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ささやかな問題

 後日、ヨーゼフはカーラとの約束通り議会の場でアイリスの懐妊を周知し、生まれて来る子供が男子であったとしても王位継承権は与えない旨を宣言した。それでひとまず納得したのか、その後カーラが何かを言ってくることは無かった。

 安定期を迎えたアイリスはそれまでと変わらず病気をすることもなく、子供はすくすくと育っていった。それをアイリスとともに喜ぶ日々――。

 全てが順調に運んでいた。

 ただ、1つだけささやかな問題を除いては…。



「あ…待って…!」


 アイリスの小さな囁きで、彼女の肌を愛撫するヨーゼフの手が止まる。

 いつものようにアイリスとともに夜を過ごすヨーゼフは、その日寝台で久し振りに妻の体を求めていた。

 未練がましく夜着の中に手を潜らせたまま、ヨーゼフはアイリスに窺う。


「…まだ無理かな」

「なんだかお腹が張る感じがして…」

「………そうか」


 ごめんなさいと申し訳なさそうに眉を下げられ、ヨーゼフは理性を総動員してアイリスの温もりから手を退いた。

 安定期とはいえ、受け入れられるとは限らないらしい。

 医者には問題無いと言われているようだが、アイリスとしては不安の方が勝つのだろう、どうしてもその気にはなれないようだった。

 今まで当然妊娠中の女性を抱いたことなどなく、勝手が分からないヨーゼフとしては強引に推し進めることなど出来るはずもない。諦めてアイリスの隣に横になると、その体を改めて腕の中に包み込んだ。


「本当にごめんなさい…」


 重ねて謝られると気恥ずかしくなる。ヨーゼフはアイリスの髪を撫でながら失笑した。


「いや、いいよ。謝ることじゃない」


 優しく囁いて額に口付ける。辛くないといえば嘘になるが、そうして温もりを感じられるだけで充分に幸せだった。

 アイリスは安堵したように微笑み、ヨーゼフの胸に頬を寄せた。


「…そういえばね。最近お世話をしてくれている人が変わったの」


 不意にアイリスが思い出したようにそう言った。


「へぇ…仲良く出来そうかい?」

「ん…。必要以上にはお話はしない人なの。でも悪い人じゃないのよ。私のことを細かく気遣ってくれて…。今日も”お体に障るようであれば、陛下のお召しは私の方からお断り申し上げますが”って…」

「自重するから勘弁してくれ」


 芝居がかった調子で嘆くヨーゼフを、アイリスはクスクスと楽しげに笑う。

 ふと何かに気付いたように、視線を落として呟いた。


「赤ちゃん、暴れてる…」


 下腹部に手で触れながら、アイリスは嬉しそうに目を細める。2人の子供は今日もとても元気のようだ。


「少し気を利かせて眠っていてくれ」


 アイリスのお腹に触れながらヨーゼフはおどけて言う。その手に小さな振動が伝わり、ヨーゼフは目を丸くした。初めて感じることが出来た小さな命の証に、自然と頬が緩む。


「…動いた」

「分かる…?」

「うん、分かったよ」

「眠りたくないって」

「そうらしい。無粋な子だ」


 2人して揃って吹き出した。

 本当に、もうすぐ家族が出来るのだ。アイリスの温もりとともにその実感を抱き締めれば、体中が幸福感に包まれる。


「早く会いたい」


 ヨーゼフの囁きにアイリスも「うん」と応えた。

 寄り添った2人はその後も小声で他愛も無い話をしつつ、いつしか穏やかな眠りへと誘われて行った。


 ◆


 そんなある日、執務室で仕事をするヨーゼフのもとへ、ある言伝が届けられた。

 折り入って相談したいことがあるのでお部屋へ伺わせて頂きたいと――それは側妃の1人であるアグネス姫からの申し出だった。


「…相談の内容は?」


 言伝を運んだ衛兵に問うたが、当然ながら何も聞かされてはいないようだった。

 またアイリスの件だろうか。

 気の重い話だが、無視をすればまたアイリスに害が及ぶ可能性もある。

 納税の時期を迎える関係で今日の政務は山積みで、ただでさえアイリスと過ごす時間が減るという時に、またひとつ用事が増えてしまうのか。


「…分かった。後ほど私の方から部屋に行くと伝えてくれ」


 内心嘆息しつつ、ヨーゼフは衛兵に対してそう返した。



 結果として、アグネスの部屋を訪れたヨーゼフは、不本意にも暫くそこで拘束されることとなった。


 アグネスはヨーゼフを歓迎した。

 酒をふるまわれ、延々他愛もない雑談を交わす中、大事な話があると聞いているのに侍女を退がらせる気配もなく、延々とそれは続いた。

 結局痺れを切らしたヨーゼフが人払いを命じ、漸く本題に辿り着いた時には、部屋に来てから一時間は経っていただろうか。

 アグネスは父である侯爵から託されたという手紙を携えており、読んで欲しいとヨーゼフに差し出した。


 目を通しながら、ヨーゼフの顔には疲労感が滲む。

 手紙にはアグネスが後宮で他の姫君達につまはじきされており孤立しているらしいこと、その悩みを何度も聞かされ居てもたってもいられなくなったことが実に感情豊かに綴られていた。だが後宮での人間関係を王に解決して貰う気など無く、ただ大事な娘が寂しがっているだろうから、情けをかけてやってほしいという願いで締めくくられている。

