滑空
「本能に任せて生きてるだけじゃ、ただの動物だ。理性や道徳を持った人間にしか出来ないことをしよう」
小テストの用紙に正しく折り目をつけていく作業を進めながら、僕は言った。
校庭のほうから飛んでくる野球部員たちの野太い掛け声、吹奏楽部の途切れ途切れの演奏、音という音が空間の外にある。
昼休みの賑わいとは打って変わり、放課後の図書室はいつだって寂たる有様だった。僕だって委員会の仕事さえなかったら今頃は、早々に帰宅して漫画でも読み出している。
「それって例えば、勉強とか?」
揶揄するように僕の手元を指差した彼女に、淡々と言葉を返す。
「生物は苦手なんだ。同じ理科なら化学のほうが点が取りやすい。そういうお前はどうだったんだよ」
「十五点」
「僕の半分か」
「全然分からなかった」
「全然勉強しなかった、だろ」
このゴミ屑同然の赤点にせめてもの価値を与えてやるべく、くるくると三十点を机の上で丁寧に回し続ける。その様子を頬杖をつきながら、馬鹿な女がぼうっと眺めていた。
「……で、なんの話だっけ」
「お前の尻軽には呆れてるって話」
「あー」
それね、と気のない声で彼女が呟いたので、僕は眉間に皺を寄せた。この女を相手にすると、真面目に生きることすら馬鹿らしくなってくる。適当に流した前髪、頭の悪さを前面にアピールするようなスカート丈、目尻で少し浮いているつけまつげ、何ひとつ真面目でない。
僕は約八分前に彼女から「彼氏になって」という告白めいた言葉を投げかけられた。だから紙飛行機を折り始めた。それだけ。
彼女の雌犬伝説は学年でも有名な話だった。中学生の頃から噂は立っていたが、高校に上がるとそれは一気に生々しいものとなって頻繁に耳に入ってきた。
別に知り合いが誰と寝ようがどうでもいいし興味はなかったが、まさかここに来てこちらに飛び火するとは思ってもみなかった。手当たり次第も考え物だ。
机の向かい側でだらしない体制をキープする彼女が、両目を安っぽい硝子球のように輝かせている。
「私は理性的に恋愛がしたいんだよ、君と」
「嘘吐け。したいのは、恋愛なんかじゃないだろう」
「ひっどい。ねぇ、だって恋愛は人間だけに許された行為のひとつだと思わない?」
髪の毛を指に巻きつけながら、彼女は首を傾げた。はて、と手を止めて少しだけ考えてみる。 そもそも恋愛は本能なのだろうか、理性なのだろうか。
完成した紙飛行機をしげしげと見つめ、それからゆっくりと視線を上げて彼女と目を合わせてみた。唇を緩めきったその不真面目な表情を確認した僕は、ため息とともに紙飛行機をそっと図書室の静寂へと飛ばす。
「お前はただの動物だ、考えなしめ」
「そうだね。そんで、私を人間にしてくれるのはきっとこの世で君だけなんだよ」
そう言って彼女は拗ねたような態度でそっぽを向いた。
なんだそれ、と彼女の陳腐な言葉を鼻で笑おうとしたその時、あばずれの両耳が滑稽なほど真っ赤に染まっていることに気付いた僕は、無意識のうちに彼女のほうへ手を伸ばしていた。