婚約破棄後の悪役令嬢争奪戦
「お前との婚約は破棄する!公爵令嬢にあるまじき行為、決して許されぬと思え!家名剥奪の上国外追放だ!」
私の婚約者である王太子殿下がそう言い放ち、私は反論する間もなく、衛兵に引っ立てられた。
その姿を私のかつての幼馴染みたちや義弟もニヤニヤと笑って見つめていた。
平民上がりの伯爵令嬢が現れ、私はいつの間にか「嫉妬から伯爵令嬢を害そうとした悪の令嬢」と呼ばれ、こうして断罪されるに至った。
何もしていない、話したこともないと言っても何処からか証人が現れ、私の話に聴く耳を持つ者は誰一人いなかった。
実家では義弟が父を丸め込んだようで、公爵家の恥として一切の縁を切ると手紙を寄越すだけで誰も面会にも取りなしにも来てくれなかった。
婚約破棄から数日後、質素な馬車に乗せられ、国境の森に連れて来られた私は、わずかな水と食料だけで放逐されようとしていた。
車窓からは国境を表す標識が見える。
何もかも諦めた私は、降りる準備をしようと薄いマントを羽織り直した。
揺れが収まり、扉が開く。
「さあ、お降りください」
丁寧に馭者が手を差しのべてくれた。
この数日手荒い扱いしか受けてこなかった私はその優しげな声と仕草に目頭が熱くなった。
「……ありがとうございます」
もう貴族ではない私に、丁寧に接してくれた馭者の顔を見て私は瞠目した。
「マクシミリアン!何故貴方が!?」
馭者だと思っていた男は義弟のマクシミリアンだった。私を陥れて、ほくそ笑んでいた男だ。
「義姉様!いえ、フィオレンティーナ!やっと貴女が手に入った。さあ、あちらの馬車にどうぞ。貴女のために湖畔に屋敷を用意しました。粗末な馬車でさぞお疲れでしょう。もう大丈夫です。貴女のことは私が御守りしますから!」
意味が分からない。義弟は、伯爵令嬢に懸想していたのではないのか?あの娘の願いを叶えるために私を陥れたのだと思っていた。
だって、他の人は分からないけど、義弟だけは私が無実であることを知っていたのだから。でも彼は私の不利になるような証言しかしなかった。
「フィー、初めて会った時からお慕いしていました。王太子から何とか引き離したくて、貴女に辛い思いをさせてしまったことは申し訳なく思っています。でも、今後誰にも、二度と貴女を傷つけさせはしませんから、さあ、私と一緒に行きましょう!」
「巫山戯ないで!貴方、やっぱり私のことを嵌めたのね。許せないわ」
「申し訳ございません。これも愛ゆえです。しかし私は、あの証言だけで、義姉様は他の事は本当にされたのでしょう?」
あの証言というのは伯爵令嬢が野盗に襲われた時に私が家に不在だったというものだ。実際は私は公爵邸にいたにも関わらず。
「私は何もしていないわ!……っ!」
私は義弟を罵ろうとした瞬間、背後に気配を感じ息を飲んで振り向いた。
そこには銃を持った、幼馴染みの一人で宰相子息のヒースクリフが立っていた。
「マクシミリアン、フィーから離れろ。フィー、助けに来たよ。こっちにおいで」
「ヒース!」
「ヒースクリフ、なぜお前が!」
「フィー、ずっと好きだった。私と一緒に行こう。君を必ず幸せにする」
私は、ヒースの顔をじっと見た。その顔には切なさと愛しさが溢れたように恍惚とした色が滲んでいる。
でも私は彼の手を取ることはできない。
「……ヒース、断罪の時に貴方が読み上げた、私の罪状、捏造ばかりだったわよね。本気にしてたとは言わせないわ。だって貴方なら調べれば私があの娘と話したこともなかったことぐらいすぐ分かったでしょう?」
そうなのだ。私のものとされる罪状の中には、どう考えても私には関係しようのないものもあった。王太子妃教育を受け、影もつけられていた私だ。その影の管理は宰相子息であり、補佐でもある彼が担っていた。
