前編
メリスは激怒した。
「メリスよ、お前をこのヴラドクロウ公爵家から追放する!」
15歳の誕生日に、父であり、公爵家当主でもあるフレッド・ヴラドクロウ3世からこう言い渡されたからだ。
「どうしてですの!? わたくしは勉強も、習い事もお父様のおっしゃるとおり一生懸命やってきたのに!」
必死の訴えとともに、メリスの金色の巻き髪が揺れると、フレッドは少したじろいだ。
「お、落ち着け。何もお前にとって悪い話というだけではないのだ。景色の良い地方の修道院でだな……」
「修道院なんて辛気臭いところは絶対にいやですわ!」
ついにメリスの金髪が唸りを上げた。
半透明の触手と変じたそれは、無数の鞭と化して部屋中を暴れまわり、調度品を粉砕していく。
「た、頼むから落ち着いて最後まで話を……」
「ぜぇぇぇったいにいやですわ! わたくしは公爵家令嬢として王家に嫁ぎ、お姫様になるのが子どものころからの夢でしたのに!」
怒りのボルテージが上がったのか、触手鞭が壁や天井にも打ちつけられ次々に砕いていく。
フレッドはひいいと情けない悲鳴を上げてその場にへたりこんだ。
そろそろ少し、説明をしておこう。
まずメリスは決して貴族になりすました魔物などではない。
間違いなく、フレッド・ヴラドクロウ3世とその妻マリアとの間にできた実子である。
ただ、メリスを授かったときの行為の際に、ヌルゴブリンを原材料とする潤滑液を使っていたのが不幸であった。
ヌルゴブリンとはゴブリンとスライムが交雑したゴブリンの亜種であり、ヌルヌルの分泌液を周辺に撒き散らすことから人々に嫌われている魔物である。
しかし、その粘液がさまざまに応用が効くことから、近年産業利用が進んでいたのだ。
フレッドとマリアはその一環で発明された新製品を商人から勧められ、さっそく試したのだが――
――結果として生まれたのは、スライムの特徴を受け継いだメリスだった、というわけだ。
メリスは全身を自由自在に変形可能で、どんな姿にでも変身することができた。
とくにお気に入りなのは金髪巻き髪のお嬢様スタイルで、いま現在もその姿をしている。
お気に入りである理由は、王位継承権第1位であるアベル・アレクサンドリア王子を射止めたときの姿だからだ。
12歳の頃に出席した王家主催のパーティで、メリスはその美貌に一目惚れしたアベル王子に見初められた。
公爵令嬢ということで家格は十分。
見た目も教養も申し分なしとなれば王家としても王子の初恋を妨げる道理はとくにない。
とんとん拍子に婚約が成り、今日にまで至っている。
このまま結婚していれば、王族としては珍しく、政略がほとんど絡まない相思相愛カップルの誕生だったのだが――
「やっと正体を表したな、メリス! いや、この化け物め!」
多数の兵士とともに屋敷になだれ込んできたのはアベル王子、その人であった。
全身を鎧に包み、兜もかぶってはいるが、その宝石のような青い双眸を見間違うことはない。
公爵家追放などという重要な話を屋敷のエントランスですることに違和感をおぼえていたメリスだったが、これで納得がいった。
屋敷の外に、伏兵を忍ばせていたのだ。
「ばけ……ちが、これは違うのですアベル殿下!」
「なにが違うものか! 兵士たちよ、この化け物を早く始末しろ!」
手に手に剣や槍を構えた兵士たちがメリスを取り囲む。
「どうしてこんなひどい仕打ちを……わたくし、なんにも悪いことはしていませんのに!」
メリスの叫びと共に触手鞭が空中でパァンッ! と破裂音を立てる。
これは実際の鞭でも起こる現象だが、先端の速度が音速を超え、衝撃波を発生させている証である。
次の瞬間には、音を超える速さの触手に打たれた兵士たちが床に崩れ落ちていた。
「殿下、お下がりを。ここは拙者が」
「ムラサメ様! あなたならわかってくださいますよね!」
アベル王子の横から進み出たのは長身痩躯の黒髪の男だった。
手には反りのある片刃の剣が握られている。
ムラサメと呼ばれたこの男は、はるか西方の島国から渡ってきた剣客だった。
王家に何かの借りがあるそうで、それを返すために王子が幼い頃から護衛をつとめていた。
いつも王子に付き従っているため、メリスもよく見知った相手だったのだ。
「これを見て……なにをわかれと?」
屋敷のエントランスはもはや惨憺たるありさまである。
目につく調度品はすべて壊れ、壁や柱にはひびが入り、天井が崩れかけている。
そして床には無数の兵士が倒れ伏し、フレッド公爵も白目をむいて泡を吹いている。
「これはアベル殿下を想う乙女心がほんのちょっぴり暴走しただけですわ!」
「ちょっぴり暴走しただけでこんなことになる女と結婚したら命がいくつあっても足らんわ!」
思わずツッコミを入れたのはアベル王子である。
あまりの惨状を目の当たりにして、端正な顔が若干蒼白になっている。
「そういうことです。メリス嬢。しかし、拙者にも情がござる。このまま大人しく退くのであれば、この一件は不問とされるよう掛け合うことをこの刀にかけて誓いましょう」
「そんなの絶対にいやですわ! アベル殿下と結婚して、お姫様になるのがわたくしの夢なのです!」
「いやそれこそもう絶対無理だろ!」
ツッコミを入れたのはやはりアベル王子である。案外ツッコミ体質らしい。
「そんな……どうしてそんなことをおっしゃるんですか!?」
「本気でわかってないんなら逆にすごいなお前!」
「殿下、頼むから下がってください」
ツッコミのたびに一歩前に出るアベル王子をムラサメが下がらせる。
「メリス嬢、退いてくださらぬとあればもはや致し方なし。王国を害する魔物として討伐させていただく。ご覚悟を」
「そんな、ひどい……」
と涙をためた顔を覆うと同時に、音速の鞭がムラサメに殺到する。
一応、メリスを擁護しておくとこれは本当にわざとやっているわけではない。
成長するごとにスライムとしての本能が強くなり、無意識にこうした防衛反応を起こしてしまうのだ。
そのせいで、メリスの正体はじつは魔物であるという噂が広がり、今日の事態に陥ったのである。
対するムラサメも目にも留まらぬ速度で刀を振るい、触手鞭を切り払った――
――かに見えたが、触手を断ち切ることは叶わず、刀を絡め取られてしまった。
そして続く触手攻撃によってムラサメは意識を失った。
「なっ、鉄板をも断ち切るムラサメの剣が止められた!?」
驚き、慌てふためいているのはアベル王子である。
「これでおじゃま虫はいなくなりましたわね……。さ、殿下、色々と誤解があるようですので、二人だけでゆっくりお話しましょう」
メリスの触手がアベル王子を絡め取る。
「い、いやだ。やめろ、やめてくれぇぇぇえええーーー!!」
ひとつ、説明を忘れていたことがある。
メリスが成長して強まったのはスライムとしての性質だけではない。
あらゆる異種と交配し、盛んに子孫を残そうとするゴブリンとしての性質も強まっていたのだ。
アベル王子は触手に絡め取られたまま、メリスの寝室へと消えていった。