魔女と月夜
今回はお客様は来ません
扉が開くと、老婆は優しく目を細めた。
少女が歩み寄ってくると、小難しい表情を作り彼女を出迎える。
老婆の姿を見て、少女はこれが夢である事に気がついた。
しかし、2度と会えない彼女に出会えた事が嬉しくて思わず顔が緩んだ。
『小娘、魔法は決まったのかい?』
『はい、お師匠様』
『成る程ね』
『私はこれを、魔法にしました』
『そうかい、魔法とは奇跡。この世の法則すらねじ曲げる、その者の性。アンタらしいね』
『はい、ありがとうございます!』
『これで、アンタも一人前の魔女だよマリ×××……』
深い深い森の中、月が真上に来た夜の家。
長いまつ毛が僅かに揺れ、窓から差し込む月明かりを反射する。
ゆっくりと開かれた瞳は、月明かりを反射して輝いた。
「宝石みたい」
「……?」
かけられた声に意識が浮上し、マリィは椅子に腰掛けるルトを見やる。
彼女はマリィを愛おしげに眺めていた。
「ごめんね魔女、起こしちゃった」
「良いのよ、どうしたの?」
「ボクは何となしに目が覚めて、綺麗な月に寝てしまうのが勿体なくなったんだ。何というか寝てしまって、明日になってしまうのが、嫌で」
「付き合うわ」
身体を起こしたマリィは、寝巻きを正して履き物を履く。
ルトの格好はタンクトップにショーツという、自堕落な記憶に引き摺られた格好で、胡座らをかいている事をマリィは注意した。
「駄目よ、淑女がそんな格好したら」
「気を許している証拠だよ」
「なら、もっと名前を呼びなさいよ」
魔術でヤカンに水を入れると、魔導具のコンロに火をつける。
湯も魔術で生み出す事は可能だが、マリィは湯が沸くのを待つ時間が好きだった。
僅かな時間、自分を整理する事が出来るからだ。
ただ、今夜はお喋りな彼女の所為で、湯が沸くのもあっという間で考え事も出来ないだろうと、苦笑いが溢れる。
「スーパームーンって言うんだ」
「何がよ?」
「月明かりが、太陽の様に強い夜の事?いや月が近くて大きな事だったっけ?」
「2つも有るんだから、晴れてさえいれば何方は綺麗な月よ?」
「うん、ボクのいた世界では、月は1つしかなかったんだ」
「嘘」
「本当。ボク達のいる星は丸いし、ボク達の星は、太陽を軸に回っているし……」
「とても信じられないわ。それに、女神教にでも聞かれたら斬首ものよ」
「初めてこの論を唱えた人も、神々を信仰する者達に罰せられた。そもそも、ボクは自分の目で見た事無いから、本当の世界の形なんて知らないよ」
「うふふ。もしかしたら、実際は違うのかもしれないわよ。他人の知恵を絶対視するのも、信仰と変わらないわ」
ぽこぽこと、沸騰する音が響く。
立ち上がったマリィは、植木鉢の薬草を数種類千切り、軽く水洗いしてポットに放る。
お湯を注げば、薬草は鮮やかな緑色へと変わり、爽やかな香りが漂う。
穏やかな香りは眠気を誘い、欠伸したルトを見て優しげに微笑んだ。
「はい、出来たわよ」
「ありがとう、魔女」
「もぅ!お味はどうかしら?」
「美味しいよ、お店を開けるね」
「魔女なのにお茶のお店を開いたら、師匠や他の魔女に笑われるわよ」
「そう?意外とウケが良さそうだけど」
「……否定出来ないわね」
穏やかな一時を過ごしていると、ぼんやりとして何処かを眺めるマリィを覗き込む。
我に帰り、ルトと目が合った彼女は苦笑いを浮かべた。
「久しぶりに、師匠の夢を見たのよ」
「珍しいの?」
「貴女が来てから、見た事無かったもの。きっと、貴女が隣に居なかったからね」
「それは、それはお姫様。寂し思いをさせた様で」
「魔女よ、魔女」
「麗しいボクの魔女様」
「そこは、名前で呼びなさいよ」
「ごめんね、マリィ」
「許してあげる。さて、出掛けるわよ」
立ち上がったマリィは、外装を掴んで引っ掛けた。
採取用の肩掛け鞄を下げ、ランプに入った蝋燭に火を灯す。
ルトは何も言わずとも、指を鳴らすと闇が纏わり漆黒のセーラー服を形成する。
「何処に出かけるの?」
「ええ、丁度時期なのを思い出したのよ」
「時期?食べ物?」
「……ついでに、野草と果実も見繕うわ」
輝く瞳に呆れた様にマリィは続け、嬉しそうに率先と扉を開けて飛び出すルトを嗜める。
そもそも、ルトは行き先を知らないのだ。
「夜の散歩って、何かワクワクするよね」
「採取よ、採取。まぁ、否定はしないわ。1人じゃないもの」
魔女の長い杖の先端にランプを吊るし、ゆっくりと進むマリィとは対照的に、ルトは軽やかに歩む。
繋いだ手を放さぬ様に、時折マリィを支えながらも、獣達も寝静まった森を進んでいく。
月明かりで照らされているとはいえ、舗装されていない道無き道は、湿り気で滑り易い苔が夜の闇に紛れており、時折マリィの口からは小さな悲鳴が漏れる。
「ゴブリンや、オーク達も寝ているみたいだね」
「そうね、夜行性の獲物もいるとは言え、こんな時間は森も危険だもの」
