1.
「泥丸様にお願いしよう」
「泥丸様に頼んでみよう」
休み時間、そんな声が聞こえてくると、僕は得意な気持ちを抑えきれない。何故って泥丸様は、僕がでっち上げた学校の怪談だからだ。
読んで字の通り、泥丸様は泥でできている。
体育館裏の今は使われてない飼育小屋。そこの冷たく湿った土で泥団子作って、二つ重ねて雪だるまのようにする。同じく雪だるまのように、両腕代わりに枝を刺し、スマイルマークそっくりの目と口を描いたらもう完成だ。
それを人目につかない場所に置き、
「泥丸様、泥丸様、お聞き届けください」
そう唱えて、願い事を三度囁く。
翌日の同じ時間までに置いた場所から泥丸様がいなくなっていればおまじないは成功。望みは叶う。
他愛もない話だけれど、元々飼育小屋には怪談があった。
その名も首取り赤兎。
数年前、学校で飼っていた兎が首を切り落とされて殺されるという事件が起きた。
事の詳細は結局僕ら子供には知らされなかったけれど、それが逆に想像力を刺激して、人の首を落とす赤い兎の怪談が出来上がったのだ。
「学校の兎を殺したのは兎のお化けだ。
ずっと昔、ちゃんと世話をされずに餓死した兎がいて、そいつが恨みでお化けになった。だから可愛がられている兎が妬んで殺して回るのだ。そいつの毛皮は返り血で真っ赤に染まっている。
おまけにそいつは兎だけじゃなく、自分を裏切って餓えさせた人間の子供も憎んでいる。
夕方以降、絶対に一人で飼育小屋に行ってはならない。赤兎に襲われて首を噛み切られてしまう。切り落とされた首は二度と見つからない。何故なら赤兎が取っていってしまうからだ」
語り手によって微妙に筋や細部に違いがあったりもするけど、大体の筋書きはこんな感じだ。
自分の願いを叶える為に、そんな空恐ろしい場所に行く。
そういう後暗くて秘密めいた空気が、秘密の儀式めいた雰囲気を醸したからだろう。泥丸様は僕の話の常ならずでウケがよかった。
「なくした物が見つかった」「好きな子に告白する勇気が出せた」なんて可愛らしいものから、「あいつがテストで満点とれたのは実は泥丸様のおかげ」「嫌な教師が事故にあったのは泥丸様の仕業」みたいな嫉妬や恨みが入り交じったものまで、泥丸様は色んな人物の色んなお願いを引き受け、そして叶えたらしい。
発端の僕はといえば、興味なさそうな顔を作って飛び交う話を聞き流していた。勿論内心は喜色満面、大喜びだ。
そうして悦に入っていたら、
「アンタじゃないの、この噂」
決め付けるように言われて、後ろから耳を掴まれた。
何をするんだと振り向くとチカだった。
以前は何をするのにも一緒だった幼馴染みだけれど、このくらいの歳になると男の子は男の子、女の子は女の子で遊ぶようになる。自然と少しの距離ができて、ちょっと疎遠になっていた相手だ。
それでも付き合いの長さで気質を知っているから、泥丸様を僕の仕業と睨んだのだろう。
そういえば昔から、人に迷惑をかけるなと口やかましいヤツだった。きっとなんやかやの文句を付けようというのに違いない。
「知らないよ」
「ホントに?」
「本当に」
「……そう」
威勢良くやっては来たものの、確たる証拠はなかったらしい。白を切り続けるとチカは尻すぼみになって、僕の耳を離した。
「なら、いいんだけど。なんか変な事になってるし」
「変な事?」
生みの親としては、聞き捨てならない台詞だった。
「噂って泥丸様とかいうのだろ? 変な事ってなんだよ?」
問い返すとチカは逡巡し、周囲を見回してから僕の耳元に口を寄せた。チカの、女の子の匂いが鼻先にして、一瞬だけどきりとする。
「『泥丸様が取立てに来る』って、聞いたことない?」
願いを叶えてもらった人物は、お礼として泥丸様に体の一部を差し出さなければならない。
僕の預かり知らぬうちに、そんなルールができていた。
泥から出来た泥丸様は人間になりたがっている。だから頼みを聞き届けて、代わりに体を揃えるのだ、と。
折悪しく校内での怪我が多発した所為もあって、尾ひれは一気に大きくなった。
「真っ赤な泥丸様が置いてあるのを見た。あれは返り血に違いない」
「道に小さな泥の塊がいくつも落ちていた。きっと泥丸様が歩いた跡だ」
「廊下に泥丸様が居るのを見た。大人くらいの背丈だった」
「トイレの個室を泥丸様にノックされた」
「授業中、校庭で何か動いていた。あの丸い影は泥丸様に違いない」
「片足のない猫がいた。泥丸様に取られたんだ」
「近所の犬がいなくなった。泥丸様に食べられたんだ」
泥丸様の噂は見る見るうちに変容して変化して、変貌して変質してしまった。
僕はひどく嫌な気持ちになった。泥丸様が、ただ怖いだけ、恐ろしいだけのものに成り果ててしまっていたからだ。
なのにそれでも泥丸様は作られ続けて、おまけにそこに髪や爪がお供えされるようにまでなった。
これで許してください、これだけで見逃してください。そういう意思表示であるらしい。
その所為で泥丸様は、ますます呪われてホラーじみた存在になり、そして忘れもしないこの木曜日、とうとう事件が起きた。
一人の女生徒が、友人の目を彫刻刀で抉ったのだ。
「あの子の目玉を代わりに差し出そうと思った」
取り押さえられたその女生徒は、そう供述した。
先生たちは翌日の全校朝礼で、「ただの迷信」「集団ヒステリー」などと説明して事件と泥丸様を否定したけれど、事はとても治まるものじゃなかった。
何より彼女の発想が、「自分以外の誰かを捧げればいい」という思いつきが、学校中に受け入れられてしまったのだ。
クラスの、校内の空気はぴりぴりとひりついて緊迫し、誰も彼もがぎこちなくなった。皆が皆、自分以外を疑いの目で見るようになってしまった。