 要は娘のもとに通ってくれと、そういう話だった。

 

 手紙を読み終えたヨーゼフは、アグネスに向き直った。


「…何か、問題があるようだな…」


 アグネスはふと俯き、涙を拭う仕草をして見せた。実際に泣いているかどうかは定かではないが。顔を上げると、にっこりと微笑んで言う。


「いえ陛下。ご心配には及びません。お気遣い有難うございます」


 ならばどうしてこのような手紙を書かせるのか。口にしかけた問いを呑みこみ、ヨーゼフは持っていた手紙を仕舞った。

 聞くまでも無く、答えは明らかだ。

 侯爵はアイリスが妊娠した今、”不自由”しているはずであろう自分に娘をと目論んでいるらしい。側妃に子供は作らせないという今までの方針が変わったとして、それならばアグネスにもという思いが見て取れる。もしかすると手紙に書いてあったアグネスの悩み自体が、ただヨーゼフの気を引くために作られた口実なのかもしれない。

 期待を込めてヨーゼフを見つめ返すアグネスに、胸は鈍く痛みを覚える。

 野心を抱く親の思惑に利用されるまま愛してもいない男の子供を宿そうとする彼女に、自分は愛も地位も満足に与えられない。

 悩んでいると言っているのに、信じてやることすら出来ない。


「……辛いと思ったら、いつでも家に戻っていい」


 ヨーゼフの言葉にアグネスは息を呑んだ。

 せめて彼女を解放してやりたいという思いで言った言葉であったが、アグネスは切り捨てられると感じたのだろう、さっと蒼ざめた。


「そんな…!そんなことは…!」


 突然空気が変わる。アグネスは狼狽しながら頭を下げた。


「申し訳ございませんでした…!二度と陛下を煩わせることは致しませんので、どうかお傍に置いて下さいませ…!」


 何故そうまでしてここに居たいと願うのか。

 胸の内で問い掛けた言葉は声にならず、ヨーゼフはただ静かに低頭するアグネスの姿を見詰めていた。

 



 その後ヨーゼフがアイリスの部屋を訪れたのは、いつもよりかなり遅い時間となった。

 無表情の若い女官に出迎えられ、中へ通される。どうやら彼女がアイリスの言っていた新しい女官のようだ。プラチナブロンドの髪とアイスブルーの瞳が、ただでさえ表情の乏しい彼女により冷たい印象を植え付けている。


「…遅くなったが、妃は起きているかな」

「はい、お待ちになっていらっしゃいます」

 

 女官は素早く取り次ぎに去って行った。

 間もなくアイリスが姿を見せ、ヨーゼフの傍まで来てくれる。それを見届け、女官は失礼しますと一礼すると、速やかに退出して行った。


「ごめん。政務が長引いた」


 余計なことは省いてそう言うと、アイリスの青い瞳がじっとヨーゼフを見詰める。その顔に笑顔が無いのが気になって、ヨーゼフは「どうした?」と問い掛けた。

 アイリスは我に返ったように笑顔を作ると、ふるふると首を振った。


「なんでもない…。…忙しいのに、来てくれて有難う」

「礼を言われると困るな。きみの顔を見ないと一日が終わらないのは私の方だ」


 囁きかけて抱き締めると、アイリスもまたヨーゼフの胸に頬を寄せて目を閉じた。


 ◆


 その後、政務は忙しさを増していった。

 毎晩アイリスの部屋に行く時間が遅くなり、ゆっくり話す間もなく眠るだけの日々が続いた。それでも昼食は欠かさず一緒にとっていたが、いつしかアイリスの顔には隠しきれない寂しさが表れるようになっていった。



「…今日も、…お仕事が長引いたの?」


 ある夜、また遅くに現れたヨーゼフに、アイリスは躊躇いながらそう訊いてきた。


「そうなんだ。納税の時期が近づくと色々仕事が増えて…。でもその山ももう少しで落ち着くはずだ」

「…そう」

「ごめん。なるべく早く来るようにするよ」

「…ううん…」


 アイリスは首を振るとヨーゼフを振り仰ぎ、ぎこちなく笑顔を作って言った。


「お仕事があるときは、無理して来なくても大丈夫よ…?」

「いや、私が来たいんだ。…きみが、嫌でなければだけど…」


 影の差したアイリスの表情を窺いながらそう返すも、そこに滲む屈託が消えることは無かった。

 初めての妊娠に不安な思いもあるだろうに、支えてやることも出来ずに寂しい思いをさせるばかりの現状がもどかしい。それでも国王という立場上、政務をおざなりには出来ないのだが。

