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良縁

 翌日、ヨーゼフはいつもの通り執務室にて政務を執り行っていた。

 多くの案件を処理する合間、ふと宰相に問いかけた。


「そういえば…クレイドという名の貴族家を知っているか?」

「…クレイド、ですか?」


 宰相は突然の国王からの問いかけに戸惑いを見せながら繰り返した。直ぐには思い当たらないらしい。書類を手にしたまま、記憶を手繰るように瞳を上へ向けた。


「昨夜の舞踏会には来ていたようだ」


 思い出すのを助けるべくそう付け足してはみたが、宰相は首を捻っている。やがて諦めたのか、緩く首を振った。


「不勉強で申し訳ございません。どういったお方でしょうか」

「いや……、実は私にも分からなくてな。舞踏会で話をする機会があったのだが…」


 言葉を濁し、ヨーゼフは罰の悪い顔になる。正確に言えば話をしたのは本人ではなく令嬢と令息だけなのだが。しかも彼等の格好などから見ても有力貴族として名を連ねる名家でないことは明らかだ。

 

「必要とあらば、お調べ致しますが」


 宰相の申し出に、ヨーゼフは自問する。わざわざ調べさせる必要があるのだろうかと。

 調べて、どうするというのだ。

 ふと目を上げれば、宰相は黙ってヨーゼフの答えを待っていた。

 その視線に急かされ、ヨーゼフは考えるのを止めた。


「…調べてくれ」


 ◆


 宰相の報告によると、クレイド家は現在領土を持たない没落貴族だった。

 かつての領土で災害による不作などで借金を抱えるようになり、それが膨らんだ結果ついには領土を手放す以外なくなったということらしい。

 当然社交界などに現れる余裕などあるはずもないが、昨夜は多くの貴族が集まる場として笑い者になるのを承知でやって来たという。


「……何のために?」


 宰相はその問いかけに「推測ですが」と前置きして答えた。


「クレイド家には娘が1人居ます。これが大層な美人ということで、顔見せをすることで良縁を期待して…というところではないかと」


 胸糞の悪い話に、ヨーゼフは眉を顰めた。

 家を立てなおすために、娘を売ろうということか。力のある貴族の一族に加わることができれば、それも可能であろう。そのような政略結婚はいくらでもある話でありながら、昨夜の少女の笑顔が脳裏に浮かぶと堪らない嫌悪感が湧く。

 あの子を連れ、貴族達の間を廻って歩いたのだろうか。

 彼女の美しさに惑わされる男はいくらでもいたことだろう。すぐにいい話が見付かるかもしれない。

 そしていずれ、どこかへ嫁いでいくのだろうか。嫁がされるのだろうか。――家のために…。


 口を閉ざした国王に、宰相は「陛下…クレイド家に何か問題がございますか?」と声を掛けた。

 調べろと命じられた理由が気になっているようだ。

 ヨーゼフは首を振ると「いや、なんでもない。ご苦労だった」と話を終らせた。


 ◆


 その夜、ヨーゼフは久し振りに側室の姫の部屋を訪れた。なぜそんな気になったのかは分からない。頭の中を占める姿を無理に追い出そうとした結果かもしれない。

 ヨーゼフの3番目の妃、アグネス姫は大喜びで国王を出迎えた。

 アグネスは金色の巻き毛に栗色の瞳の歳若い妃だ。部屋を訪れたヨーゼフの前に現れた彼女はその豊満な肉体に薄衣を一枚羽織っただけという格好だった。


「お待ち申し上げておりました、陛下!」


 そう言ってアグネスはヨーゼフにしなだれかかり、彼を部屋の奥へと導いた。

 いつもそうであるように、部屋には酒が用意されているが呑むことは無い。真っ直ぐ寝台へと向かった。

 ヨーゼフが寝台に入ると、アグネスが続く。改めて身を寄せるアグネスを抱き止めながら、ヨーゼフはふと彼女に声を掛けた。


「今日は…何をしていた?」


 アグネスは顔を上げ、上目遣いにヨーゼフを見詰める。


「…本を読んだり、他の姫様達とお茶を頂いたりしておりました」

「そうか…、どんな本だ?」


 本気で興味が湧いたわけでもないが、話をしたい気分だった。ヨーゼフの方からアグネスについて問うことなど滅多にないためか、アグネスは少し意外そうな顔になる。

 

「他愛も無い、童話でございます」

「…どんな話だ?」

「陛下にお聞かせする程の物語では……子供が読むようなもので御座いますから…」


 囁くように答えながら、アグネスはヨーゼフの胸に頬を寄せた。

 それ以上会話を続けられそうにはなかった。

 

