途切れた物語
むかしむかし、たった一人で、この広い世界を自由に旅する少年がいました。少年の名は、スレイヴといいます。
スレイヴは十三の歳で家を飛び出し、世界を知るために旅を始めました。
錬金術士である両親は彼に家業を継いでほしいという想いが強く、家を出ていくことに反対をしていましたが、スレイヴは社会勉強という名目も兼ねて上手く説得し、渋々ではありますが両親を押し切ることに成功しました。
困っている人を見つければ手を貸し、人々を脅かす魔物がいれば退治し、お金が無くなれば仕事をして、毎日寝泊まりする場所を探したりと、一人で旅を続けていくのはとても大変です。
だけどスレイヴはそんな日々がとても新鮮で、一度も苦に思うことがありませんでした。
数ヶ月もすればそんな生活にも慣れ始め、半年も経てば野宿に対する抵抗もなくなり、一年も過ぎると段々冒険者としての名が周囲に知れ渡っていきます。
小さな頃から剣の腕に自信があったスレイヴは、魔物を退治する仕事を中心に、たくさんの仕事をこなしていくようになりました。
行く先々で出会う人達も、スレイヴの知名度があるためか、魔物退治の際は彼を頼るようになりました。
いつしかスレイヴは、アルケミストセイバーと呼ばれるようになります。
本業ではありませんでしたが、両親の仕事を傍で見てきたスレイヴは僅かながらも、錬金術に関する知識を持ち合わせていました。
傷を癒すための薬であるフェリシアの水と呼ばれる回復薬や傷薬を調合し、彼はそれを行く先々で誰でも手に入れることのできる低価格で交渉し、販売して歩きました。
この世界では薬も高価なところが多く、なかなか一般人が気軽に手の出せる代物ではありません。彼にとっても、簡単にお金を稼ぐ手段としてはとても良い方法でした。
それもあってか、スレイヴの名は更に知られていくようになります。無垢な子供達の間では、薬を運んでくれるお兄ちゃんとして親しまれていました。
ある日、そんなスレイヴの元に大きな話がやってきます。
それは今、スレイヴが滞在している国のお姫様が悪いドラゴンに攫われてしまったという話でした。
お城の兵士達も戦いましたが、ドラゴンに敵う者はいなかったようです。怪我人もたくさん出たという話で、城下街ではパニックが起きているようでした。
抵抗すれば今度は城も襲撃されるのではないか、人間をも食べてしまうのではないか、どこか遠くに逃げなければ全てが滅ぼされてしまう、と皆不安でいっぱいになりました。
お姫様を救える者がおらず、ドラゴンをも倒すことができず、困り果てた王様は仕方なく城下街に滞在する冒険者や傭兵に声をかけることにしました。そこでスレイヴにもこの話がやってきたというわけです。
スレイヴはお姫様やこの国の事情について、何一つ興味がありません。
ですが、ドラゴンを相手に戦えるということに胸がわくわくしていました。
話を聞いたスレイヴはすぐにお城へと向かいます。自分の腕がドラゴン相手に通用するのかどうか、腕試しをしようというわけです。
お城へ行くと、スレイヴはすぐに謁見室へと通されました。余程人手が足りず、困っているようです。
謁見室へ向かう途中、通路にはたくさんの怪我をした兵士達が座り込んでいました。頭や腕からは血を流し、包帯を巻かれた兵士は体が痛いのか、うんうんと声を上げて苦しんでいます。とても痛そうです。
見兼ねたスレイヴは自分の手持ちのフェリシアの水を分けてあげることにしました。
この程度の薬で完治とまではいきませんが、彼等の体に走る痛みをやわらげることはできます。
兵士達は「ありがとう」とスレイヴに頭を下げて感謝してくれました。
自分が作った薬をただあげただけなのに、心から深く「ありがとう」と感謝され、スレイヴはなんだか気恥ずかしくなりました。
