小さなライブハウスのような場所で
少しの距離を歩くと、段々と人の賑わう声が聞こえてくる。
たくさんの足音、人々が言葉を交わし、競り合うようにこの場に響き渡る大きな声。時折鼻を掠めていく、食欲をそそる香ばしい匂い。グラス同士がぶつかる音が聞こえたかと思えば、人心地つくような溜息が続いた後に、ジュージューと野菜や肉を焼く美味しそうな音まで耳に届き、秋葉は思わず生唾を飲んでしまう。
目で見ることができない分、音と匂いで想像してしまい、堪らず涎が出そうになった。
ここは一体どこなのか、商店街のど真ん中を歩いているような気分になり、好奇心が顔を覗かせていく。
今マントを除いたら、目の前にはどんな光景が広がっているのだろう。こっそりとその隙間から覗いてみたくても、スレイヴが少しのズレも許してはくれない。注意を払い、わざわざ深く被せ直し、用心深く頭まで押さえてくれるのだ。
雰囲気に不安が薄れていきそうになるも完全には拭いきれず、秋葉はとにかく緊張しっぱなしだった。
それでもどうにか心折れることなく歩いていると、誰かの何気ない言葉がふと耳に入る。
「……あれ、スレイヴじゃないか? ほら、例のあの」
続けて、先程とは違う声が聞こえてくる。
「あら本当、まだここにいたのね。久しぶりに見かけたような気がするんだけど。よく平然と歩けるものねぇ」
秋葉の肩に置くスレイヴの手が、ぴくりと僅かに反応を見せたような気がした。
「俺だったら恥ずかしくて、とてもじゃないが外に出る心境にはならないがね。とっとと他の大陸に逃げちまうさ。あれからもう何ヶ月も経つが、余程図太い神経をしているに違いない」
「評判も地に落ちたものね。もう誰もあの子を信用なんてしていないでしょう。仕事さえなくなって、家族にも勘当されて、ホント哀れな子」
ひそひそと、だが確実に聞こえるように話している。
スレイヴのことを言っているようだが、秋葉にも聞こえているのだから当然彼自身の耳にも届いているはずだろう。
そういえば先程スレイヴがなにか言っていた気がする。お姫様を救うこともできずに生き恥を晒す結果を招いた男がどうの、と。
彼は自分の名を名乗る時でさえビクビクとしていた。秋葉の様子を窺い、その瞳には怯えた色さえ浮かんでいるようだった。街に名を轟かせる程の大きな何かをやらかしてしまったということなのだろうか、それもあまり良くない意味で。
聞いてみたい気もするが、会ったばかりの秋葉がそれを訊くのはさすがに図々しいかもしれないと感じ、好奇心に蓋をかぶせた。あまりにも無神経だ。
彼は平気なのだろうか。こんなことを陰で言われながら街中を歩くというのは。
スレイヴの様子を窺いたかったが、マントの隙間から顔を覗かせようとすればやはり上から押さえられてしまった。無理だった。
「……着いたぞ」
肩を叩かれ、はっとする。
足を止めると、いつの間にか前に回ったスレイヴが秋葉の耳元に顔を寄せ、声を潜めながら言った。
「俺の後ろに隠れて、見てほしい。決して顔は出さないように。いいな?」
「……はい」
「もし気分が悪くなったら、俺の背中を叩いてくれ」
スレイヴはそう言うと、前を向き直った。
彼に言われた通り、秋葉はその背に隠れつつ、目だけを覗かせる。
するとそこにはたくさんの人が集まっていた。その前にはステージのようなものが用意されており、上下にはランプが設置され、よく見えるようにライトアップされている。
まるで小さなライブハウスで行われるイベント会場のようだと思った。ステージ前には人だかりができていて、何やら声を上げて騒いでいる。
スレイヴの影からしばらくステージを覗いていると、そこにスーツに似た服を着ている一人の男が現れた。その後ろにはボロボロになった布切れのような薄汚い服を着る若い女性と、中年の男が続いて歩いてくる。
一体なんのショーが始まるのだとワケもわからず眺めていると、秋葉はそれを見て、ぎょっとした。
