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なろう公式企画

われはおにぎり

作者: 烏屋マイニ

 ここは、とあるスーパー。その一角にある、お惣菜・お弁当のコーナーに、彼はいた。

 こぶ吉と言う名があらわす通り、昆布の佃煮を具とするおにぎりだ。

 彼は悩んでいた。

 悩みに悩み、一つの答えにたどり着く。

 こぶ吉は「(ねえ)さん」と、お惣菜・お弁当コーナー担当のパート、道代さん(六十三)に声をかける。

「おや、どうしたんだい?」

 でき立てのお弁当をせっせと並べながら、道代(みちよ)は聞き返す。もうじき、お昼ご飯を目当てに、たくさんのお客がやって来る。

「俺、旅に出ます」

 こぶ吉は、決意を込めて答える。

「ええっ?」道代は驚いて、仕事の手を止める。「一体、どうしたって言うの?」

「俺は、いつも思うんです。お昼休みにこうやって棚に並べられ、お客さんの手に取ってもらえるのを待っているのに、売れるのはいつも鮭や明太子やツナマヨばかりだ。俺のような昆布は、値引きシールが貼られるまで、見向きもされやしない」

「そんなことは……」

「いやいや」こぶ吉は道代の言葉をさえぎる。「そんなことは、あるんです。だから俺は、修行の旅に出て、鍛えて鍛えて、誰もが食べたいと思える、鮭や明太子やツナマヨおにぎりになってやろうと思ってます」

 道代は大きなため息をついた。

「あのね、こぶ吉。昆布のおにぎりは、どうしたって昆布のおにぎりでしかないんだ。バカなことを言ってないで、おとなしく棚にならんでなよ」

 しかし、こぶ吉の決意は揺るがなかった。ちっぽけな昆布のおにぎりは棚を飛び降り、スーパーの出口へと向かう。と、彼の背に掛ける声があった。

「まて、こぶ吉殿!」

 振り返れば、お惣菜の棚にある焼き鳥が一串、立ち上がってこちらを見ている。

「吾輩にはわかるぞ、貴殿の気持ちが。なぜなら、吾輩もまた売れ残り組のひとつ、鶏皮であるからだ。ぐにゅぐにゅしてなんか気持ち悪ーいなどと敬遠され、誰にも買ってもらえない。売れるのは、かしわやつくねや豚バラばかり。そうとなれば吾輩もまた、修行の旅において、みなが思わず手に取りたくなる、かしわやつくねや豚バラになってやろうではないか。故に、吾輩は貴殿の旅に付いて従おう!」

「鶏皮さん。しかし、あんたには、コラーゲン大好きな一部女子の引き合いがあるじゃないか。あての知らない、俺の旅に付き合う義理などありはしないだろう」

「それを言わば貴殿とて、ミネラルや食物繊維が豊富な食材をうちに秘めている。しかし吾輩は栄養ではなく、味を楽しんでもらいたいのだ。さもなければ、かしわやつくねや豚バラになりたいとは思わぬ」

 こぶ吉は考え込み、ずいぶん経ってからこう答えた。

「どうやらあんたは、俺と同じ志を持った御仁のようだ。そうとなれば、こっちから願いたい。どうか、俺と一緒に来てくれ」

「心得た!」

 鶏皮は棚を飛び降り、こぶ吉と並んで立った。

「ホントに、どうしようもない子たちだね」と、道代。「まあ、気のすむようになさいな。けど、賞味期限までには帰って来るんだよ?」

「はい、姐さん。では、行ってまいります」

 こぶ吉と鶏皮は、道代に向かってぺこりと頭を下げる。そうして、あとはもう振り返らず、スーパーの自動ドアをくぐった。

 初冬の冷たい空気に、こぶ吉はぴりりと身が引き締まるのを覚えた。この先に、どんな困難が待ち受けているのか。しかし、彼らの冒険は始まったばかりだ。きっと、その果てには、美味しいおにぎりや焼き鳥になると言う、輝かしい未来もあるに違いない。

