第1章 第1幕 establishment
サイコパス。
この言葉を目にして、或いは耳にして、どのような光景や人物像を思い浮かべるだろう。
殺人、犯罪者、反社会的行動。
そういった概念が一般的かもしれない。
しかし、サイコパス達は、現在も平和に、いたって元気に暮らしている。
そう、殆どが。
彼らは決して反社会的でもなく、犯罪者になり得るような人間ではない。新聞や週刊誌をはじめとするメディアに露出するような奇異な行動など、しない。
ただ少しだけ、通常の人間と違う心理をその片隅に宿すのみである。
心理学的に、ある意味において共通したサイコパスの定義がある。
『良心の欠如、他者に対する思いやりの欠如、他者を平然と見下す心。冷淡な心の持ち主にして、平然とつく嘘。その嘘は慢性化し、罪悪感も後悔の念も皆無。自尊 心が過大で自己中心的、自分勝手に欲しいものを奪い、好きに振舞う、無慈悲でエゴな人間』
ところが現実はどうか。
一見、サイコパスと思われるような罪を犯す人間は、本当の意味でサイコパスではない場合もある。
反社会的行動をとったとしても、其処には必ず何らかの原因があり、脳的な器質異常に加え不遇な家庭環境に晒され、自ら犯罪へとのめり込んでいった者たちも多い。
反社会的行動に身を投じた彼等を犯罪に導いた切っ掛け=ラインがどこにあったのか。それだけの違いである。
誰でも、一度くらいは冗談で「殺したろか」と思う時、思わせる嫌な人間がいるはずだ。それでもやはりできない。思い留まる。
思い留まれないくらい、強い殺意を持つ場合もある。憎しみと呼ばれる感情。
金銭目的の場合、憎しみの感情が無くても平気で殺意を抱く。感情が無い分、厄介であり大罪に値する。
何が目的で反社会的行動を思い立つのか、そのラインが各々違うだけなのである。
本来の意味で云うサイコパスは到底判り得ないのが通常で、いつ見ても一人きりでいる無口な人間でもなく、常常周囲から疎まれるような行動をとることもない。
極々一般的な、ありふれた人間像。
一般社会に溶け込んでいるかのように見える彼らは、口達者で表面的にはとても魅力的なのだという。
もしかしたら、あなたの隣にも、サイコパスがいるかもしれない。
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警察庁刑事局特殊犯罪対策部サイコロジー捜査研究課。
サイコパスの犯罪を心理学的観点から検証し、警視庁及び各道府県と情報を共有、日本の警察機構が未だ成し得ていない反社会的行動=サイコパス犯罪を未然に防ぐ手法を確立することを目的として設置された部署である。
物的証拠を収集し犯人検挙に奔走するのが捜査一課や鑑識課、科学捜査研究所であるとするならば、サイコロジー捜査研究課は物的証拠の無い事件で、事件前から事件後に及ぶ犯人の心理プロファイルを取り纏め、捜査本部に情報提供する。
その他、未解決事件における犯罪者の心に潜む行動心理から事件にアプローチし、同一犯罪の起こり得る可能性を見極め、連続した事件に発展するのを防止する。
いわば、表に出る捜査部隊がハードとするならば、サイコロジー捜査研究課はソフト。お互いが背中合わせとなり、科学捜査の一助を担う存在となるプロ集団である。
犯罪心理、行動心理、認知心理、児童心理、発達心理、臨床心理、等々。課の全員が、入庁前から何らかの形で心理学に携わり、入庁後も心理学的観点から各地で事件解決に尽力した精鋭たちだ。
と言えば、聞こえは悪くない。
寧ろ、好戦的にすら感じられることだろう。
警察庁特殊犯罪対策部サイコロジー捜査研究課、別名、サイコロ課。
過去に起きた全ての事件ファイルから現在進行中の事件まで、サイコパスが起こしたと思われる事件をデータべース化し朝から晩まで読み漁ったうえで、各々の知見を同時に述べる。
現在、日本国内で起きている未解決凶悪犯罪の犯人像を、大声で一斉に滔々と捲し立てるのが日課だ。
彼等にとっては重要なのは、事件の核心ではない。かといって、事件の進捗や早期解決でもない。
その興味は、専ら、犯人像のプロファイルにある。事件の背景であり、犯行に至るまでの抑圧された心理状態、自制心や抑制心が「ふっ」と消え去り、虹の階段を駆け上がるような躍動感とも言うべき犯行の瞬間、犯行後に浮き上がる、更なる衝動心理。
そう、サイコパスたちにとって、些末な後悔の念など皆無なのだから。
サイコロ課の面々の、なまじ心理学に傾倒したが故の机上の論理。
異質を超えた、言葉では表現し難い人材の集合体。
日本各地の警察から、捜査に役に立たないばかりか捜査本部に入り込み犯人像のプロファイルを延々と演述し邪魔をすると厄介者扱いされ、頼むからどうにかしてくれという四十七都道府県の切なる陳情の嵐の中、やむなく重い腰をあげた警察庁。
警視庁をはじめ、通常各県警本部から警察庁に異動することは稀だ。
警察庁は国の組織で国家公務員。
他は都道府県、所謂地方公務員。
異動など、異例中の異例。
陳情の嵐に頭を抱えた警察庁では、庁内にスペースを設け、そこに出向という形をとることで事態の収拾を図った。
これこそが、国民に知られざる国家機密の大袈裟ともいえる真相といったところか。
と言うわけで、特殊犯罪対策部サイコロジー捜査研究課に配属された面々は、警察庁内はおろか、警視庁をはじめとした各道府県警からも「サイコロ課の変人部隊」と呼ばれる始末なのである。