負けず劣らずの変わり者
鍵を開ける音が聞こえ、秋葉は顔を上げた。
そのまま階段を駆け上がる足音に、スレイヴが帰ってきたのだと安堵し、胸を撫で下ろす。
「おかえりなさい」
声をかけると、スレイヴは大きく目を開き、一瞬驚いたように動きを止めた。
なにかおかしなことを言ってしまっただろうかと、秋葉も同じように動きを止める。
しばらく互いに顔を見合わせることなり、スレイヴは呆けた後、困った顔をしながらはにかんだ。
「ご、ごめん。誰かにおかえりなさいだなんて言われるの、久しぶりすぎて驚いた。そうだ、アキハがいるんだった。忘れたわけじゃないのに、不思議な光景で。お、おかえりなさいか……あはは……」
「いえいえ。それよりも、大丈夫なんですか? そこの家」
「え?」
秋葉がカーテンの向こう側を指さすと、スレイヴはそれだけでなにか察したのか「あー」と呆れたような声を出した。
「もしかして、また爆発でもしてたのか?」
「また? また、って」
「そこの家も負けず劣らずの変わり者だからなぁ。よく調合を失敗しては爆発をさせて、アキハが見たような煙を巻き上げてるんだ。錬金術師なんだよ」
錬金術師、と繰り返し言葉を続ける。
錬金術師という職業は一つの街に、そんなにたくさん存在するものなんだろうかと秋葉は先程の男の姿を思い出す。随分やる気が無さそうに見えていたが、窓から見えたあの人物も錬金術師だったのか。見た感じでは服装などもそれっぽくはなかったが。
秋葉が顎に手を当てながら考えていると、スレイヴがさりげなく紙袋を手渡してきた。「ん?」と紙袋に視線がいく。
「……? えっと、これは」
「お土産」
お土産? と首を傾げる。中を見てもいいかと訊ねる仕草をすると、どうぞ、と進めるように手でジェスチャーを返された。
向こうの世界でも見慣れていた普通の茶色の紙袋だ。意外と軽いので書物などではないだろうが、一体なにが入っているのか。
ガサガサと音をたてながら袋を開けてみると、中にはフードのついたルビー色の紅いローブが入っていた。わぁ、と驚き小さく声を上げ、秋葉はローブを広げて眺めた。
「ど、どうしたんですか、これ」
「アキハの格好は目立ちすぎるから。しばらくはこのローブを羽織って行動してくれ。出掛ける時は必ず俺に声をかけること。髪の毛と瞳の色を隠す粉をかけるから、一時的にではあるけど好きに外も動けるようになるぞ」
「そんなこともできるんですか!?」
「まぁ、それぐらいならだけど。逆にアキハの世界はそんなことすらできなかったのか?」
「え? うーん……あることにはありますけど、髪の毛を染めたらしばらくそのままでいなきゃいけないし、瞳の色を変えるならカラコンを買わなくちゃいけないしなので」
カラコン? と聞き慣れない言葉なのかスレイヴは不思議そうな顔をしてみせた。
錬金術で姿を偽ることができてしまうならカラーコンタクトなど必要ないだろうし、コンタクトの話をすると色々と説明しなければいけないので、秋葉はただ笑ってその場を誤魔化したが。向こうでは当然あった物がこちらでは無いのだ、通じるはずもない。話す時は気をつけなければと、秋葉は心の中で頷いた。
「少しではあるけど、金もある。アキハがしばらくここに住むなら必要な物も出てくるだろ? だから街の探索がてら、買い物に出掛けてくるといいよ」
「……そこはスレイヴさんが案内してくれるんじゃないんですか?」
「俺? 俺は……」
またスレイヴの顔に暗い影がさしたように見え、秋葉は少し気になった。
「俺が並ぶとアキハがなにを言われるかわからないから、一人で行ってくるといいよ。ごめんな」
スレイヴはそう言うと、すぐに気まずげに顔を逸らしてしまった。
(――――なにを言われるかわからないって。本当に、一体なにをしでかしたの……? 犯罪?)