 と、そこへ、二人の頭の上から、真っ黒い何かが覆いかぶさって来た。あっという間もなく、それは鶏皮をひっつかみ、スーパーの屋上へと飛び去って行く。

 カラスだった。

「鶏皮さーん!」

 しかし、こぶ吉の声に返って来るのは「あーっ!」と言う悲鳴ばかり。こぶ吉は、きょろきょろとあたりを見回し、建物の壁を這うパイプに掴まり、それを昇り始めた。そうして屋上へたどり着くと、そこには大きなカラスが一羽。そして、かつては香ばしく焼き上げられた鶏皮をまとっていたはずの、竹串が一本あるだけだった。

「おのれ、カラスめ。よくも仲間を!」

 怒りに任せ、こぶ吉はカラスに飛び掛かる。しかしカラスは、翼を一つ払っただけで、おにぎりの突進を、あっさりとはねのけた。

「ふん」カラスは、バカにするように笑った。「お前のツレは実にうまい焼き鳥だったぜ」

「まことか、カラス殿!」

 竹串が、ぴょこんと起き上がった。

 驚いたのは、こぶ吉である。

「おいおい、鶏皮さん。あんたの本体は、そっちだったのか?」

「本体がどうのはよくわからぬが、今の言葉を聞いたか、こぶ吉殿。このカラス殿は、吾輩を食べてうまいと言ったのだ!」

「お、おう。焼き加減も、脂の乗りも、のど越しも、まったく申し分ない絶品だった」

 小躍りする竹串を見て、カラスは戸惑いながら言う。

「おいしく食べてくれて、感謝する!」

 竹串は、カラスに向かってぺこりと頭を下げてから、とてとてとこぶ吉に歩み寄った。

「こぶ吉殿。はからずも、吾輩の旅はここで終わってしまった。しかし、これからは一本の竹串として、貴殿の旅の助けになろうと思う。どうか存分に、吾輩を使ってくれ」

「なんだかよくわからないが、また一緒に来てくれるって言うんなら、歓迎するさ」

 出だしでいきなりカラスに襲われたのだから、今後も同じような危険が訪れるかもしれない。その時、鋭い竹串は、なかなか頼りになるだろう。

「どうも話が見えねえな」と、カラス。

 こぶ吉は、かくかくしかじか事情を説明する。

「しかし、それを言うなら俺だって、嫌われ者のカラスだ。だからと言って、雀や鳩や鶏なんかになりたいとは思えねえ。お前も、ありのままの自分で、誰かに美味しいって食べられた方がずっと幸せなんじゃないか。そこの元鶏皮みたいによ?」

 カラスの言い分も、当然頷ける。しかし、

「しかし俺は、いっぱしのおにぎりである以上、食べてくれる人に喜んでもらいたいんだ。俺を手に取って、『えー、昆布かあ』だなどとがっかりされるくらいなら、自分を曲げたってかまわない」

カラスは、長いことこぶ吉を見つめてから、ふっと笑って言う。

「なるほど、そう言う考えもあるってことか。いいぜ、俺がちょいと力を貸してやろう。美味い焼き鳥をごちそうしてくれた礼だ」

「なにか心当たりがあるのか?」

 こぶ吉は勢い込んでたずねる。

「ああ。実は、百年生きてるって噂の猫がいてな。すげえ婆さんで、びっくりするくらい物知りなんだ。ひょっとすると、お前がお望みの、鮭やら明太子やらツナマヨやらになる方法について、なにかアドバイスをもらえるかも知れねえぜ?」

