無能力者を舐めるなよ!
只野弘。20歳。
ごくごく真面目な配送業務に励む青年である。
顔立ちや体格はトニー・ジャーに似ていて、よくからかわれたが、本人はさして悪い気はしない。
寧ろ、交友関係は良い方で人当たりも良かった。
そんな弘が何故、こんな事になったのかは本人にも解らない。
彼はただ、いつもの様に配送を終えて帰宅途中だっただけである。
それが自宅であるアパートの扉をくぐったら、突然、足元が光だし、気が付けば、西洋風の玉座の前にいた。
(え?なに?どう言う事?)
困惑しながら辺りを見渡す弘。
「おおっ!勇者よ!よくぞ来た!」
そんな声がして周囲を見渡していた弘が声のする方に顔を向けるとそこには王冠に赤いガウンを羽織った如何にも王様と言った小太りな中年の男性と黒いローブを着た老人が佇んでいた。
(なにこれ?コスプレ?何かのどっきり企画?)
事態の飲み込めない弘が困惑する中、中年の男性が両手を広げてニコニコと笑う。
「この世界は今、魔王の脅威にさらされている!
お主を呼び出したのは他でもない!魔王を倒して欲しいのだ!」
そう言われ、弘はふと、同僚から見せて貰ったある漫画を思い出す。
(そうだ。これ、異世界転移って奴だ。呼び出したとか言ってたし、まさか、俺、異世界転移したのか?)
弘はなんとか、数少ない情報で半信半疑ながら、そう結論を出す。
「まずはお主の実力を見せて貰おう!」
そう中年の男性が叫ぶと黒いローブを着た老人が石盤を持って来た。
「さあ!その石盤に触れて見るが良い!
さすれば、お主の能力が解るだろう!」
中年の男性の言葉に弘は未だ半信半疑ながら、石盤に触れる。
すると石盤が光だし、その表面になにやら、文字が浮かんで来る。
【只野弘】
レベル:1
体力:10
魔力:0
知力:10
魔法なし
特殊能力なし
ユニークスキルなし
その表示された文字を見て、黒いローブを着た老人が青ざめる。
「ん?どうした、大臣よ?」
「王よ。この者は無能力者です」
しばしの沈黙。
「……はあ!?何かの間違いであろう!?」
「い、いえ!私めも驚いておりますが、間違い御座いません!
この者はスキルはおろか、魔法の素質もないただの人間です!」
「……な、なんと言う事だ」
愕然とする王と呼ばれた中年の男性はしばし、呆けるとキッと弘の事を睨む。
「我々を謀ったな!」
「え?俺は別に何も……」
「煩い!出ていけ、この役立たずが!」
王の叫びを合図に鎧を着た兵士達が現れ、弘の腕を掴んでズルズルと身体を引っ張り、城の外へと投げ出す。
弘はドサリと地面にキスすると頭を振りながら、ゆっくりと立ち上がる。
そこで目にしたのは西洋風の木製の家が建ち並ぶ街だった。
(ああ。俺、本当に異世界に来ちゃったのか……)
弘はそんな事を思いながら溜め息を吐く。
(これからどうしよう?)
いきなり、異世界に呼び出され、いきなり、役立たず扱いされて追い出された弘は途方に暮れるしか無かった。
仕事帰りでお腹も空いている。
(何か食べる物だけでも……)
弘は履いていたジーパンのポケットから財布を取り出す。
(よし、まずは腹ごしらえだ!)
弘は手頃な屋台に近寄る。
「へい!いらっしゃい!」
「その串揚げみたいなのを一つ」
「あいよ!5ギルだ!」
「……ギル?」
屋台の亭主の言葉に弘は固まる。
「ん?どうした、兄ちゃん?」
「……すみません。やっぱり良いです」
「なんでえ!冷やかしなら、よそでやりな!」
亭主は怒りながら、そう言うと他の客の相手を始める。
(どうしよう。金も使えないんじゃ、食事どころか寝るところも……)
困り果てている弘とは裏腹に活気で賑わう街。
弘は街に馴染む事も出来ず、その場を後にする。
(困ったな。一体、どうすれば……)
「もし、そこの方」
行き詰まった弘がその声に振り返るとそこには酒瓶を手に千鳥足でふらふら歩き、ボロボロの衣服を身に纏った老人の姿があった。
その見た目は明らかに浮浪者だ。
(これは関わらない方が良いか?)
