魔女と透明
今回はお客様が来ます
少し世界観の説明があり、長くなりました
深い、深い静謐の森。
魔女マリィは、ゴリゴリと薬草を磨り潰していた。
魔術で細かくする事も可能だが、手作業で磨り潰す事で、魔力が込められて効果が向上するという彼女の師匠の教えを守っているのだ。
無心で行う作業は、過去に思いを馳せてしまい、彼女の眉間には皺が寄る。
「魔女、魔女。みてみて!」
「名前を呼びなさいよ。なぁにって、貴女なんて格好しているのよ!」
魔女の同居人ルトは、朧気な記憶を掘り起こして、兎を模した卑猥な装束に身を包んでいた。
胸元は止められておらず、サイズが合っていない小さな乳房が横から見えそうになり、マリィは慌てて視線を外した。
「これはね、元の世界では由緒正しい正装だよ。勿論、賭博場や風俗店だけど」
「そういった場所は、由緒正しいとは言わないわ。ただ、似た様な物はこの世界の賭博場でも、見かけた事は有るわね」
「あれ?賭博場なんて行ったこと有るんだ」
「師匠に連れられて、ね」
生返事を返しながらも、ルトは兎の尾が付いた臀部を揺らす。
ため息を吐いてマリィが外を見やれば、既に日が高く登っていた。
作業を始めてから、随分と刻か経った様だ。
大方、過去を思い出した自分に気を使ってくれたのだろう、そうに違いない。
でなければ、構って欲しいだけの為に、この様な卑猥な装束に身を包んでいた事になるのだから。
「これが終わったら、お昼にしましょう」
「やったぁ!魔女大好き!」
「名前を呼びなさいったら。それで、どうしてそんな格好をしているのよ?」
「うん、この格好が頭を過ぎってね。色々思い出すかもしれないと、再現した訳」
「誓っても良いけれど、そんな卑猥な格好で思い出す事なんて、俗な事しかないでしょうに」
「うーん、ボクの国では男女共に着用していた様な気がするし、卑猥の基準が違うのかも」
「貴女の国って、変わっているわね」
「かもね」
ルトが指を鳴らすと、何時もの漆黒のセーラー服姿へと戻り、マリィは安堵の息を吐く。
今日は山羊の乳を使ったシチューらしく、カラフルな野菜が白いシチューを彩っている。
焼き立てのパンにはふっくらとしており、魔女の秘術だと得意げに出会ったばかりのルトに自慢していた。
しかし、元の世界の記憶のせいか、大して驚かないルトにがっかりとした事を思い出す。
鍋をかき混ぜる手が早くなり、ルトは首を傾げた。
盛り付けられた深皿を見て、歓声が上がる。
「わぁ!ボクシチュー1番好きなんだ!」
「ルト、貴女昨日も同じ事言っていたわよ」
「魔女の作る料理が1番って事」
「まったく、口が上手いのだから」
「そういえば、元の世界ではシチューについて戦争が有ったよ」
「シチューで戦争?どうしたらそんな小さな事で、血を流す事になるのよ?」
「ほら、シチューはパンと一緒に食べるのが普通でしょう?」
「うーん、そうなのかしら?私は特に拘りは無いわよ。パンがない時も有るし、芋と食べていた事もある。そもそも一般家庭からしたら、シチューだけでも手間とお金がかかるご馳走よ」
「そっかー、飽食の時代とか言われていたし、食べ物を選り好み出来るのは、やっぱり恵まれているんだね」
「ええ、だから私は感謝するのよ。頑張った自分にだけれど」
口に頬張り、再び上がる歓声にマリィは頬を緩めた。
貴族でも無いのに、ある程度のテーブルマナーを守るルトの食べ方はとても綺麗だ。
好き嫌いもせず、残さず食べるルトとの食事は、作り手として何時も嬉しくなる。
気紛れにルトが作る料理は、マリィの知る家庭料理とは異なる手法を用いる事が多い。
しかし、作るのは好きでも片付ける事は嫌いなのかルトは、記憶の底から引き出した手法や使う素材をマリィに伝え、後は任せる事が殆どであった。
ルトの無茶振りに付き合ったマリィの料理は、素人にしてはかなりのものだろう。
「それで、どうしてシチューで戦争が起きるのかしら?」
「うん、パン派とご飯派だよ。共に食べる方は何方かっていう、宗教戦争みたいなものかなぁ」
「パン派は理解出来るけれど、ゴハン派って何かしら?」
「お米っていう物を炊いた食べ物。白くて、このくらい小さくて、よく東の国にある奴」