 なんと言うことか。

 鶏皮の犠牲はあったものの、早速手掛かりがつかめたのだ。

「その、猫の姐さんとやらに会うには、どっちへ行けばいいんだ?」

「ここから、ちょいと西の方だな。マルミヤ商店って言うタバコ屋の、これまたすげえ年寄りの、人間の婆さんに飼われてる」

「そうか。恩に着るぞ、カラス」

 こぶ吉はカラスに背を向けると、元鶏皮の竹串を手に、とてとてと歩き出す。

 ところが、

「待ちな」

 カラスが呼び止めた。こぶ吉が振り返ると、カラスは黒い爪でこぶ吉を引っ掴み、そのまま空へ舞い上がる。

「こら、カラス。何をするんだ!」

「いいからじっとしてろ。ミケ婆さんのところまで、俺が運んでやる」

 こぶ吉は、言われるがまま大人しくした。今はもう、ずいぶん高いところを飛んでいるので、うっかり落ちたりすれば、地面でひしゃげて一巻の終わりだ。

 そうして、カラスはしばらく町の上空を飛んだあと、商店街の真ん中にある、一件のお店の前に舞い降りた。看板にはかすれた文字で、「マルミヤ商店」と書いてある。

 戸は開いていた。中を覗き込むと、それは六坪ほどの小さなお店で、左右の壁は商品棚になっており、菓子や雑貨がまばらに並んでいた。右手奥には土間床から一段ほど高くなった四畳半の畳敷きあり、その上には整然と積まれたタバコのカートンを背にして、小さなお婆さんがちょこんと座っている。どうやら店主のようだが、目をつむって微動だにしない。寝ているのだろうか。

 お婆さんの膝の上には、ずいぶん大きな三毛猫が、餅のように丸くなって寝ている。おそらく、彼女が百年生きていると言われる――

「よお、ミケ婆さん。生きてるか?」

 カラスが声を掛けると、三毛猫はぴょこんと耳を立てた。そうして、黄色い目をゆっくりとこちらへ向けてくる。

「ご覧の通りだよ、ヤスケ。それにしても、今日はずいぶん変わった毛色の友だちを連れているんだね」

「ああ」ヤスケはこくりと頷く。「おにぎりの方は、こぶ吉。それと竹串の方は、元鶏皮のあんちゃんだ」

「お初にお目に掛かります、姐さん。こぶ吉と申します」

 こぶ吉は丁寧にあいさつし、竹串もぺこりと頭を下げる。

「さて。すると、この婆に、何か聞きたいことがあるんだろうね?」

 こぶ吉は、かくかくしかじかと事情を説明した。

「なるほど」

 ミケ婆さんは目を閉じ、なにやら考えこんだ。ずいぶん長いことそうしていたから、こぶ吉が「ひょっとして寝てしまったのだろうか」と考えていると、ミケ婆さんは再び目を開けた。

「一つ、心当たりがなくもないね」

「本当ですか、姐さん?」

「ウソなんてつきやしないよ。けどね、こぶ吉さん。これは、あんたが思ってるような、嬉しい話じゃないかも知れない。それでも構わないんだね?」

 決意を込めて、こぶ吉がうなずくと、ミケ婆さんはふっと短くため息を落とした。

「ねえ、こぶ吉さん。あんたは鍛えれば、鮭や明太子やツナマヨおにぎりになれるって信じてるようだけど、それはどだい無理な話さ。この婆も、若い頃は虎になりたくて、たくさんエサを食べたもんだよ。けれど見ての通り、今もあたしはただの太った猫でしかない。つまり、持って生まれたものは、何をどうしても変えることはできないってことさ。真っ当な手段なら、ね」

「なにか、イカサマがあるってことか?」

 ヤスケが聞くと、ミケ婆はうなずいた。

「ここから北へ向かい、大きな川を渡った先にある丘を登ると、大きなお屋敷がある。そこにはK博士と言う怪しげな科学者が住んでいて、彼に頼めば鮭や明太子やツナマヨおにぎりになれる改造手術をしてくれるはずだよ」

 改造手術とは、なんとも穏やかではない。しかし、今さら何を尻込みなどするものか。

「恩に着ます、姐さん。誰もが美味しく食べてくれるおにぎりになれるんなら、俺はよろこんで改造手術とやらを受けましょう」

「覚悟が決まっているんなら、もう、あたしからあれこれ言うことはないさ。まあ、あんたの望みが叶うように祈ってるよ」

 こぶ吉はぺこりと頭を下げ、店を後にした。

 ヤスケが付いてきて、またもやこぶ吉をわしづかみにすると、空へ舞い上がる。

「なあ、カラス。いや、ヤスケさん。こうやって運んでくれるのは嬉しいんだが、やはりいきなりと言うのはびっくりする」

「まあまあ。これっきりなんだから、辛抱してくれ」

 ヤスケは笑って言う。

「ただし、俺が付き合ってやれるのは、ミケ婆の言う大きな川までだ。その先はもう、俺のナワバリじゃねえからな。ナワバリを侵せば、そこのヌシと余計な喧嘩をする羽目になっちまう」