二人の首には首輪、手枷が嵌められ、逃げられないようにするためなのか足が鎖で厳重に繋がれていたのだ。なにか気分的に良くないものが続くと察し、秋葉は自然とマントを強く握り、その背に身を潜めてしまった。
先頭になり歩いてきた男が、ステージ前に群がる人々に向かい堂々と大きく声を上げた。
「今回の商品はここに並ぶ男女の二人です! 女に至っては窃盗癖を持ち、何度も盗みを働いては捕まり、それでも懲りずに繰り返し続け、犯罪奴隷者にまで成り果てました! 身体に肉はあまりついておりませんが、病気は持ち合わせておらずまだ歳が若いです! まずはこちらから始めましょうか! 愛玩、家事、重労働、この若さならばいくらでもこなせましょう! 一ベルから始めます! さぁ、女を買いたいというお客様がいらっしゃれば挙手をして、金額をどうぞ!!」
男が手の平サイズの小さな鐘を掲げ、ガラガラと音を鳴らし始めると、ステージ前で見ていた数人の男達が次々と手を上げ金額を叫んでいく。ベルというのはこの国の通貨で間違いないだろう。
これがよく小説などで読んだことのある、奴隷市場というやつなのだろうか。
男の言葉通りに受け止めれば奴隷を競りにかけて、それを見ている金持ち同士が値段をつけあい、見栄を張るためにこの場を使い、競い合っているのだ。しかも犯罪歴のある女を相手に、だ。
窃盗のような軽犯罪であれば罰金を支払えば解放されることもあるようだが、その罰金を払えなければそれは犯罪者奴隷として扱われ、こうして罰を下されることもなく闇市場へと送り出されるのだと何かの本で読んだことがある。世界は違えど、その基準は変わっていないということなのだろうか。
女の競売が終われば、次は隣にいる男に変わるのだろう。客の中には所謂マダムと呼ばれるような女性も何人か混ざっているのが見えた。
ステージの上に立つ女は客を前にして、ブルブルと子犬のように体を震わせていた。これから自分の身に降りかかる出来事を想像し、怯えているのだろうか。
スレイヴは振り返ることなく、秋葉に向かい話しかけた。
「アキハがあの時捕まっていたら、この奴隷達と同じような目に遭っていたかもしれない」
「わ、私も奴隷に……!?」
「奴隷といっても、たぶん愛玩目的だろうけど。その見た目だから、貴族達が好むかもしれない」
「こ、こんな……どこにでもいる容姿なのに……」
「この世界では珍しいの。なんていうか、妖美だろ? その漆黒が人の心を惑わすような悪魔の色にも見えるし、誰も寄せつけない気高さを感じさせるようにも見える」
「はい!? 私が!? そんなふうに!?」
「じ、実際はそんなこともなく、普通に可愛らしい女の子だったけどな……」
最後のほうはごにょごにょとしていてよく聞き取れなかったが、スレイヴが耳まで真っ赤に染めているところを見ると、なにか良くないことを言ってしまい慌てて訂正しようとしているのかもしれないと秋葉は捉えてしまった。残念ながら、肝心な部分は彼女に伝わらなかったようだ。
そんなことにも気づかず、スレイヴは照れを払うようにぶるぶると頭を横に振っている。
「と、とにかく! だからアキハみたいな女の子はこの辺りを一人でうろついたら危ないんだ! わ、わかったか?」
そう言われ、秋葉はつい項垂れてしまった。
(そんなふうには言うけど、だとしたら、どうやって自分で帰る方法を見つけたらいいんだろう。他力本願? 誰に? 今日会ったばかりの、この人に? それはそれで頼りきってもいいのか不安だ……)
だが自分で道を切り開くことができない以上、頼れるのはスレイヴしかいない。
どこか崖から突き落とされたような気分になり、秋葉のテンションは地面の辺りにまで落ちていった。
背を向けてオークションを眺めていたスレイヴが向き直り、「今度はこっち」と秋葉のことも同じように肩を掴んで体を後ろに反転させ、背を押した。
次は一体どこへ向かおうというのか。