第1話
第3章「記憶」
第1話
鞠さんがバイトを辞めてしばらくたつ。
俺も、バイトを辞めることにした。
年下のスタッフたちがずいぶん育ってきている。安心してって言うとアレだけど、抜けてももう大丈夫だと思う。
俺も、これから先のために準備しないと。
鞠さんとはバイトで会わなくなったかわりに学内でちょくちょく会っていた。
二人とも研究室やゼミで遅くなることも増えてきて、夜中とまではいかなくても、結構夜遅くに短時間会うなんてこともあった。
夜中のキャンパス、夜中の研究室……なんとなく、夜中ってつければあやしい雰囲気を醸し出すような気がする。まあ、そんな時間まで居残らないといけない時はそれどころじゃないんだけど、何か期待してるのは仕方ないか。
今日も遅くなってしまった。帰ろうとしていたところに、鞠さんから連絡がきた。
「今から帰るんだけど、まだ学校?」
「今から帰るところ。今から帰るの?」
「今日はゼミの飲み会だったから、今から帰るのー」
相変わらず飲むとどこか口調があやしい。
「どこで飲んでるんだ?」
「研究室」
「もう解散したの?」
「うん、2次会行く人もいるけど、今日は帰ろうと思って」
「じゃあ、一緒に帰ろう。相変わらず飲むと危なっかしいし、家まで送るよ」
「うん、よろしく~」
合流して、いつものように鞠さんの家に向かう。
「今日はそんなに飲んでないよ」
「はいはい、それはいつも聞いてるから。そう言ってる時は散々飲んでる証拠」
「うう……」
「2次会はどこだって?」
「カラオケ」
「いかなくて良かったの?」
「歌、上手くないから」
「上手いのに」
「そっか、私の歌うところ、覚えてるんだね」
「ああ、ぼんやりだけどな」
時間がたつということは、記憶も曖昧にしていく。
小学校や中学校の時の記憶なんて、もう風化しかけている。大した昔でもないのに。
「カラオケ行こうよ」
「今から?」
「そう、今から。歌声、久しぶりに聴きたい」
「うーん……恥ずかしいけど、行こうか」
学校の近くのカラオケ店なら2次会している鞠さんのゼミの人たちと鉢合わせするかもしれない。学校から少し離れた家の近くのカラオケ店に入った。遅い時間だけど、今日はそんなに眠気は感じない。
鞠さんは慣れた手つきで設定をいじりだす。
「ヒトカラとか、よくするよ。みんなと行くときは恥ずかしくてほとんど歌えないけど」
意外だった。
「授業の間の空き時間とかによく行く。平日昼間だから、ガラ空きだし」
知らなかった一面を見た気がした。
「一度、熱唱してたら掃除の人が入ってきて、気まずかった。お互いに「あ…すいません」みたいな感じで、すごくドギマギしたな」
そう言いながら、どんどん曲を選んで行く。
「歌わないの?」
「少しは歌うかな。でも、歌うのを聞いてるよ。あ、なんだったら俺はいないって思って気持ちよく歌っていいから」
「私も、丈くんの歌声聴きたいな」
「下手だぞ」
「嘘だー」
約2時間のカラオケ大会。
俺はただ、鞠さんの歌声を聴きたかったんだ。
全然下手じゃない歌を聴きながら、薄れてしまった記憶をたどり続けた。