「オーク達は夜目があまり効かないから、狩りは明け方から、ゴブリン達は夜目が効くから夕方からだから、確かに活動時間じゃないね」
「詳しいわね」
「それなりに付き合いが長いからね、隣人の事は知っているよ。ボクも農業について問われて、朧げな記憶から教えたから。ゴブリンの中には昼間に活動する者も増えてきているよ」
「ふぅん。種の強さも有って、オークは目立つ昼間でも活動に支障は無いから、そう言った生態になったのかしら?」
首を傾げるマリィは、草陰で月光を反射した瞳に気がつかなかった。
巨体であるオークよりも大きな影は、最初はマリィを捕食しようと様子を窺っていたが、ルトが抑えた気配を僅かに晒すと、踵を返し逃げていった。
草陰が揺れる音に目をやったマリィだが、風か小動物と判断した様だ。
勿論マリィでも十分対処可能な存在だが、野生の獣が本気で気配を消してしまえば、その道を生きる者で無ければ発見は難しい。
時折実る果実や野草を採取しながら、2人は木々が開いた小さな花畑に到着する。
花畑の隅で、ぼんやりと目的の月光草が淡く輝く。
「….…蛍!」
月に照らされる花畑は、ぼんやりと小さな光が飛び交っている。
ルトの言葉に、マリィは首を傾げた。
「アレは、月光蟲よ。月の光を身に蓄え、危険を感じると閃光を上げるの。蓄え切れない光が、ああして漏れ出ているのだわ」
「蛍じゃないんだ。前の世界では、臀部を発光させる虫が居たんだ。清流にしか住めないから、環境破壊と共に姿を消して行ったらしいよ」
「へぇ、どの世界も人は愚かなのね」
「人に淘汰される程度の生物なら、何れ環境の変化で消えてしまうと思うけど」
「自然は強かですもの。例え滅びようとも、朽ちた人から命が芽吹いていくわ。さて、あの光っているのが目当ての月光草よ」
マリィ達が歩み寄る事で、月光蟲達は羽ばたいていく。
月の光を浴びて、淡く輝く白い花をマリィは満足そうに確認した。
採取用の手袋を嵌め、シャベルを使って丁寧に月光草を根毎掘り起こしていく様を、ルトは隣で眺めている。
時折り近付く獣達は、ルトの気配にこの場を避けて行く。
取り過ぎない様に、群生地から数本採取し次の場所へと、転々と移動を繰り返した。
月が大分動いた後で、漸く採取は終わった様だ。
腰を叩くマリィを老婆の様だとルトが笑い、怒鳴られ閉口した。
「ルト、女性にその言葉は失礼よ」
「でも、魔女だって実際は良い歳でしょ?」
「そもそも、肉体の成長も劣化も止めてあるのだから、歳なんて意味がないわ」
「永遠の17歳、アイドルみたいね」
「アイドルって何よ?」
「偶像かな。生きる偶像、信仰に近いけど規律もそれ程厳しく無い宗教みたいな?難しいけど、憧れの塊みたいな」
「貴女の世界って、割と言葉の意味が曖昧なのね」
「ボクの世界って言うより、出身国の特色かな。曖昧を美徳とする国だった。例えば、月が綺麗ですね、とか」
「月?確かに綺麗だけれど?」
「うん!」
不思議そうに首を傾げつつも、マリィは荷物を手早く纏めて帰宅する事を告げる。
再び差し出された手を取って、2人は夜の森を帰路に就く。
歩きながらも、余裕の有るルトはマリィを見つめて尋ねた。
「月光草って何に使うの?」
「花は特に使い道も無いから、暫く飾る程度ね。葉は桃の香りがするから、良いお茶になるわ」
「それだけなの?」
「薬効が強いのは根の部分なの。採取依頼とかでは、目立つ茎から上とかを取ってくる人も居て、可愛そうな結果になる事が多々有るわ」
「ふーん、根って苦そう」
「苦いわね。花を咲かせた月光草の根には、月の魔力が蓄えられていて、風邪薬と言われているけれど、その本質は免疫力の強化に有るのよ」
免疫力って、この世界にも有る言葉なのか。
等と、ぼんやりと考えているルトを気にせず、気を良くしたマリィの口は止まらない。
「良く万能薬なんて言葉が有るでしょう?そもそも、全てに効果が有る薬なんて無いに等しいのよ。けれど、この月光草の根の効果は免疫力の強化。当に、万能薬と言えるのよ。満月の夜なら採取可能だから、手軽に手に入るのにこの効果、奥が深いわね更に、っきゃぁ!」
喋る事に気を取られ、足を滑らせたマリィを支えるルト。
踏み締められた苔達に感謝と敬意を送り、マリィを横抱きにして走り出す。
顔の近さにマリィは戸惑い、目論見通り静かとなる。
「マリィ、もう直ぐ家に着くよ」
「え、ええ」
下ろされたマリィは魔術で汚れを落とし、次いでとルトにも魔術をかける。
短く欠伸をして、ベッドに入ろうとするルトを尻目に、マリィは月光草を水に刺す作業を始めた。
落ち着きなく視線を彷徨わせながら、誤魔化す様に目蓋を落とすルトに告げる。
「あのね、紅い月の光を浴びた月光草は、毒草となるから気をつけるのよ」
「それ、今言う必要あるの?」
再び静寂が訪れた森は、明け方に向けて準備を始めるのだった。
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