうど求人出てたし。ここなら賄いで食費は浮くし、寮費も賄えるくらいお給料は出る! さすがに学費までは何ともならないけど……。だけど、これで急場はしのげるんじゃない?」
なるほど。わたしみたいな美人じゃない、かといって小動物的なかわいらしさもない、平均身長平均スタイル、顔面偏差値五十な子には真っ当な仕事をするしか道はないからね。仕方ないね。でも見ず知らずの人に媚を売り続けるよりも、カタギの方が性に合ってるからありがたい話だ。
「なるほど。確かに先生の言う通り、これで当面はしのいで、先のことはまた他で考えるというのも悪くないですね。やってみたいと思います」
「よし! じゃあ決まりね! 私からも学校側と食堂には話通しておくから!」
「あ、ありがとうございます、先生」
「うんっ」
次の日の夕方。授業を終えたわたしは自室に荷物を置き、寮の食堂に向かった。真面目に見えるように丸い黒縁の伊達メガネをして、いつもはヘアゴムで留めるだけの二つ結びの髪も、散らからないように三つ編みにしてきた。これできっと万全。もちろんマスクも新しいのに替えてばっちりだ。
初出勤。今まで用のなかった『Private』の札のかかったドアを前にして、緊張する。不安を胸に、一呼吸。わたしはドアを開く。ガチャリ。
「こ、こんにちは~。今日からお世話になる森田です~」
最初に目に飛び込んで来たのは、気怠そうに頬杖をついてファッション雑誌を読んでいるお姉さんの姿だった。黒いスーツに身を包んではいるが、それはラフに着崩され、明るく染めた髪をブラウンのバレッタで簡単に留めてる。流石に食堂らしくマスクはしているが、その姿からは真面目さが全く感じられない。あと、なんかケバい。学校に居る大人の人ではあまり見ないタイプだ。
ペラリ。聞こえてなかったのか、挨拶をしたわたしの方を一瞥もせず雑誌のページをめくる。イヤホンはしていないみたいだし、単に集中してただけかな。あ、欠伸した。
まあ、いいや。気を取り直してもう一度、今度はこの人の前に回り込んで、大き目の声で。
「こんにちは~~! 今日からお世話になります、森田です~~!!」
お姉さんはようやく気付いたのか、視線を雑誌からわたしに移す。
「あー、今日から来るっていう。聞いてるよー。私は柚木。この食堂と、あと寮の清掃をしてる業者の社員。よろしくねー、期待してるよー」
柚木さんはそう言ってまた雑誌に視線を戻す。あ、絶対期待してないやつだこれ。
「あ、あの、わたしこういうの初めてなんですけど、今日はどうすれば良いですか? ここではどんな仕事をするんですか?」
ガチャリ
後ろからドアが開く音がした。誰か来たみたいだ。柚木さんはその人を見るなり、「おー、桃山、その子新人の森田さん。あとよろしくなー」と言って手をヒラヒラさせ、頬杖をついて再び雑誌に意識を移した。
まったく、この柚木さんは一体なんなんだ……。桃山さんはまともであってくれ!
期待して振り向くと、背が少し高めでスラッとスタイルのよい女子生徒が立っていた。リボンの色が青だから、三年の先輩かな。
柚木さんが頼りにならない以上、この人にお仕事を教えてもらわなきゃいけないんだけど……、マスクと、なぜかサングラスまでしてて顔の大部分が見えない。おまけに、染めているのかな。柚木さんほどじゃないけど、少し明るめのセミロングの茶髪で輪郭が隠れてる。不審者感が半端ない。わたし、ここでちゃんとやってけるのかな……。