「最後のはよく分からないけれど、似た様な食材なら見た事あるわよ」
「細長いのはタイ米で、ボクはジャポニカ米を求めてるんだよ。合ってるかは、記憶が曖昧だけどね」
「タイマイ、ジャポニカマイ……兎も角、パンを共に食べるか、ゴハンを共に食べるかで争っていたのね。贅沢な事」
「だねぇ」
米の種類に首を傾げたマリィは、近々にルトを連れて町を見に行く約束を交わす。
彼女が満足する結果を願って、何時もよりお金に余裕を持つ事を決め、マリィは作る薬の量を増やす事を決めたのだった。
食器を片付け、お茶の用意を始めた所で、玄関の扉が叩かれた。
チラリとルトを見やったマリィ。
彼女が特に何も言わない事から、客と判断して出迎える。
しかし、開かれた扉の先には誰も居なかった。
戸惑いつつも周囲を見渡すが、誰かが急いで離れた様子も見られない。
「あら?」
「居るよ、マリィ」
「あの、どうも、魔女様のお宅で合っていますか?」
目の前の虚空から放たれた男の声に、マリィは驚きの余りにバランスを崩す。
しかし、彼女が倒れるよりも早くに、ヌルリと背後に回ったルトが優しく支えた。
「大丈夫ぅ?」
「ええ、ありがとうルト。それで、何方に居るのかしら?」
「えっと、目の前に」
目を凝らしてみたが、マリィには外の風景が見えるだけであった。
魔力の流れを目で捉える魔術を発動してみたが、周囲には可笑しな所は見られない。
「ご存知の通り、此処は魔女の家で、私が魔女よ。それで、貴方はとても小さいのかしら?それとも、透明なの?」
「こ、後者です。私は魔術の実験で、どうやら姿を失しなった様なのです。しかし、魔女様ならば、何とか出来るのではないかと思い……」
今までお目にかかった事が無い透明人間の存在に、マリィは顎に手を当てて考える。
取り敢えずは客として椅子を進め、用意してあったハーブティーを3つのカップに淹れていく。
透明人間が座ったのか、1人分引かれた椅子の対面に座るルトは、胡座をかきつつ質問を投げた。
「ねぇ、透明人間に会ったら聞いてみたい事が有るんだけど、服は着てるの?」
「着てますよ!魔女様も気を遣ってタオルを渡そうとしないで下さいっ!」
「必死過ぎて怪しいなぁ」
「どうしろと!?」
「というか、着替えないで幾日掛りでここに来たの?汚くない?」
「これでも私は魔術師なので、浄化の魔術くらいは使えますけど、着替えといいますか……。私が身に纏ると、人々から透明と認識される様なのです」
魔術を扱える者は、大抵は浄化の魔術を会得している。
汗や垢、埃等を綺麗にする非常に便利な魔術だ。
発動に必要な触媒も己の魔力のみとなる。
魔術の発動に必要なエネルギー量は、世界に干渉する規模や質に比例し、魔術の触媒に必要な力も大きくなっていく。
典型的なものは、攻撃魔術だ。
例えば火種程度の魔術は、己の魔力のみで発動する事が出来る。
次に、火の弾を作り出射させるには、樹や炭、油といった燃料となる触媒が必要だ。
そこから威力を上げるには、火属性の魔物の素材を触媒が必要となる。
威力に応じて触媒の総量や質が増えていく為、魔術師は余程の金持ちか変人で無ければ、触媒を無駄にする新たな魔術の開発や実験は控えるのだ。
名誉の為に開発されのでは無く、悪用される未来が容易に想像できる透明化の魔術等、関わっても碌な事にならないだろう。
「貴方は自身はどう見えているのかしら?」
「私からは、全く自身の変化が分からないのです。それがとても恐ろしい。当初は変化に気が付かず、同僚や周囲の者を恐怖に落としましたよ。未知なる魔物として、ね。討伐されては堪らないと、噂の魔女様の所に慌てて逃げてきたのです」
「周囲から見えている観測地と、貴方が居る場所が違うのかしら?どんな魔術を起動したの?」」
透明人間の表情や仕草が把握出来ず、何とも不安を覚える。
宙に浮いたカップが、彼の存在を証明していた。
飲み込まれた茶が透けて見えるのではと、僅かに期待していたルトだが、瞬きの合間にカップすら透明となってしまう。
その様子を見て、何かに気がついたマリィは顎に手を当て唸る。