 

「どうぞ、入って!」


 更に何かを言いかけたヨーゼフを遮るように、アイリスは奥を差して言った。


「…うん」


 いい加減愛想を尽かされてしまうのではないだろうか。

 ヨーゼフは胸に湧き上がる不安を無理に振り払いながら、アイリスとともに寝室へと入って行った。




「ヨーゼフ…」


 寝台に入ってランプを消した後、暗闇の中でふとアイリスが囁いた。その体を腕に抱いたまま、ヨーゼフは小さく囁き返す。


「ん?」

「あの…もう大丈夫…」

「…ん?」

「赤ちゃん、眠ってくれてるから…」


 言葉の意味が直ぐには理解できず、束の間沈黙が流れる。だが以前自分が言った言葉を思い出すと、その意図も漸く伝わった。


 ”少し気を利かせて眠っていてくれ”


 今なら大丈夫だと、そう教えてくれているのだ。


「…いいのかい?」


 アイリスはこくりと頷いて答えた。

 彼女の方から誘ってくれたのが嬉しくて、ヨーゼフはアイリスの体を強く抱きしめた。そしてそっと体を起こして、覆いかぶさる。

 けれども見詰め合ったその瞳はやはりどこか不安気に映り、ヨーゼフを躊躇わせた。


「…本当に?無理はしなくても…」

「ううん!大丈夫だから…!」


 ヨーゼフの言葉を遮るようにアイリスが言う。どこかムキになっているかのようなその響きに引っ掛かりを覚えはしたが、それ以上に強く自分を衝き動かす欲に負けた。

 引き寄せられるように唇を重ねると、もう何も考えられなくなった。


 甘い口付けは久し振りの感覚を呼び戻す。我慢していた想いが溢れ出すのを感じながら、ヨーゼフはアイリスの夜着を剥いだ。

 少し膨らんだお腹を気遣いながら、その肌を味わう。白い胸が露になると、顔を埋め、夢中で愛撫した。

 

 不意にアイリスの手が、ぎゅっと自分の夜着を掴んだ感覚で我に返り、ヨーゼフは動きを止めた。

 その手から、強張る体から、アイリスの緊張が伝わってくる。

 顔を上げてアイリスを窺えば、彼女は固く目を閉じ、僅かに眉根を寄せていた。

 押し寄せる不安を、堪えるように。


 昂ぶっていた熱が急速に退いていく。

 ヨーゼフはふっと自嘲的な笑みを洩らすと、剥いだ夜着を元通りに合わせ、再び寝台に横になった。

 離れた体温に気付き、アイリスが目を開く。戸惑う瞳に、ヨーゼフは微笑みかけて言った。


「やめておこう。不安があるなら、するべきじゃない」

「そんな…。本当に大丈夫だからっ…」

「大丈夫っていう顔じゃなかったよ」


 責める気は毛頭無かったが、アイリスは傷ついたような顔になった。寝台から身を起こすと、ヨーゼフを覗きこむようにして見る。


「…どうした?」


 アイリスの表情がひどく苦しげに思えて、ヨーゼフは困惑しながら問い掛けた。アイリスは暫く迷っていたが、やがて意を決したように口を開く。


「あの…それなら私…。どうしたらいいか、教えて…」

「…え?」

「言われたとおりするから…。初めてだから、あんまり上手にできないかもしれないけど…」


 自ら奉仕を申し出るアイリスに、ヨーゼフは言葉を失った。

 自分の相手をできないことを、そこまで気に病んでくれているとは思っていなかった。


「ね…教えて…?」


 だがそれが義務感から出ている言葉であることは、流石に分かる。


「アイリス…」


 ヨーゼフもまた身を起こし、アイリスと向き合った。今にも泣きそうな顔に触れ、出来るだけ穏やかに声を掛ける。


「…有難う。でも大丈夫だよ。きみがそんなことを心配する必要は無いんだ」


 そう言った瞬間、アイリスは堰を切ったように泣き出した。

 驚くヨーゼフから目を背けるように顔を覆い、細い肩を震わせる。あまりにも痛々しい泣き声に動転し、ヨーゼフはとっさに謝っていた。


「アイリス…ごめん。悪かった…!」


 抱きよせて宥めようとしても、アイリスの涙は止まらない。

 どうしたらいいのか分からず、ヨーゼフはただ途方に暮れた。


「泣かないでくれアイリス…。私は本当に大丈夫だから…」


 懇願するヨーゼフに応えることも出来ず、アイリスはそのまましばらく涙を流し続けていた。

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