影との報告と照らし合わせれば、すぐ私の無実が証明されたはずだ。少なくとも、私が直接彼女を傷付けることは不可能なことは一目瞭然だったろう。
「ええ、私は君があの論われた罪に一切関与していない事を知っている。でも、王太子から引き離す、またとないチャンスに目が眩み、君の名誉を傷付けたことはすまないと思っている……。だが、フィー、私たち二人が結ばれるためには仕方のない事なのだ。さあ、一緒に行こう。そして誰にも邪魔されない場所で幸せになろう!」
ヒースが私の手を掴み、マクシミリアンが私の肩を押さえた。
「危ない!」
私を抱き寄せようとしたヒースの首に銀色の輝きが振り下ろされる。
私は咄嗟にヒースを突き飛ばした。
「ちっ仕留め損ねたか」
「ロンバート!」
それはやはり幼馴染みの一人、騎士伯のロンバートだった。
「フィオレンティーナ様、遅れまして申し訳ございません、さあ、あちらに馬をご用意しております。安全な所に参りましょう」
ロンバートはマクシミリアンから私を引き離し、有無を言わせぬ口調で、私を抱き上げた。
「ちょっと降ろしなさい、ロンバート!大体今更何の用なの?貴方、あの令嬢と恋仲でしょう?」
ロンバートが一番最初に伯爵令嬢と仲良くなった。伯爵令嬢が私から害されていると訴え始めたのもロンバート自身だった。
伯爵令嬢の虚言を妄信して幼馴染みの私の言葉を信じなかったのはこの男なのだ。
「私はあの女とは一切、何もございません。ただあの女の訴えを利用すれば高嶺の花の貴女をこうして手に入れることができると思ったから、信じたふりをしたまでです。フィオレンティーナ様、心からお慕いしております。さあ、新天地へ参りましょう」
「まっ待てロンバート!」
「そうだ!義姉様を離せ!」
ロンバートを引き止めようとするマクシミリアンとヒースの二人を、ロンバートは私を抱いたまま華麗な蹴りで薙ぎ払った。
そのままヒースが落とした銃を足で踏み潰す。
暴発したらどうすんのよ!と呆れたが、ロンバートは人外のように事もなげに粉々にした。
悠々と私を抱きかかえて進もうとするロンバートの前に影たちが現れる。
「フィオレンティーナ様を離せ、ロンバート。そうすれば命だけは見逃してやる」
私にまだ影が付けられていたことに驚いた。ヒースの顔を見ると予想外のようだった。では一体誰が?
一瞬疑問が過ぎったが、ロンバートに隙が生まれた。私は身を捩ってロンバートの腕から抜け出した。
「フィオレンティーナ様!」
どさりと地面落ちて強かに背中を打った。でも気にせずに身を起こし、ロンバートの元から逃げて森の奥に走った。ドレスではない平民向けの粗末な服と靴は動き易く、何とか彼らと距離を開けることができて、茂みに隠れた。
「フィオレンティーナ!」
「ひいっ!」
息を潜めて隠れていたのに突然背後から囁かれ思わず変な声が出てしまった。
振り向けば、第二王子のオリヴィエ殿下がいらっしゃった。
「殿下!?どうしてここに?」
「フィオレンティーナを迎えに来たんだ。兄上のお嫁さんじゃなくなるのならぜひ僕のお嫁さんになってほしくて」
「殿下……」
私はやっと、信頼できる人と再会できた気がして少し気が緩んだ。
三つ下のオリヴィエ殿下はまだ成人しておらず、顔も女の子のように愛らしくいつも本当の姉のように慕ってくださっていた。先ほどの三人に比べて、裏切られたと不信になるようなことは何一つなかった。
「フィーにつけてた影がね。あの伯爵令嬢の不審な動きを報告してくれてたんだ。だからすぐに助けに来れたし、フィーを僕のお嫁さんにする手筈も整えたよ。さあ、兄上を廃して、僕が王太子になるよ。フィーの冤罪も晴らすから安心して僕の所にお嫁に来て!」