だがそんなことを聞けるはずもなく、この話はここで終わってしまった。
スレイヴは切り上げるように窓のほうへ向かっていくと、先程の秋葉と同じようにカーテンから顔だけを覗かせて、外を眺めている。
その背はやはりこれ以上踏み入ってこないように拒絶しているようにも見て取れ、複雑になった。
しかしスレイヴの瞳には寂しさが潜んでいる気がする。
秋葉の憶測でしかないが、その背にも哀愁が漂っているようにしか見えず、なぜか胸がざわざわとした。
この簡素な部屋が彼の中にある寂しさを嫌に醸し出しているのかもしれない。きっとしばらく、一人で生きてきたのだろう、と。
今は自分のことで手が回らずそれどころではないけれど、いつか心に余裕ができた時。もう少し、彼との距離が縮まった時。話を聞くことができればいいと秋葉は思う。
秋葉が天井を仰ぐと、スレイヴの視線がこちらに移されたような気がしたが、考え事をしているせいかその気配に気づくことはなかった。秋葉は疲れたとばかりに、大きく息を吐き出した。
壁に掛けられている時計の針を見てみると、時刻は七時近くを指している。
外が暗いせいもあり、秋葉の中では常に夜なのではないかと錯覚してしまうほど時間の感覚が狂っているが、おそらく十九時頃で間違いないだろう。
異世界の時計も元いた世界と同じ作りのようで数字の表記も同じため、その辺りはきちんと把握することができた。
文字は違うのに、なぜ数字だけは同じなのか。困ることはないが、その辺りは深く考え出したらきりがない。同じなら同じで、それでいいのではないかと自分を納得させる。
都合のいい解釈ではあるが、その辺りはなにかとこちらの都合に合わせてくれているのかもしれない。ただの偶然かもしれないが、今はそれでいいのだと秋葉は考える。
時間も経ち、そろそろ落ち着いてきた秋葉はもう一度きょろきょろと部屋の中を見渡した。
特にこれといって何もすることがないので、ただ黙って座っているのも疲れていた。しかし部屋の中に目新しいものは見つからない。さすがにこんな時間から貰ったローブを羽織り、一人出掛けるのはアウトだろう。
時間を潰せるものがあればいいのだろうが、この調子で本当に向こうに戻るまでの期間を耐えていけるのだろうかと自分のことなのに不安にもなってしまう。
スレイヴがいる手前、あまりスマホを使うのも気が引けてしまう。さてどうしたものか。
そわそわしていると、突如部屋の中にぎゅるるると妙に間抜けな音が響いてしまった。やけに大きな音だった。
秋葉は頬が引き攣り、顔が真っ赤に染まっていくのがわかる。今のマヌケな効果音の犯人は、自分の腹だった。そういえば昼に校内の購買で買ったパンを食べてから、お茶以外なにも口にしていなかったのだと思い出す。
慌てて腹を押さえるものの、すでに一度漏れた音は隠せるはずもなく。
焦ったまま勢いよくスレイヴのほうを振り向けば、ばっちりと目が合ってしまった。年頃の少女の腹から大きな音が漏れ出してしまったのだ
、恥ずかしすぎてこのまま倒れてしまいたくなる。
スレイヴは苦笑いを浮かべていた。
「……あー、もしかして、トイレ?」
秋葉はさらに頬が引き攣った。なぜそうなる、と思わず突っ込みそうになった。
大きな音を出し、尚且つ秋葉が腹を押さえてしまったことで下しているのではないかと思ったのだろうか。
違う、そうではない。察してほしい、腹が空いただけなのだが。
だがそうハッキリと言えるはずもなく、秋葉は脱力して肩を落とした。
あ、とスレイヴがなにかに気づいたように声を上げたので、視線だけは彼のほうに向けてあげた。
「そうだよな、もうこんな時間だもんな。俺一人だと何も食べないから忘れてたけど、普通は飯を食う時間だ」
「……は? 食べないんですか!?」
「あぁ、まぁ。食べようって気にならないんだよな。だから水で胃を満たして終わりというか、お茶を飲んで耐えるといいますか」
「と、年頃の男の子が……っ、信じられない! それじゃあ大きくなりませんよ!?」
う、とスレイヴが図星を突かれたような顔をしてみせた。
スレイヴも秋葉と同じぐらいの歳なのだろうが、それなのにあまり背丈が変わらないところを見るともしかすると彼も彼なりに気にしているのかもしれない。
ここに家族もおらず一人きりで生活しているのだ、不摂生にもなるだろう。