そう思いながら、弘は浮浪者風の老人を見る。
「先程、城から追い出された様でしたしたが、どうかなされた?」
「……いえ、別に」
そう言った瞬間、腹の音が鳴った。
それを聞いて、老人が笑う。
「お腹を空かせとるのか?なら、これでも食うかの?」
そう言って老人は反対の手に持った串揚げを差し出す。
弘はゴクリと唾を飲むとその串揚げを受け取る。
「有難う御座います。頂きます」
「なに、売れ残って賞味期限間近の串揚げじゃ。大したモンじゃないわい」
弘は老人から貰った串揚げを口にする。
冷めていて身もパサパサとしていたが、飲まず食わずだった弘には有り難かった。
「お前さん。見慣れない格好だが、どこから来たんじゃ」
「あ、はい。信じて貰えないかも知れませんが、日本から来ました」
「ニホン!?そうだとすれば、お主、勇者様かの!?」
「いえ、それが無能力者だ、役立たずだと言われて城から追い出されて……」
「……ふむ」
老人は弘のその言葉に考え込む。
「ならば、無一文で宿無しと言うところかの?」
「……はい。そうなります」
「可哀想に。なら、儂の所へ来ぬか?」
「え?そんな……食べ物を分けて貰っただけでも十分ですよ」
「まあ、そう言うな。これも何かの縁じゃわい。それに亀の甲より年の功とも言うしの。人の親切は素直に受け取るもんじゃぞ?」
(どうしよう。このお爺さん、悪い人じゃなさそうだけど……)
弘はしばし考え込む。
果たして、この老人について行って良い物かどうかと。
(まあ、選択の余地はないか。このままじゃ、どの道、路頭に迷う様だしな)
弘は意を決すると浮浪者風の老人に頷く。
「解りました。しばらく、御厄介になります。俺は只野弘って言います。弘って呼んで下さい」
「宜しくの、ヒロシ。儂はシュロウトじゃ」
そう言って老人ーーシュロウトは千鳥足でふらふらとしながら歩いて行く。
(悪い人じゃないけど、大丈夫かな?俺、残飯を食べる生活なんてしたくないぞ?)
不安になりながらシュロウトの後について行くと街外れの一際、立派な道場へと案内される。
「……あの、此処は?」
「儂の住まいじゃよ」
「……住まい?」
弘は困惑しながら中へと入って行くシュロウトについて行く。
ーーと、そんな二人に駆け寄る少女の姿があった。
金髪の三つ編みを靡かせ、白い胴着を身に着けたまだあどけなさの残る少女である。
「おじいちゃん!またそんな格好して出歩いてたの!?」
「ほっほっほ。まあ、そう言うな、アカネよ」
「言うよ!全く!また浮浪者と間違われて憲兵に捕まっても知らないからね!」
アカネと呼ばれた少女は口を尖らせながらそう言うと弘に気付いて視線を移す。
「この人は?」
「うむ。ニホンから来たヒロシじゃ」
「ニホン!?じゃあ、この人、勇者様なの!?」
アカネははしゃぎながら嬉しそうにそう言うと弘に挨拶する。
「初めまして!私、天竜術指南役のアカネって言います!」
「初めまして、アカネさん。俺は弘って言います。それにしても天竜術って?」
「あ、はい!古えの天竜が残したとされる武術です!……まあ、その過酷な修行から入門者は万年いないんですが」
「ほっほっほ。安心せい、アカネ。このヒロシが新しい入門者じゃ」
「「……え?」」
シュロウトの言葉に弘とアカネが同時に声を上げる。
シュロウトはにこやかに弘に振り返り、ぺたぺたと身体に触る。
「……うむ。身体つきも申し分ない。ヒロシなら良い後継者になろう」
「いや、ちょっと待って下さい!俺は別にーー」
「この世界には魔物や魔族がおるんじゃ。身を守る術を学んでおいて損はなかろう?