「もう、これまでだけで、俺はじゅうぶん助けられた。何か、恩を返せればいいんだが」

「俺は、美味い鶏皮をいただいた礼をしたまでさ。恩返しをしたけりゃ、その竹串にするんだな」

「吾輩とて、同道を許してくれたこぶ吉殿には、大いに感謝しているのだ。おかげで、吾輩を美味いと言って食べてくれた、ヤスケ殿に出会えた。恩返しなど、請われても受けるつもりはない」

「みんながみんな、誰かに感謝してるんだ。まあるくおさまって、何よりじゃねえか」

 と、ヤスケ。

「ああ、まったくその通りだな」

 こぶ吉は笑い、ヤスケも竹串も一緒になって笑った。

 それからしばらく飛んで、件の大きな川が見えて来た。川の向こうには、草地に覆われた小山があって、その(ふもと)には住宅街が張り付いている。住宅街からは道が一本のびて、頂のやや下にどんと構えるお屋敷に続いていた。おそらく、それこそがK博士の住まいであろう。

 こぶ吉は、ふと気付いた。ヤスケはすでに、川の真ん中を越えて飛んでいる。

「おい、ヤスケさん。ここはもう、あんたのナワバリじゃないんだろう。もう、降ろしてくれて結構だ」

「おにぎりと竹串じゃあ、川を渡るのも難儀だろ? 向こう岸まで運んでやるよ。なあに、ちょっとくらいなら――」

 ヤスケは言い終わる間に、急旋回した。そうして、つい今しがたまでいた場所を、なにやら茶色いものが急降下で通り過ぎる。

 大きなトンビだった。

「おっと、早速来やがったか。悪ィな、こぶ吉。どうやら、ここまでだ」

「あれが、こっちのヌシか?」

「そう言うこった」

 トンビは、その巨体のせいもあって上昇にもたついていた。その隙にヤスケは距離を取り、素早く降下して堤防の上にこぶ吉たちを置くと、ほとんど足も付けずに再び空へ舞い上がった。一拍遅れて、トンビがこぶ吉の横に着地する。

「ヤスケめ。相変わらずすばしこいやつだ」

 トンビは鼻を鳴らして言ってから、じろりとこぶ吉を睨み付ける。

「名乗れ」

「俺は、昆布のおにぎりのこぶ吉。そして、こっちは相棒で元鶏皮の竹串です。訳あって、この向こうにある丘の、K博士のお屋敷を訪ねる旅の途中にあり、そのためにはあなたのナワバリを通らなきゃなりません。どうか、俺たちが通り過ぎるのを、許していただけないでしょうか」

 こぶ吉は丁寧にお願いした。

 トンビは首を傾げ、しばらく考えてから口を開く。

「私はリキマル。お前たちが、ナワバリを通るのを許そう。だが、気を付けろ。このところ、タチの悪いアライグマが住み着いて、私のナワバリを荒らしまわっているのだ。なんとか追い払おうとしているのだが用心深いやつで、なかなか姿を見せず未だ果たせずにいる。お前たちも、じゅうぶん用心することだ」

「ご忠告、感謝します」

 こぶ吉はぺこりと頭を下げた。

 リキマルは一つうなずいてから、羽ばたいてこぶ吉たちの前から飛び去った。そうして大きなトンビは上昇気流を捕まえると、ぐんぐん空を昇り、高いところで輪を描き始めた。ピーヒョロロとわびし気な声が、冷たい冬の空気に響き渡った。