喉を潤した透明人間は、恐らくマリィの方を見て話し始めた。
「私は姿隠しの魔術について研究していました」
「気配を消す、認識をぼかす、闇に紛れるといった所ね。貴方、密偵や暗殺でも生業にしていたのかしら?」
「滅相もない!ご存知の様に、魔術師は貧弱な者が多いので、身を守る術になると研究されていたのです」
「確かにね。魔物を相手にするハンターには有用だけれど、それは人間に対しても言える事だわ」
「少なくとも、私は魔物相手にしか使いません」
成人し、犯罪歴が無ければ誰もがハンターという万屋になる事が出来、3つの星でランクを分けられている。
一般的なハンターは、星無しが基本だ。
余程の実力者でなければ星は得られず、三つ星を所有する者は王にさえ意見を述べれる影響力を得る事が出来た。
勿論、無用な混乱を避ける為に、複数の国の王が認めなければ三つ星には至れない。
現在までに三つ星となった者は、歴史上2名しか存在しない。
普通のハンターは生涯星を得る事は叶わず、ハンターギルドの信頼を得る事で仕事を施錠する為、表立っての素行は抑制されている。
ハンター達は星を求め、日々精進するのだが、星の壁は余りにも高い。
街を救えば一つ星、大都市や国を救えば二つ星、人類の危機を救えば三つ星を送られる為、星を得る機会が少ないのだ。
その為、一つでも星を得ている者は英雄と言っても過言ではない。
ハンターとは英雄に憧れを抱きつつ、日々細々と魔物と戦い、薬草を採取し、護衛依頼を身体が衰えるまで続ける万屋だ。
衰える前に別の仕事を始めるか、若しくは魔物の腹に収まるかは運次第だろう。
透明人間の話し方から、彼が粗暴な者が多いハンターである事は大変疑わしい。
何より、ハンターの魔術師は研究等せず日銭を稼ぐ為に仕事に明ける者が大半であり、貴族のお抱えになれない落ちこぼれの研究等、身を結ぶ事は奇跡に等しい。
胡乱げに見やるマリィに気がつかぬまま、透明人間の彼の話は続く。
「身を守る術を模索していた所、ピクシーの文献を発見しまして」
「ピクシー。確かにアレらは身を隠す術を持っているけれど、使っているのは魔法よ。人間の貴方には使えないでしょうに」
「ええ、ですが、魔術で再現は可能ではと考えたのです」
「ふぅん、再現ね」
「ねぇ魔女、ピクシーって妖精?」
「妖精族とは違うわよ。ピクシーは、亜人じゃなくて魔物、肉食でそれも人肉を好んで食べるわ」
妖精族と聞いて首を傾げたルトに、マリィは説明を始めた。
妖精族とは体内に魔石を持たない透明な翅を持つ、ピクシー同様掌サイズの衣類を身に纏う小人だと。
理性と知性を併せ持ち、魔力により宙を舞う事が出来、脆弱な肉体を持つ反面、魔術を得意な特徴を持つ。
ピクシーは、体内に魔石を有する他、上位個体のハイピクシー等に統率される群れた魔物だ。
妖精族とは異なり、原色に近い派手な蛾の翅と、頭には触覚を生やし衣類は纏わない。
性格は獰猛でとても残忍だ。
姿を隠す魔法で獲物を待ち伏せし、強化した肉体で死角から群れで襲い掛かると言われている。
妖精族とは異なり、体外に魔力を放出する事が苦手なのか、鋭い歯での噛み付きが主な攻撃となる。
「ピクシーの集団に襲われた人間は、骨も残らないわよ。妖精族の様に子供と遊び、森に誘い込み、群れの元に連れて行くって絵本や物語が浸透する程には有名な話ね」
「怖いね」
「ええ。それで、姿を隠す魔法を擬似的に再現しようとしたのね。触媒は?」
「はい、ピクシーの翅と、鱗粉。そして、ハイピクシーの魔石です。論理的には、術者をピクシーで有ると世界に誤認させ、魔法を扱う条件を達成させようと……」
「その触媒では、上手く行かない筈ね。前提として間違っているけれど、ピクシーは姿を消しているのではないし、透明になっている訳でもない。彼女達は、魔法による擬態を身に纏っているのよ」
「擬態?透明になっていないのですか?」
「ええ、木の枝に似た昆虫は知っているかしら?ピクシーの魔法の色彩は、正に風景と同化しているの。だから、彼女達は動かない」
「擬態が、解けるから……」
魔術の間違いを指摘され、呆然としているのか透明な彼の動きが止まる。
自体の複雑さにマリィは顔を苦々しく歪め、喉を潤した。