自分はいつもお金を稼ぐためだけに薬を調合して商売をしていたのに、こんなふうに低く頭を下げてまでお礼を言われるだなんて、思いもしませんでした。
なんとも言えないむず痒さがスレイヴの体を這い、その兵士達の真っ直ぐな瞳が眩しくて、見ていられなくて、耐えられず、逃げ出すように謁見室へと向かいました。
謁見室では、国で一番偉い人である王様が集まった人達に対し、腰を折って頭を下げていました。
どうか無事、お姫様を救ってくださいとお願いしているようです。
お妃様は姫様が攫われたショックで体調を崩し、寝込んでしまったそうです。
スレイヴを含め冒険者や傭兵達は、すぐにドラゴンの潜む場所へと案内されました。
ドラゴンはお城から少し離れた所にある洞窟の奥にお姫様を攫い、立てこもっているようです。
初めに数人の血気盛んな者達が洞窟の奥を目指し、勢い良く向かっていきました。
ですが、ドラゴンの吐いた炎に巻き込まれ大火傷をし、すぐに帰ってきてしまいました。大抵はこの炎にやられ、奥まで辿り着けずに皆戻ってくるようです。
スレイヴは考えました。
このまま真っ直ぐ突っ込んでいけば、きっと自分も同じ目に遭うだろう。ならば、どうするべきか。どうすることが、最善策なのか。
洞窟を眺め、唸ります。
次に魔法使い達がドラゴンを倒すために洞窟の奥へと向かいました。炎に巻き込まれないように身を守るための呪文を唱え、結界を展開し、慎重に進んでいきます。恐る恐るですが、一歩ずつ、確実に。
しかし魔法を使ったことにより魔力の気配に気づかれてしまった彼等は、洞窟の奥に辿り着いた途端、ドラゴンの爪で結界ごと簡単に切り裂かれてしまいました。
闇雲に突き進んでいっても駄目、魔法を使っても駄目、ならば他にどんな手があるのでしょうか。
スレイヴは考えた末、夜まで待つことにしました。
夜になれば洞窟のまわりには、見張りの兵以外誰もいなくなります。スレイヴはその時が来るまで、一人静かに待ちました。
ゆっくりと、焦ることなく、空が暗闇に染まるのを見つめながら待ちました。
辺りが一面闇に包まれた頃になると、スレイヴはようやく洞窟に向かい、動き出します。
見張りが驚いた様子でこちらを見つめていましたが、気にすることなく前を向き、入口に立ちました。そして、大声で叫びます。
「俺が今からそっちに行く! お姫様を攫っていくお前だ、なにかそれなりの理由があるんだろう!? 普通ドラゴンが人間を攫うだなんて、思いつきもしない話だよな!?」
そうです、本来ドラゴンが人間の前に姿を現すなど、滅多にないことなのです。そのドラゴンが人間を攫っていくだなんて、余程の理由がない限り、まずありえません。
スレイヴの問いかけに対する答えは返ってきませんでした。
だけれど、そちらに行くと宣言はしました。
スレイヴは恐れることなく、洞窟へと入っていきます。
「話をしよう。俺とお前でな」
剣は鞘に収めたまま、魔法を使うこともなく、前へ向かい進んでいきます。
途中、ドラゴンによる妨害などはありませんでした。
もしかすると、スレイヴの声にドラゴンが応えてくれているのかもしれません。
やがて洞窟の中に辿り着くと、スレイヴはそこに広がる光景を見て思わず目を見張りました。
「お前は……」
スレイヴは息を呑み、足を止めました。
彼を待ち受けていたのは、それは……
物語はここで途切れていた。
誰かのイタズラだろうか、無惨にもその後のページはすべて破られていた。
この話の続きを知る者は、誰一人としていない。綴る者も、この世界には存在しない。主人公の運命さえ握る者がおらず、終わりを迎えることのない物語がただ延々と繰り返し、続いている。
だから、本は待っていた。
誰かがこちらを覗く時を、心待ちにしていた。
彼を救う人物が現れる日を、いつまでも、どこまでも。
この物語は、ずっと、ずっと。