「愛想はないが、親切な御仁であった」

 竹串が言った。

「ああ。それに、堂々としたものだ」

 二人は堤防を降りて道路を渡り、丘のふもとに広がる住宅街を歩き始めた。住民の姿は、ほとんど見かけない。もちろん、平日の日中ともなれば、大抵の人たちは働きに出ているはずだし、さもなければ今は夕方に近い時刻だから、買い物にでも行っているのであろう。その証拠に、どの家も駐車場は空っぽだったし、車の通りもまったくなかった。おかげで、誰かや何かに踏みつけられる心配をせずに済んだ。

 しかし、気掛かりはやはり、リキマルが警告したアライグマの存在である。住宅街は、間違いなく人間の領域だが、そこかしこに獣が隠れ住みそうな溝やら隙間やらがあった。

 最大限の用心をしながら、二人は住宅街を進んだ。丘へ向かうにつれ、道はどんどん上り坂になり、それはちっぽけなおにぎりにとって、なかなかの難所となった。

「こぶ吉殿、上だ!」

 竹串が叫んだ。

 ぎょっとして見上げると、駐車場に掛けられた透明なアクリル屋根の上に、まさに今から飛び掛からんとする獣の姿が見えた。

 こぶ吉はとっさに地面を転がり、獣の恐ろしい攻撃をかわした。

「へえ、ずいぶんとすばしこいじゃないか」

 後ろ足で立ち、ごしごしと前足をこすりながら、それは言った。一見、タヌキのようにも見えたが、縞々の太い尻尾が、そうでないことを物語っていた。

「お前が狼藉者のアライグマか。俺たちに、何の用だ」

 こぶ吉が警戒しながらたずねると、アライグマはげらげらと笑った。

「目の前に食べ物が歩いてるんだぞ。そりゃあ、もちろん食うに決まって――」

 ふとアライグマは首を傾げ、まじまじとこぶ吉を見てから、大きなため息をついた。

「なんだ、昆布か」

 よもや、アライグマなんぞに、それを言われるとは思わなかった。いささか腹は立ったが、こぶ吉は怒りを抑えて言う。

「口に合わないと言うなら、さっさとどこへなりとも行ってしまえ。俺たちは先を急ぐんだ」

「そうは行くかよ。こっちは、あのしつこいトンビのせいで、ろくに食い物も探せず腹ぺこなんだ。腹がふくれるんなら、昆布だろうがなんだろうがむしゃむしゃ食ってやるさ!」

 さすがのこぶ吉も、これにはカチンときた。

「味も知らない無礼なやつめ。お前などに、おめおめと食われてたまるか!」

 こぶ吉はアライグマに突進し、その腹の真ん中あたりを狙って竹串を突き出した。腹を突かれたアライグマは、ぎゃっと叫んでひっくり返った。とは言え、分厚い毛皮を貫けるはずもなく、

「いまいましい、ちびのおにぎりめ。後悔させてやる!」

 アライグマはすぐに飛び起き、牙をむいて襲い掛かって来た。

 こぶ吉は素早く後ろに飛んでから、その勢いのまま坂道をころころと転がって、一目散に逃げだした。

「待て、おにぎり!」

 アライグマが追いかけてくる。転がるのはおにぎりの特技だ。が、アライグマのスピードもなかなかのもの。何度も捕まりそうになりながら、その度にこぶ吉は、右へ左へと転がって、獣の攻撃をかわし続けた。

「こぶ吉殿、坂が終わるぞ!」

 竹串が警告する。

「わかっている!」

 こぶ吉は、じゅうぶんスピードに乗っていたから、坂が終わったからと言って、すぐに止まるわけでもない。こぶ吉は平たくなった道をなおも転がり、ついには堤防にぶつかってようやく足を止めた。やや遅れて、息を切らしたアライグマが追い付いて来る。

「さあ、もう逃げられないぞ。観念して俺様に食われろ、ちびのおにぎり!」

 鋭い爪の生えた、アライグマの手が伸びる。

 背後は堤防。右や左に逃げたとて、ここは平らな道で転がる坂は無い。

 万事休す――と思われたとき、上空から急降下してくる茶色い影を、こぶ吉は見た。それは堤防脇の道路の上すれすれを滑空しながら、ものすごいスピードで、こちらへ向かって突っ込んでくる。