「自身をピクシーと誤認させようにも、貴方の身体は大き過ぎる。何より、誤認させた所で貴方の魔術は発動する事が無いの」
「では、私は?」
「間違っていたとはいえ、貴方が模範しようとした魔法とは、感情の果て。この世の理から外れる術よ。制御を知らずに魔法を得た者は魔物に成るわ」
喉を鳴らす音が響く。
震えているのだろうか、カタカタと鳴る。
しかし、其処には誰も居ない。
「実際人間には、魔物と化した者は結構居るわ。私達魔女は、制御の仕方を継承しているから大丈夫だけど、貴方もこのままでは魔物と化してしまうわね、ご愁傷様」
「ま、魔物に……」
「ええ、魔法を得た者は理性を削り魔法を行使する。魔物の凶暴性が高いのは、動物とは違って理性が失われているからよ」
「で、ではその術を教えてくれませんか?」
「いやよ、魔女の秘術だもの」
何者も見えない空間から、呻き声が届く。
成功し得ない状況で、成功してしまったからこそ、彼は姿と引き換えに魔法を得たのだ。
本来のピクシーの魔法は、保護色による完璧に近い擬態だ。
つまり、どれほどピクシーの触媒を用いた所で、方向性が違うのだから、透明に成る訳がない。
しかし、目の前の彼は、本当に透明になってしまった。
魔法に至るまでの感情の振れ等、普通に生きていれば早々ある事では無い。
透明人間と話してみて、彼の精神がまともで有る事も分かった。
制御を知らずに魔法を得る者は、大抵は会話が成立しないのだ。
「精霊の悪戯ね」
ポツリと漏らしたマリィの言葉は、静まり返った部屋に響いた。
エルフに伝わる神話によれば、この世界は精霊に満ちているそうだ。
魔術の発動にも関係すると考えられている反面、その実体は観測出来ない。
時に職人や、魔術師が実力以上の成果を発揮した時は、気紛れに精霊が手を貸してくれたのだろうと、敬意と感謝を込めて精霊と悪戯と呼ぶ。
もしも、彼の魔術が魔法に至る可能性を秘めており、その時彼の感情が高まっていれば、精霊が後押しした事で奇跡を得てしまう事も十分考えられる。
「精霊の、悪戯ね。正しく、不愉快極まりない」
「魔女、魔女。何とか出来そうなの?」
「名前で呼びなさいったら」
「それで、治るのでしょつか?」
不安に潰れそうな表情が、その声の震えから伝わる。
同時に、彼に向けて投げられた笑顔が、ルトに不安を覚えさせた。
「直るわよ。これは、治療と言うよりも正しい状態に正すだけ。ただ、対価を貰うわよ?」
「払います!実験で使用していたピクシーの触媒は、魔法薬にも活用出来ると小耳に挟みまして、持ってきました。それと、私の全財産です!」
「まぁ、良いでしょう」
マリィは眉間にシワを寄せ、奇跡とはいえ魔法に至った彼の、凡ゆるしがらみに思いを馳せた。
すぐ様顔に伸ばされたルトの手を、身を捩って逃れる。
透明人間にピクシーの素材を用意する様に告げると、彼は鞄を携帯していたのか、物音を立てつつテーブルにそれらを並べて行く。
同時にならんだ金貨の枚数は数十枚にのぼり、一般家庭の家族が一生食うに困らない価値がある事をマリィは知っていた。
少し考えつつも、幾つか手に取り透明人間に目を閉じる指示を出す。
彼の頭上にピクシーの鱗粉を振りかける。
先ずは彼をピクシーで有ると、存在を誤認させ当時の状況に近づける。
彼は、後押しが有れば魔法に至る可能性が有ったのだ、それがどれ程強い力なのかは想像も付かないが。
大きなピクシーが居ると、思わせる。
姿を消す事は叶わない。
ピクシーの魔法は、唯の擬態だ。
世界に干渉出来る魔法は、奇跡だが万能では無い。
常に透明な存在等、この世界には存在しない。
彼の魔法は、僅かにちょっぴりとズレた世界に生きる事。
『小さな小さな妖精よ、貴方に逢いたいと私は願おう』
マリィから発せられた膨大な魔力に、男は身を固める。
永遠とも感じるその時間は、カチリと何かが噛み合う音が終わりを告げた。
椅子に座る青年は、金色の短髪に眼鏡を掛けており、未だ固く目を閉じている。
「終わったわよ」
「えっ!本当ですか!?」
目を開き、感動し涙を流す青年がマリィにお礼の言葉を告げるよりも早く、ルトが襟首を掴み引き摺る。
