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泥丸様  作者: 鵜狩三善
2/3

2.

 でも僕が泥丸様の噂を作ったのを本当に後悔したのは、その週末の事だ。

 チカが泣きながらうちにやって来て、僕に(すが)ったのだ。


「どうしよう。泥丸様が来ちゃう。どうしよう」


 思わずアホかと呟いた。


「お前、こういうの一切信じてないんだろ。なのになんだってそんな事したんだよ?」


 問い(ただ)したら、理由は呆れるほどに馬鹿げていた。

 距離ができた、疎遠になった、なんて言っても、やっぱり家は近所なのだし学校以外での行き来はそこそこにある。漫画やゲームの貸し借りなんかだってする。

 そしてチカは先日、僕から借りた漫画にジュースを零して汚してしまった。

 本とか漫画とか、物語に関わるものを大事にする僕の性分を知っているだけに、これはマズいと青くなって、チカは必死に謝った。

 けれど僕は大して怒りもせずに、まるで謝罪を無視するかのような態度をとった。

 変わっていく泥丸様をなんとかするのに気を取られていたから僕の応対はそんなだったのだけれど、チカからすると、その様は根深く冷たい拒絶と見えたらしい。

 ますます僕が離れていくようで怖くなって、


「昔みたいに仲良くできますように」


 泥丸様を作って、そう願ってしまったのだという。

 思わずアホかともう一度呟いた。そんなの、直接言えば済む話じゃないか。



 そしてよりにもよってその直後、あの傷害事件が起きた。

 おかしな噂になってきているとは思っていたけれど、そんな大それた事が起きるだなんて思っていなかったチカは、すっかり怯えてしまった。

 以降学校を包み込んだぴりぴりした空気も、その恐怖に拍車をかけた。

 我慢してでたらめだと自分に言い聞かせて、それでもどうにもならずに僕に助けを求めたのだ。泣きながら震えるチカを見て、僕はすっかり頭に来てしまった。


「大体な、あんなのただの噂なんだ。お前が怖がる事なんて何一つない」


 (なだ)めて言い聞かせて家に返して、その夜こっそりうちを抜け出た。



──



 夜の学校は不気味だった。

 常夜灯の薄い輝きがおかしな具合に陰影を作り、暗闇に沈んだグラウンドは見通しが利かず、どこもかしこもが見知らぬ風景のようだ。

 懐中電灯で足元を照らしながら、だけど僕はためらわずに体育館裏を目指した。

 チカの事ばかりじゃなくて、別の理由でも僕は泥丸様に腹を立てている。


 僕は、首取り赤兎の話が嫌いだった。

 だって可哀想じゃないか。人の都合で飼われて、人の都合で忘れられて、人の都合で死なされて。その上その後もまだ、人の好き勝手に語られて怖がられている。元は愛されていたはずなのに。

 それで義憤(ぎふん)に駆られて、なんてわけじゃないけど、一度話をこしらえて、兎の噂を書き換えようとした事がある。


「体育館裏に居るのは泣き兎。

 自分のした事を後悔して泣き続ける兎だ。けれど真っ赤に染まってしまった毛皮を怖がって、誰も兎の話を聞いてはくれない。

 兎は今も泣いている。自分を分かって欲しくて泣いている。

 泣きはらしたその目は、やっぱり真っ赤になっている」


 怖さが足りなかったのか、そもそも面白みがなかったのか。これはまるで流行らなかった。

 泥丸様はその次の作、僕の次善の策だった。書き換えられないなら上書きだと、そういう考えて舞台を体育館裏にした。

 ユーモラスな外見と、皆に幸福をくれるという要素も付け加えた。

 なのに。

 なのに物語は歪みに歪んで、学校中を嫌な空気で押し(くる)んでしまっている。チカを泣かせたりしてしまっている。

 お前まで残酷な怪談になってしまってどうするんだ。


 飼育小屋の周りには、いくつもの泥丸様がまだあった。

 僕は懐中電灯の光の輪がに入ってきたそれらを片っ端から蹴り潰し、その残骸を()ね直すと大きめの泥丸様にして、それへ向けて三度叫んだ。


「泥丸様、泥丸様、本当にいるんなら、今すぐ僕のところにやって来い!」


 出てきたら一発でもいい、ぶん殴ってやる。生みの親なら断固としてそうするべきだ。そう思って拳を固く握り締めた。

 僕の声は誰もいない校舎に反響し、やがて消える。それから後は、夜の静寂(しじま)と学校の外からの遠い喧騒(けんそう)が聞こえてくるだけだった。

 何も起こらなかった。

 当たり前だ。泥丸様は、僕の作り話なのだから。

 