影をつけてた?先ほどのあれはオリヴィエ殿下の手の者だということか。それより、もっと気になる言葉があったわね。
「……伯爵令嬢が私を嵌めようとしていたことをご存知だったのですか?」
「うん!大体の計画を掴んで、フィーを手に入れるのにちょうどいいなあと思って、泳がせていたんだ。思い通りに進んで良かったよ!さあ僕のフィー、一緒に王都に帰ろう。これからは兄上の代わりに僕が一生守るからね!」
無邪気に笑うオリヴィエ殿下に恐怖を感じた。私を手に入れるために王太子殿下がこぞって騙されていることを無視した挙句に王位継承権簒奪!?オリヴィエ殿下って癒し系だと思ってたけど腹黒すぎる……。
私は迷った。影がそこら中にいる。オリヴィエ殿下から逃げることは難しそうだ。
でもこのまま、連れ帰られる訳には行かない事情が私にもあるのだ。
私は一計を案じた。
「殿下、暖かい言葉をありがとうございます。では一緒に王都に戻る前に顔を洗いたく存じます。
このすぐ先に川がありますので一度そちらに立ち寄ってよろしいですか?」
「そうだね。せっかくの綺麗な顔が泥だらけだもんね。いいよ。さあ行こう」
オリヴィエ殿下は私と手を繋ぎ、川の方に歩いた。
川の周囲は開けており、空が良く見える。私は屈んで顔を洗う振りをして笛を吹いた。犬笛のように人間には聴こえない音だ。
「ねえ。そろそろ行こうよ」
念入りに顔を洗っていると、オリヴィエ殿下が痺れを切らしたように私に声をかけた。それと同時に上空から羽音が聞こえてきた。
ああ、やっと来てくれた。
ワイバーンが滑空し、私を拐う。
「フィオレンティーナ様!大丈夫ですか!?」
「エリアス!来てくれたのね!」
私は竜を駆る男に抱きついた。彼は私の従者のエリアスだ。私が幼い時からずっと仕えてくれた人。そして最愛の人。
「エリアス、もう様はいらないわ。お願いだからフィーと呼んで」
「フィー……」
竜の上で私たちは口づけを交わした。
一度は諦めていたけれど、最愛の人とこうして一緒に歩める運命に辿り着いた。
伯爵令嬢の不穏な動きや私が断罪され国外追放されるだろうということは事前にある程度分かっていた。
やってもいない罪を尤もらしく積み上げられていく恐怖に疲弊していた私の心を救ってくれたのが、エリアスだった。
彼は私が追放されたらすぐ迎えに来てくれると約束してくれた。他国で一緒に暮らす算段も取り付けてくれた。
もしそれがなかったならきっと私は絶望のあまり自害していたことだろう。
「フィー、愛しています」
「エリアス、私も、愛しているわ」
竜騎士として他国に亡命したエリアスは、後に功績を挙げ、騎士伯として領地も与えられ、私たちはさしたる不自由もなく、子供たちにも恵まれる幸せな人生を送ることができた。
私の母国では、オリヴィエ殿下が既に伯爵令嬢の虚偽証言を暴いた後で、彼女とマクシミリアンは公爵令嬢を陥れた罪を償うことになったという。ヒースも不正を見抜けなかったということで降格され、ロンバートはあの森で命を落としたのか行方不明とのことだった。王太子殿下が廃されることはなかったそうだが、新たな王太子妃候補選びに苦戦し、悪条件で隣国の姫を娶ることになったと聞いている。
それももう私には関係ない話ではあるけれど、側近にこぞって裏切られていた王太子殿下が、早いうちに人事を刷新できたのはきっと国にとって良かったことだろう。
そんなことを思いながら私は今日も愛する人にキスをする。
了
お読みいただきありがとうございました!
王太子は訴えられた罪を裁いただけのつもりで
伯爵令嬢とは特にまだ特別な関係にありませんでしたので念のため。
伯爵令嬢はフィーを陥れてからゆっくり王太子を狙うつもりだったと思われます。