抗議の言葉よりも困惑が強く出ている彼は、そのまま玄関から放り出された。
放心する彼にルトは告げる。
「終わったから、帰って良いよ」
「え?いや、あの?」
「あと、次はもう無いから」
「ま、魔女様にお礼を……」
混乱しつつも彼が言葉を発しようとするが、溢れ出す闇にルトの形が崩れ去る。
目の前には、見上げる様に巨大な獣が立っていた。
本能的な恐怖に、彼は呼吸をする事を忘れる程に身体を揺らし、酸欠からか視界が闇に包まれる。
それからどれ程時間が経ったのか、目を覚ました彼が寝ていたのは、静謐の森に続く入り口。
一目散に街へと走る彼の姿を、木々の影からゴブリン達が見張っていた。
彼が目を覚ますより、僅かに時間が戻る。
森の家で、マリィはぐったりとルトに支えられていた。
魔法や魔術は、世界に干渉する程に必要なエネルギーが増えていく。
僅かとは言えズレた彼を此方に戻す事は、マリィの膨大な魔力を奪い尽くす程であった。
生物が魔力を失えば、死ぬ事もある。
それは不老不死を得た魔女にも適用され、その魔力を奪う事で魔女を殺す事が出来るのだ。
魔力が0に近づけば、生物は意識を失ったり、立ち眩みや頭痛、嘔吐感に悩まされる。
ピクシーの素材や金貨程度の為に、命は割に合わない。
身体に循環する魔力を急激に失った事で青い顔をする彼女に、ルトは口移しで魔力回復を促す魔法薬を飲ませた。
可能ならば、ルト自身の魔力を分け与える事でより安定するのだろう。
しかし、彼女の魔力を身に受ければ、途端に身体は破壊されてしまうだろう。
悲痛な顔で、体温が下がるマリィを抱きしめる。
「マリィ、マリィ。死なないで」
ゆらゆらと、輪郭が揺らめきながらも、加減を間違えないように優しく、優しく彼女を扱う。
森が闇に包まれ、月が頭上に登り、夜と朝の狭間になって、漸くマリィは目を開いた。
宝石の様な瞳に、ルトは安堵しつつ頬擦りをして、口に入った毛に嫌味を吐かれて漸く落ち着いた。
「ルト、姿を人にして頂戴。貴女の毛で、お腹一杯になりそうだわ」
「もう寒くない?」
「暑いわよ、貴女体温下げて頂戴」
「うん、うん!」
下ろされたマリィは、自らの魔力と体調を確認し、空になった魔法薬の瓶をみて、自分の技術に自画自賛する。
人形になっても擦り寄るルトを引き剥がし、魔術で身体を綺麗にした。
その後、朝食の用意に取り掛かるが、大柄な獣と化したルトにベットに押し戻された。
不満げに顔を顰める彼女に、兎肉のスープを手早く作り食べさせる。
ルトから匙を無理矢理奪い取り、失った魔力を取り戻す様に食べていく。
五杯程スープを飲み、作り置きされていた固めのパンを数個食べ、次いでに干し肉も幾つか食べて漸くマリィは落ち着いた。
途中からルトの目が遠くなっていた気がしたが、無視した。
「マリィ、マリィ。良かった」
「一晩中耳元で名前を呼ばれて、恥ずかしかったわよ。けれど、感謝してあげるわ」
「うん、うん!」
普段よりも近い距離に、数日はこの状態が続く事をマリィは経験から知っていた。
何を言っても必ず何処か触れている状態は、気恥ずかしいものが有ると共に、手洗いまで付いてくる事に今から気が重くなる。
朝食を終えて、ベッドの縁に座ったルトは、マリィにカップを手渡した。
「マリィ、どうしてあんな奴の為に無理して魔法を使ったの?」
ルトの問いに、困った様子で彼女は笑った。
「師匠との約束よ。大っ嫌いな1人を決めて、それ以外は誰が来ても治療すると」
「でも、彼奴の対価じゃ全然足りない。マリィの価値は、もっと重い」
「ルト、対価の価値は人それぞれよ。それに、これだけお金が有れば、ゴハンも買えるわよ?」
「マリィは、優しいね。でも、自分にも優しくしてね」
寂しげに笑うルトを抱きしめて、2人してベッドに横になる。
今日は休日にしよう。
二度寝をして、お昼に起きて散歩をする。
ゴブリンや、オークの顔を見にいくのも良いかもしれない。
心地よい体温が眠気を誘いながら、マリィはゆっくりと午後へと思いを馳せるのだった。
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