 ふっと肩の力が抜けた。血が上った頭が冷えて、まったく馬鹿な事をしたという気持ちになった。

 もう、帰ろう。

 (きびす)を返しかけたその時、飼育小屋の薄暗がりから、しゅう、と音がした。

 僕は弾かれたように振り返り、暗闇を透かす。けれど何も見えない。


 しゅう、とまた音が鳴る。

 不意にそれが、何かが息を吐く音だと分かった。ぞわりと肌が粟立った。


 しゅう、しゅう、しゅう。


 短く興奮したような呼吸を繰り返しながら、何かは僕の回りの闇を巡り歩いている。そのうちにどこからともなく、吐き気のするような臭いが漂ってきた。生臭い。

 音を追って首を巡らすと、飼育小屋の片隅に、今までなかったはずの塚のようなものが見えた。

 なんだろうとつい目を()らす。そして正体を悟って、喉の奥で悲鳴がくぐもった。

 頭蓋骨だ。兎や犬や猫。そういう動物の頭の骨が、茶色く腐った肉片を絡ませながら、雑多に積み重なっている。いや、それだけじゃない。

 多分あそこにあるのはそれだけじゃなくて、きっと人間の──。


 しゅう、と嘲笑うように呼気がする。

 赤兎だ。

 暗闇に居るのは、首取り赤兎だ。

 名前が示すように、その兎は首を取る。じゃあ、取られた首はどこへ行く?

 あれがその答えだ。あの首塚がその答えだ。

 取っていったその首で、兎は真っ赤な塚を築くのだ。


 僕が解答に辿り着くのを待っていたように、闇にふたつの赤い光が浮かび上がる。兎の目だった。赤兎の双眸(そうぼう)だ。

 見間違えようのない憎しみを湛えて、その視線は僕に注がれている。

 噂通り、毛皮は返り血で赤黒く(まだら)に染まっていた。痩せこけた脇腹には肋が浮いている。

 口元から覗く白。それは歯というよりも、もう牙だった。肉を裂き食いちぎる事に特化した、殺す為の器官だ。

 大きな犬ほどもあるサイズの兎が、僕に躍りかかろうと身を(たわ)める。


 その瞬間、僕と赤兎の間に、ひょこたりと何かが割って入った。

 ユーモラスな、雪だるまのようなシルエット。胴から突き出た細い枝の両腕。

 それは、さっき僕が作った泥丸様だった。いつの間にか僕より大きな背丈になって、そうして僕を庇って兎と相対しているのだった。


 しゅう、と兎が息を吐き、ぐるぐると泥丸様の周りを回る。

 ひょこり、ひょこりと泥丸様は跳ねて、兎を正面に捉え続ける。

 そのうちに兎は焦れたのか、円運動から転じ、バネ仕掛けめいた速度で泥丸様に飛びかかった。しかし泥丸様の腕が鋭く(しな)って兎を打って、その突進を払い落とす。


 そんな攻防が幾度も繰り返された。

 ぴしりぴしりと打ち付けられる枝は、力強くも素早くも見えない。けれどどうしてか、圧倒しているのは泥丸様の方だった。

 やがて兎は諦めたのか、しゅう、と強く息を吐き、姿を消した。

 同時に立ち込めていた臭気も首塚も、ぱっと消え失せ、後には僕と泥丸様ばかりが残された。


 僕は腰を抜かした格好で、言葉もなく(ほう)けたように泥丸様を見上げる。泥丸様もこちらを見返す。そのまま、しばらく見つめ合う格好になった。

 スマイルマークそっくりのシンプルなその顔は、どこか悲しそうで寂しそうで、そして何故だかちょっぴり不貞腐れているみたいだった。

 やがて僕の無事を確認し終えたのか、泥丸様はひと跳ねして向きを変え、ぴょこたりぴょこたり遠ざかっていく。

 校舎の影へ折れて見えなくなる寸前、細い枝の不揃いな腕が、バイバイと打ち振られた。

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