 ヨーゼフは胸に湧いた虚しさを誤魔化すように苦笑を滲ませた。

 知っていたはずだった。誰も同じなのだと。

 国王と雑談を交わすことなど”無駄な時間”に過ぎない。役目を果たすことこそが、何より大事なのだから。


 ヨーゼフはアグネスの体を寝台に倒し、薄衣を剥いだ。体に触れれば、アグネスは大袈裟なほどに嬌声をあげる。

 その熱と反比例するように、ヨーゼフの頭は急速に冷めていった。

 何を期待してここへ来たのだろう。昨夜の暖かい時間と似たものを、どこかで求めていたのだろうか。

 そんな自分に嘲笑を洩らす。なんと滑稽なことだろう。


「アグネス姫」


 不意にヨーゼフに声をかけられ、アグネスは閉じていた目を開いた。


「…はい」

「先に、薬を飲んでおいてくれ」


 その言葉に、アグネスの表情が消えた。あれほど熱くなっていたはずなのに、まるで冷水を浴びたような顔になる。

 薬というのは避妊薬のことだった。行為の前2,3日、後なら24時間以内に飲めば効果を発揮する。

 アグネスはぎこちなく笑みを浮かべて言った。


「あ、後で、必ず…」

「いや、今にしてくれ」


 ヨーゼフははっきりとそう言うと、身を起こした。アグネスも裸のままゆっくりと起き上がる。

 閨に漂うに相応しくない重苦しい空気が充満し、アグネスは暫くその場で固まっていた。

 ヨーゼフは黙って彼女が動くのを待った。


「陛下…」


 やがてアグネスが口を開く。


「なんだ」


 アグネスは突然思い切ったように、ヨーゼフの胸に縋り付いてきた。


「陛下、お願いいたします…!私に、陛下の御子を産ませてください!!」

「…何のために」


 ヨーゼフは表情を変えずに呟いた。


「……王位はジークが継ぐと決まっている。貴方の父上も、それは承知している事のはずだ」

「王位など問題ではありません!私は女として、陛下の御子が欲しいのです!陛下を……お慕いしております!」


 アグネスが必死に訴える程に、胸の空洞が深くなる。なんと見え透いた嘘だろうか。

 ろくに話したこともなく、肌を重ねた記憶しか無い。彼女が自分に国王としての興味しかないことなど、最初から分かっている。


「そうか」


 ヨーゼフは目を伏せると、力無く笑みを零した。


「ではジークに国を譲って、2人でどこか静かなところで暮らすか?」

「――え…」


 予想通り、アグネスは言葉を失った。

 そんな未来に意味など無いだろう。彼女が欲しいのは、”王子の母親”という地位だけなのだから。

 本気でもないくせに意地の悪い事を言った。ヨーゼフは自嘲して目を閉じた。


「……すまない。忘れてくれ」


 ヨーゼフは元通り夜着を纏い、寝台を降りた。残されたアグネスが呆然と自分を見詰めている。


「今夜は…部屋に戻る」


 ヨーゼフはそれだけ言うと彼女から目を背け、部屋を出て行った。


 ◆


 自室に戻ったヨーゼフはひとりになり、寝る前のひととき、やっと心安らぐ時間を迎えていた。

 夜の帳が下りた庭園を窓から眺める。

 その景色の中に思い出すのは、やはりあの少女のことだった。

 没落貴族の娘――。

 貴族とは名ばかりで質素な暮らしを強いられていることだろう。幼い弟の世話だって、楽ではないに違いない。けれども微塵も感じさせず、とても幸せそうだった。

 冨にも地位にも満たされているはずの自分が、その温かさに癒されるほどに。


―――良縁…か。


 そう頭の中で呟いた瞬間、まるで降ってきたようにある考えが頭に浮かんだ。景色を見ていたことも忘れ、束の間茫然とする。

 良縁なら、ある…。

 自分の思い付きに一瞬高揚感を覚える。だが次の瞬間には我に返り、慌てて頭を振った。

 

「まさか…!」


 何を考えているのだと、ヨーゼフは自らを諫めた。

 何歳だと思っているのか。ジークと同じ15歳。自分の子供ほどの年齢の少女なのだ。

 分かっているはずなのに、頭の中ではもう1人の自分が口を挟む。


 このままでは、彼女はいずれ力のある貴族に嫁がされる。

 それで幸せになど、なれるはずもない。


 その声は、悪魔の囁きか、天使の導きか。

 ヨーゼフは窓硝子に触れていた手を固く握った。

 そして固く目を閉じると、暫くその場に佇んでいた。


 ◆


「クレイド家に遣いをやってくれ。そしてクレイド家の令嬢アイリスを、私の後宮に迎えたいと伝えるように」


 翌日国王から突然の命令を受けた宰相は、驚きを露わに一瞬固まった。

 無理もない反応だった。

 今までヨーゼフが自ら妃を求めたことは一度もない。そしてクレイド家は没落貴族…。王室になんら寄与する家でないことは明らかだ。


「…畏まりました」


 宰相は反対することなくそう応えた。

 評判の美しい娘に国王が興味を持った。ただそれだけのことと受け止めてくれたようだった。

 ヨーゼフは宰相に対し、付け足して言った。


「これは命令ではない。断わる自由はあると…伝えてくれ」

「畏まりました」


 恭しく礼をする宰相から逃げるように書類へ目を落とす。

 白々しい言葉を吐いていることは自覚している。断わる自由があると言われて、断われるはずはないことも。

 クレイド家にとって、これ以上の良縁はどこにも無いのだ。


 そして思ったとおり、クレイド家からは即座に了承の返事が返ってきた。

 それを受け、準備が開始される。

 アイリスの部屋が用意され、彼女の世話をする侍女が決まった。

 

 そして数日後のある日、彼女が後宮へ上がったとの知らせが、ヨーゼフのもとへと届いた。

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