逃げていった一週間分の給料
「嬢ちゃん一人かい? どうしたんだ、こんなところで。ここは女が一人で出歩くような場所じゃないぜ?」
男はこちらに視線を移すと、やけにじろじろと眺めてくる。
まるで品定めされているかのような目に、良くない居心地が更に悪いものへと変わっていく。怖い、気持ちが悪い、早くなんとかしなければ、そんな想いが自分の中で渦巻いてくる。
男が袋から手を離して見ているからか、もぞもぞと子供が中で暴れているのが見て取れた。どうかあのまま上手く外へ逃げ出してくれないものかと、ハラハラしながら心の中で願う。
「……いえ、あの、道に迷ってしまって。どこに向かえばいいのかわからなくて、困っていたんです。現在位置を教えてくれたらなぁ……なんて思ったりしていて」
「そうか、そうか。道に迷っちまったのか。この辺りの子なのかい? いや、それとも良いとこのお嬢さんかな? 身なりや佇まいは立派に見える」
「お嬢さん!? いえいえいえ、そんなまさか! 一般庶民の、どこにでもいる普通の女子高生です。良いとこのお嬢さんだなんて、そんなお膳たて……」
褒めているのではなく、逆に皮肉めいたことを言われているのではないかと思うものの、適当にあしらう。
だが男はジョシコーセー? と首を捻っていた。なにか腑に落ちない様子にも見え、制服も着ているのだからどこからどう見ても女子高生だろうがと内心突っ込みを入れつつ、秋葉は男を眺めていた。
まるで女子高生という言葉そのものを理解していないようにも見えてしまい、逆にこちらが不安になってくる。知らないなんてこと、あるのだろうか。すっとぼけているだけなのではないか。
まさかとは思うが自分が中学生……もしくは小学生に見られているのではないかと一瞬頭を過ぎるものの、さすがにそれはないだろうと考えを振り払った。そんなことを認めてしまえば自分が傷つくだけだし、幼く見えるのは十分に自覚しているため、決して認めたくはないからだ。
(話してみると歳の割に落ち着いているって言われるし、問題は外見なんだよね。メイクしているわけでもないし……)
男の注意がこちらに向いている隙をついて子供が袋から顔を覗かせ、きょろきょろと周囲の様子を窺っているのを確認する。
もしかするとこのやり取りが続いている内に、少年はあのままあそこから逃げ出そうとしているのではないだろうか。
出来ることならそのまま逃げてほしいと、男に視線を向けている振りをしながら秋葉は一人焦る。それにはなんとしても自分が時間を稼がなくてはならないだろう。
男は袋への興味を無くしてしまったのか、背後を気にする素振りすら見せなくなった。
ならばこのまま無駄なやり取りを続けるだけだ。子供が逃げ出した隙にこちらもタイミングを見計らい、互いに別方向に走り出すのもいいかもしれない。出来ることなら、自分が相手を引きつける形で。
秋葉は頬を引き攣らせながらだが、誤魔化すように微笑んでみせた。
「しかし黒髪に黒の瞳だなんて珍しいな。嬢ちゃん、本当にこの辺の子かい? アンタみたいな目立つ子、見かけたことなんてなかったけどなぁ。まさかどこか他の大陸から連れ去られて逃げてきた、なんてワケ有りじゃないよな?」
他の大陸、という言い方に少しの違和感を覚えるものの、なにやらおかしな勘違いをしているのではないかと特に気にすることもなく、言葉を返す。今まで日本で過ごしてきて外国人に間違われたことなど、一度もないのだが。
秋葉は自分の姿を見下ろして、思う。我ながら見るからに日本人という容姿でしかない、と。
「あの、日本人です。見たままの、日本人なんですが。そんなふうに見えますか?」
「ニホン? 聞いたことがねぇなぁ。まだ俺の知らない国もあるってことか?」
「えーと、そもそもここが日本だと思うんですけど。それよりも、どこへ向かえば家はありますか? もう少し民家のあるほうに近づけば、携帯の電波も入るはずなんだけど……。電話も使えないしで、困っていて」
デンワ? デンパ? とまるで不思議な言葉を聞いたかのような反応を見せる男は、また先程と同じように首を傾げている。なにをそんなに首を傾げる必要があるのだろうかと秋葉は不安になった。
馬鹿にされているのだろうか。特におかしなことなど言っていないし、当たり前のことを聞いているだけの秋葉のほうが、そのリアクションに困ってしまう。初めて耳にした言葉でもあるまいし、このご時世、携帯電話を持っていない方が珍しいような気もするのだが。
だが本気で通じていないであろう男の頭には、ハテナしか浮かんでいないように見える。本当にわからないのだと唖然とするしかない。
これはこれで確かに時間は稼げるのかもしれないが、それ以上にこちらの不安も煽られていくようで余計に緊張してしまう。自分の状況もわからずに、だが子供も助けなければいけなくて、頭の中が更にぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。
難しい顔をして考え込んでいると、何を思いついたのか男は急に大きな声を上げて笑い始めた。
「ははっ、もしや嬢ちゃんも錬金術師とか言い出すんじゃねぇだろうな? あいつらも言ってることがちんぷんかんぷんでよくわかんねぇんだ。目的が金儲けってところは同じかもしれねぇんだけどな」
――――錬金術……?