 アライグマもそれに気付いた。しかし、時すでに遅し。横っ腹にトンビの強烈な蹴りをくらった獣はぎゃっと叫び、地面を何度も転がって、しまいにはきゅうと伸びてしまった。

「助かりました、リキマルさん」

 こぶ吉が礼を言うと、トンビのリキマルは、にやりと笑みを浮かべた。

「礼を言うのは私の方だ。よく、この狼藉者を誘い出してくれた。何か、お前たちに報いねばならんな」

 しかし、こぶ吉は首を振る。

「ヤスケさんが言っていました。みんながお互いに感謝しあえたなら、それで丸く収まると」

「なるほど。賢いあいつが言いそうなことだ」

 トンビは、くつくつと喉を鳴らして笑う。

「ではせめて、お前たちが旅の目的を果たせるよう、空の上から祈るとしよう」

「はい。ありがとうございます」

 トンビはうなずき、気絶したアライグマを引っ掴むと、空へ舞い上がり、どこかへ飛び去った。

「やれやれ」こぶ吉は言って、丘の上を見上げた。「また、あの坂を登るのか」

「だが、その先にはK博士がいる」

 と、竹串。

「そうだな。ここは、もうひと頑張りするとしよう」

 こぶ吉は、再び丘を登る道をたどる。今度は、アライグマのような邪魔立てはなかった。

 一歩、また一歩。そうして、二人はようやく、件のお屋敷の前に立った。すりガラスの引き戸をノックし、しばらく待つと、それはからりと音を立て、一〇センチほど開いた。

「にゃあ」

 戸の隙間から、黒猫が顔をのぞかせた。

「ごめんください、黒猫さん」

 こぶ吉は丁寧に言うが、黒猫は何も言わず、家の中へ引っ込んでしまった。しかし、さらにしばらく待つと、戸が大きく開かれ、今度は年配の男が顔を見せる。男は、少しの間きょろきょろ辺りを見回してから、ようやく足元のおにぎりに目を向ける。

「あなたが、K博士ですか?」

 こぶ吉がたずねると、男は一つうなずいてから、付いてくるよう身振りで示し、すたすたと家の中へ入って行った。こぶ吉は慌てて敷居をまたぐと、戸をぴしゃりと閉めてから、K博士のあとを追った。

 博士が案内したのは、庭の見える和室だった。もちろん、庭に面したガラス戸は閉じられており、室内は暖かかった。部屋の真ん中には大きなコタツがあって、上座には女の子が、その右斜隣には男の子が座っていた。どちらも小学生高学年くらいに見える。

