【?】女の犬になった哀れな子供
* * *
使われなくなった工房の中から、慌てた様子で子供が一人飛び出してきた。こんな夜だってのに、わたわたと転がりそうな勢いで外へと向かい走り出していく。
そういえば、この家にはあのガキが住んでいるんだった。
興味がないから名前までは知らねぇが、確か地にまで評判が落ちた子供だ。最近姿を見ていなかったが、意外にも元気そうじゃねぇか。痩せ細った感じにも見えねぇし、きちんと飯は食ってるみたいだな。
あの歳で、この国でこれからを生きていくには、ガキにとって相当辛い出来事だったに違いない。隠れるように、鼠のように、コソコソと暗い場所で生きていくのは苦痛でしかないだろう。
だが気にかけたところで俺にはどうしてやることもできない、だから特に意識したこともなかった。こう言っちゃなんだが、ありゃ自業自得だったからな。
自分の責任は自分で取るしかないんだ。それが筋ってもんだからな。
いや、ガキのことも気になるが、それよりも今はどうにかしなきゃならねぇことがある。
まず、この目の前に広がる惨状だ。今回は盛大にやらかしちまったからな。工房の中からは未だもくもくと黒煙が噴き出し続けている。
もう言葉を失うぐらいにはご近所さんに呆れられているだろうが、後で詫びに挨拶回りぐらいしなきゃいけねぇだろう。やれやれ、まぁこれも他人のことは言えず自業自得だ、仕方ない。
散らばった破片なんかも片付けなければいけないだろう。恐らくこの様子じゃ、部屋ん中も真っ黒だ。異臭を引き起こさなかったのがせめてもの救いではあるが。
やっぱり新しいことに手を付ける時はもっと慎重に作業しなきゃいけねぇな、反省。何年経っても初心忘るべからず、ってやつだな。
そういえば、ともう一度向かいの工房を振り返る。
あの子供は一人でこの家に住んでいたはずだが、いつの間にか同居人でも出来たんだろうか。なにかが住み着いていやがる。
さっき、確かに窓の辺りに誰かが立っていたような気がするんだが。暗くてハッキリとは見えなかったが、見た感じ背格好は女だったと思う。いや、あれは女にしか見えなかった。
まさか自分の境遇にやさぐれて、ガキのくせに女を連れ込んで夜な夜な遊んでいるんだろうか。
そこまで落ちぶれちまってるんならさすがに気の毒になるっつうか、俺はバツが悪そうに頭を掻いた。
だが女も女だ、この辺りで暮らしているならアイツの話も知っているだろうに。金も持ち合わせていない子供相手に集ろうとしているのなら、止めてやるのがせめてもの道理だろうか。気にかけていないと言いながら、こうして気にかけてやっているのもおかしな話だがな。
しかし年頃の男と女が一つ屋根の下で暮らしているっつうのもな、やっぱどうかと思うわけですよ。なにかあったら責任取れるのかねぇ? いやいや、取れるわけがねぇや。やさぐれすぎて更におかしな方向へ進んでいかねぇといいが。
難しい顔をして向かいを睨んでいれば、また工房の中から小さな爆発音が聞こえてくる。こっちはいつになったら落ち着くんだ、と肩を落とした。
もしこのまま一晩中爆発しっぱなしだったとすると、最悪の場合営業停止だなんて事態に陥るかもしれない。そろそろ目を付けられている頃だしな、しばらくは新しいことに手を出すのは避けた方がいいのかもしれん。こうしてここで見上げていたところであの子が顔を覗かせるはずもない。
これ以上隣の住人に睨まれないよう、魔力を使って無理矢理にでも抑えなきゃな。
ガキに集ろうとする女に一言注意してやるとしたら、外へ出掛けるその時だ。余計な世話かもしれんが、それもあの子供のためになるだろう。周囲に助言してくれる奴もいないんだろうな、かわいそうなことに。
しばらくすると、先程バタバタと飛び出していったガキが手にミルクとなにか袋を持ってまた慌てた様子で家に帰ってきた。
買い物に出掛けていたのか、こんな遅くになってから。肩で息を切らして、なにをそこまで必死に。
人目につかないよう時間を選んで外へ出たようにも見えねぇし、まさか女にいいように使われてるんじゃないだろうな。
もしそれが事実だとしたら、なんて哀れなヤツなんだと俺は額を押さえながら視線を自分の工房へと戻した。十代半ばぐらいの子供が、すでに女の犬に……それじゃこの先、もっと生きづらくなるだけだぜ。
犬になるにはまだ早い、そう懸念しながらゆっくりと詠唱を始める。
お隣さんから、殺意を向けられる前に。これ以上巨樹を黒に染めないように。