それに伝承では元の世界に帰る為には魔王を倒さねばならんと聞く。元の世界に帰るには魔王と渡り合う他あるまい」
「そんな……」
「だからこその天竜術じゃ。きっと、無能力者のお主の役に立つじゃろうて」
シュロウトはそう言って笑う。
それから10年の歳月が流れた。
その間、ヒロシは過酷な修行に耐えた。
あまりの過酷さに泣きそうな日もあったし、食事が喉を通らなかった事もあった。
胃の中の物が逆流し、吐いた事もある。
そんな弘を支えたのは日本に帰る事とその誠実さだった。
そして、時に厳しく、時に優しいシュロウトとアカネの存在があったからだろう。
そんな滝に打たれる修行に熱された鉄板の上で座禅を組む修行など、ありとあらゆる修行を乗り越えた弘は本物のトニー・ジャー顔負けの筋肉を身に付けた。
「この10年よく耐えたの、ヒロシ」
この10年、ボロボロになるまで身に着けた胴着姿の弘は正座しながら黒い胴着に身を包むシュロウトの言葉に耳を傾ける。
「もう、天竜術・武の章で教える事はあるまいて。此処からは実戦を積むが良い」
シュロウトの言葉に弘は頭を下げる。
「この街の冒険者ギルドへ向かうが良い。そこで思う存分、その力を振るうが良い」
「はい!有難う御座います、師範代!」
弘はもう一度頭を下げると立ち上がり、道場に背を向けた。
そんな弘にあどけなさのなくなり、美人になったアカネが近付く。
「行っちゃうの、ヒロシさん?」
「はい。今までお世話になりました」
「そうよね。貴方は勇者だもの」
「……」
「でも、約束して……必ず帰って来るって……」
「はい。必ず」
そう言うとアカネの横を過ぎ去り、更衣室で此方へ来た時の私服に着替えると弘は街へと繰り出す。
街は10年前程と同じく活気に溢れていた。
弘はそんな活気に賑わう街の一角にある冒険者ギルドへと足を踏み入れる。
この10年、1度も入った事のないギルドに足を踏み入れるとそこは剣や斧などを腰や背に下げた屈強な猛者の集まる空間だった。
弘はカウンターに立つ女性の元へと向かう。
「冒険者の登録をお願いしたいのですが……」
「はい。少々お待ち下さい」
女性が奥へと入って行くとガラの悪そうな三人組の男が弘を囲む。
「おい、兄ちゃん。田舎の出か?それとも、転移者か?」
「……だったら?」
「まずは俺らに挨拶するのが筋ってもんだろ?」
「……」
「黙ってねえで、何とか言えよ!」
そう叫んで弘の肩を掴み、強引に振り向かせようとする男。
だが、弘の身体は微動だにしない。
肩を掴む男の顔に困惑の表情が浮かぶ。
次の瞬間、弘は肩を掴む男の手を握り、ギチギチと捻りながら振り返る。
「いてててっ!」
「て、てめえ!俺達に楯突く気か!」
腕を捻り上げられた男を見て、仲間の男達が武器を構え、弘に襲い掛かって行く。
弘は腕を捻り上げていた男を突き飛ばして迫り来る男の一人にぶつける事で倒すと迫り来るもう一人の男の剣を振り上げた腕を掴み、その喉笛に拳を叩き込む。
「ぐえっ!?」
喉に拳を叩き込まれた男が呻く。
そんな男に弘は素早く背後に回り込むと男の頭を掴み、カウンターの角に叩き付けて追い討ちで頚の後ろに肘打ちを喰らわせる。
それを喰らった男の身体がガクンと落ち、ギルドの床に倒れ込む。
「や、野郎!」
ぶつけられて、もつれ合っていた男の一人が弘に迫るが、その腹に膝蹴りが叩き込まれる。
その箇所は鎧で覆われていたが、弘の蹴りで鎧がひび割れ、膝蹴りを喰らった男が腹を押さえて蹲る。
「こ、この!」
最後の一人が斧を水平に振るおうとするが、その腕を左手で掴んで押さえられると弘の肘鉄を脳天に喰らう。
バキャッ!っと言う音と共に男の頭から頭蓋骨が割れる音がして仰向けに倒れ込む。
「此方が登録書にーーひっ!」
戻って来た女性は目の前の惨状にひきつった声を上げる。
一部始終を見ていた他の冒険者も黙り込み、弘に視線を向ける。
弘は手を合わせて一礼すると女性に振り返り、冒険者登録を済ませた。
「では、これで……」
「ま、待って下さい!最後にステータス確認を!」
そう言われて弘は女性の持ってきた石盤に触れるとーー
【只野弘】
レベル1
体力:99
魔力:0
知力:40
魔法なし
特殊能力なし
ユニークスキルなし
【天竜術・武の章】免許皆伝
ーーと表示されていた。
「レベル1で体力が99!?そ、それに天竜術の免許皆伝って!?」
女性の叫びに周囲がざわつく。
天竜術を極めた者など今は当の昔の事である。
その今となっては伝説的な流派が再び表舞台に立ったのである。
周囲がざわつくのも無理はない。
ーーその数年後、天竜術を極めた弘は天竜の格闘王と呼ばれる様になり、様々な魔物、魔族を打ち倒して魔王と対峙するのだが、それはまた別の物語である。