 K博士は、男の子の真向かいに腰を下ろし、こぶ吉に目を向けた。

 こぶ吉はコタツをよじ登り、天板の上に立って、ぺこりと頭を下げた。

「俺は昆布のおにぎりの、こぶ吉。こっちは元鶏皮で相棒の竹串です。本日は、K博士にお願いがあって参りました」

「僕は桜子(さくらこ)」女の子が元気よく言ってから、男の子に目を向けた。「それで、彼は章太(しょうた)くん」

「お二人は、K博士のお子様ですか?」

 こぶ吉がたずねると、桜子と章太は顔を見合わせてから、くすりと笑いあった。

「ぼくは母さんのお使いで、どら焼きを届けに来たんだ。博士には、いろいろお世話になったから、そのお礼にね」

 章太が答えた。

「僕は、その付き添い」

 と、桜子。

 ふと見れば、こぶ吉のかたわらには木鉢があって、その中にはどら焼きがいくつか収められていた。

 そう言えば、K博士に改造手術をお願いしようと言うのに、こぶ吉は何も用意していなかった。

「願い、とは?」

 K博士がたずねた。

 こぶ吉は、この旅に至った事情を話した。

「おにぎりの改造手術か」K博士はつぶやき、少しだけ考え込んでから続けた。「引き受けよう」

「いいんですか?」

 K博士はうなずく。

「しかし、どれか一つだ」

 確かに、鮭と明太子とツナマヨを一緒くたにできるほど、こぶ吉は大きくない。そんなことができるのは、ばくだんおにぎりくらいだ。とは言え、自分では決めかねる。

「みなさんは、どんなおにぎりが好みですか?」

 こぶ吉がたずねると、

「ぼくは、おかか」

 と、章太。

「私は梅だ」

 こちらは博士。

 おかかに梅とは、予想外の答えが返って来た。しかし、確かにどちらも定番の具。

 こぶ吉は、桜子の答えを待った。が、彼女はなにやら、言いにくそうにもじもじしている。どうしたのかと、みんなが見ていると、桜子はあきらめた様子で小さくため息をもらした。そして、「昆布」と小さな声で答える。

 こぶ吉は、思わず「えっ?」と声を上げる。

「前に友だちにそう言ったら、おばあちゃんみたいって言われたの。だから、あんまり言いたくなかったんだけど……」

 桜子は、少しだけ顔を赤くして、ごにょごにょと言う。それから、はっと息を飲んでこぶ吉に目をやった。

「あ、ごめんね」

 桜子はいそいで謝った。

「いえ、気にしないでください」

 これは、少々照れくさい。

「でも、佃煮昆布って、すごくゴハンに合う味だし、コリコリってした感じも楽しいから、僕はおにぎりの中で、昆布が一番好き!」

「やったな、こぶ吉殿!」

 と、竹串。

 しかし、当のこぶ吉は、なにやら雷にでも撃たれたような気分になって、もうなんと言えばいいのやら、さっぱりわからなくなった。だから、鮭や明太子やツナマヨのおにぎりになると言う目的も忘れ、思わずこう口走っていた。

「桜子さん。よろしければ、俺を食べてくれませんか?」

「えっ、いいの?」

 問われて、こぶ吉は今さらながら、迷った。

 本当に、これでいいのか。自分は、誰もが美味しいと喜んでくれるおにぎりに、なりたかったのではないのか。スーパーのお総菜コーナーを飛び出し、ヤスケや、ミケ婆さんや、リキマルの助けを受け、ようやくたどり着いたここで、その夢を叶える目前で、全てをあきらめてしまおうと言うのか。

 いや、そうではない。

 自分は、おにぎりなのだ。

 甘辛く、砂糖と醤油で煮つけた昆布をごはんに抱いて、パリパリの海苔に包まれた、一個のおにぎりなのだ。

 顔も見えない「誰か」ではなく、自分を手に取ってくれた人に、美味しく食べてもらう。それこそが、おにぎりなのだ。

「はい、お嬢さん。ぜひ、このこぶ吉を、昆布のおにぎりを食べてやってください」

 こぶ吉が言うと、桜子はうなずき、彼を手に取った。そうして包装フィルムをはがし、パリパリの海苔でご飯を巻いてから、ぱくりとかぶりつく。

「美味しい!」

 こぶ吉は、長らく求めていた探し物を、ようやく見付けたように思えた。探していたことさえ忘れていた、とても大切な……


 ここは、とあるスーパー。その一角にある、お惣菜・お弁当のコーナーに、彼はいた。

 こぶ吉と言う名があらわす通り、昆布の佃煮を具とするおにぎりだ。

 彼は、もう迷わない。

 自分を美味しく食べてくれる、ただ一人に喜んでもらうため、今日も棚に並ぶ。

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[一言] 石河翠様の「冬童話大賞2021」から拝読させていただきました。 昆布のおにぎりが少年マンガの純粋なヒーローのように感じられました。 夢を抱いて旅を続ける中で、集まって来る仲間。手強いライバル…
[良い点] 登場するキャラクターたちを 風邪薬コンタックのイメージキャラクター『Mr.CONTAC』や、キウイフルーツブランド「ゼスプリ」の『ゼスプリ・キウイ・ブラザーズ』に近いイメージで読ませて頂き…
[一言] 読みました。面白かったです! 鶏皮さんだと思っていたのに、本体は竹串さんで衝撃を受けました(笑) アライグマに襲われて地面を転がっているところで、「え、これ、あとで誰かに食べてもらえるのか…
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