今度はこちらが首を捻る番だった。なぜそこで錬金術という言葉が飛び出してくるのか、理解不能だ。
錬金術というのは、あの錬金術のことだろうか。小説やゲームなどでよく耳にする、色々な材料を組み合わせて調合し、様々な物を作り出す、あの錬金術。
確か、金やエリクサー、賢者の石を創り上げることを最終的な目的としているのだったか。秋葉の知識ではこんな程度でしか知らないのだが、現実で実際に錬金術に手を出している人間など、はたしているのだろうか。
いや、ありえないだろう。自分で考えておきながら言うのも何だが、まずありえない。黒魔術や、西洋術ならありえるかもしれないが。
男の言葉を反芻して、つい眉間に皺を寄せながら考え込んでいると、咄嗟に子供が袋から抜け出し、そこから一目散に逃げ出していった。
「あ」、と声を出した時にはすでに遅く。
男が黙って振り返り、気を取られていた秋葉も特に反応することができず、その小さな背中を黙って見送る形となる。
あまりの手早さにぽかんとしていると、子供の姿はいつの間にかそこから消えていた。まるで魔法でも使ったのではないかと思えるぐらいのスピードで、子供はその場から一瞬で姿を消してしまった。
男と二人取り残され、完全に逃げるタイミングを失ってしまう。男は尚も突っ立ったまま、子供の消えた方向を見つめていた。
錬金術のことで頭が埋まっていた秋葉は、しばし考え込む。困ったなぁ、と。あぁ、どうしようと。
子供が逃げるのは当然のことではあるが、もう少し後から逃げ出すのかと思えば今の今で去っていくとは。さすがに予想をしていなかった。
どうにも気まずい雰囲気がこの場を覆っていくので、落ち着かずに視線を泳がせるよう動かすと、つい男と目が合ってしまう。瞬間、心臓が痛く跳ね上がった。
男はおどけた顔をして、子供の逃げた方向を顎で指す。
そうですね、そっちに向かって逃げていきましたね、私も見ていましたので言われずともわかります、とその様子に苦笑いすることしかできず、肩を竦めてみせた。
そのついでとばかりに踵を返し、自分もさっさと逃げ出してしまおうと試みるも、男に強引に髪の毛を掴まれてしまう。反動で痛みが走り、顔を顰めた。
「――――っ」
「どこに行くつもりだよ、嬢ちゃん。あーあ、見てみろよ、変なことばかり言ってるからせっかくの商品が逃げていっちまったぜ。どうしてくれんだよぉ? 俺の一週間分の給料みたいなもんなんだぜ、アレ。お金が飛んでいっちまったよ、生きていけねぇよ、今日の飯も食えねぇよ」
「……っ、子供を売ってお金を稼いでいるの!?」
「子供だけ、ってわけでもねぇんだけどな。大体整った顔をした女子供は高値がつくんだよな。モノによっては半年ぐらい食い扶持に困らねぇ価値のモンもある。それが精霊や妖精の類となれば、更に金額は倍だ」
男は人攫いだと自分で認める発言をした。だが秋葉はすぐには信じられなかった。
この世の中、人攫いなどして金を稼げるわけがない。身代金を要求するならば話は別だが、誰かが通報すればすぐに警察が動くし、ある意味こんな目立った恰好をした男がそのまま野放しにされているはずもない。
誘拐されたのかもしれないと勘づいた家族や知人が通報もせずに放置しておくだなんて話、あるのだろうか。




