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ガタガタと、車輪は直に地面が平らでないことを伝えてくる。馬車がこんなに揺れるものだったなんて知らなかった。
ここに来てから、二日が経った。初日と昨日は、結局大して何も知らされないまま部屋で過ごした。ベニトとアルーサの二人が常に側にいる状態でくつろげるはずもなかった。監視されるというのはとても疲れる。たぶん、監視するのよりもずっと。
その状況から少しでも逃れたくて、二日とも随分と早い時間にベッドに入った。寝ているからといって二人がどこかにいってくれるわけじゃなかったけど、起きてるよりはマシだ。それでもやっぱり緊張してたのか、起きた時にはあちこちが強ばっていたけれど、今はもうそれもない。
ただ、全身に力が入ってしまうのはどうしようもなかった。
馬車の中に、ルーデンと二人きりなのだ。
朝食後、部屋まで迎えに来たと思ったら、一昨日着替えてから見当たらなかった着物を渡され、着替えるように言われた。着替え終わると息をつく間もなく、まるで誘拐のように馬車に押しこめられ、それから私は馬車の揺れと戦っている。
狭い空間、隣にはルーデン。少しでも体が横に傾いてしまったら、腕がルーデンに当たってしまう。それだけは阻止したかった。
「ふっ」
どれくらい進んだのか。私には長く感じられるけどたぶんそう経ってないころに、隣でルーデンが笑いを零した。何かと思って横を向くと、ルーデンがこっちを見ていた。
「そんなに緊張しなくても」
お見通しだというように言われ、目を逸らした。
「何も取って食おうというわけじゃない。私は君には何もしないよ」
どの口が言う、と思ったけれど口には出さなかった。出せなかったという方が正しい。
笑みを浮かべていても浮かべていなくても、ルーデンは怖い。何となく。
「これから行くのは王の離宮だ。王城じゃないから少しかかる。ずっと肩肘を張っていたら疲れるだろう。楽にすると良い」
「・・・離宮?」
何でそんなところに。
分かりたくなくて、分からない振りをする。私に選択肢がないのは知っているから。
「王族の方々への献上品を届けに。献上品とはいっても、もちろん代金は頂くが。回りくどい言い方を止めるなら、商売をしに行くと言ってもいい」
「それって、誰でも出来るんですか?」
「まさか」
予想通りの答えだった。この威圧感で一介の商人ってことはないだろう。ただ、王族御用達っていうのがどれくらいすごいことなのかは私の感覚ではよく分からなかった。
「この街で、いや、この国で私以上に力を持つ存在というのは、王族と魔法使いくらいだ。よほど鋭い爪を巧妙に隠した鷹がいなければの話だが」
自信過剰でも何でもなくて、実際きっとそうなんだろうと思う。
けれど、私がひっかかったのはそこじゃなかった。もちろん。
「魔法使い?」
「ああ」
頷いたルーデンの横顔には苦みが混じっている。
「魔法使いって、魔法を使える、あの魔法使い?」
繰り返し問う私に、ルーデンは訝しげな視線を向けた。
「魔法使いなんているんですか?」
「もちろん。・・・ああ、もしかして君の国には魔法使いはいなかったのか?」
国にいなかったも何も、むしろ普通にいると認識していることの方が驚きだ。
「よほどの辺境から来たんだな。魔法使いなんてあちこちにいるだろうに」
「そうなんですか?」
「ああ。各地に散らばるようにしてね。奴らがどこに住んでいるのか、詳細な居場所を知っている者は少ないが。私は知らないよ。知りたくもないからね」
ふっとルーデンが笑う。その表情で、ルーデンが魔法使いに好感を抱いていないのはありありと伝わってきた。
「魔法使いが嫌いなんですか?」
「人は得体の知れない物には本能的に恐怖を抱くだろう?それがコントロールできないものなら尚更。魔法使いを思い通りに動かすなんて不可能だ。奴らは何でも出来る。出来ないことなどないんだろう。死すら操れるのだから」
「そんなこと出来るわけ」
「奴らは、不老不死だ」
ルーデンは迷い無く言い切った。嘘には聞こえなかった。
まあ、とため息を吐くようにルーデンは続ける。
「実際どうかは知らない。何しろ魔法使いに近づく人間なんてそうそういないからね。ただ、昔からそう言われているし、記録されている魔法使いには軽く100年以上生きているものもいるのだから、少なくとも人よりずっと長い寿命を持っているのは確かだろう」
「ほんとに魔法使いなんですね」
思わず零れた感想に、ルーデンは呆れたような目をした。
「ただ、ここには奴らの干渉はない。昔、王族と魔法使いがそういう契約を交わしたと言われてる。あまりに古い話で、これも真偽のほどは定かじゃないが、実際この辺りに魔法使いは滅多に現れないから嘘ではないんだろう」
ルーデンはふいと視線を窓の外に向けた。さっきまで近くに見えていた王城が、いつの間にか離れたところにある。
「西方には、魔法使いが守護をしている国があると聞く。守護されるようになってからその国の周辺では争いが無くなったらしいが、良いことかどうか」
「どうしてです?争いが無くなったのなら良いじゃないですか」
「君は信用できない者に自分の大切なものを預けられるか?魔法使いっていうのは嘘の塊だ。嘘しか吐かないと言ってもいい」
この世界の事情はよく分からない。魔法使いに対する感覚が、今まで私の中にあったものと大きく違っていて戸惑う。ルーデンが極端なのか、一般的な意見なのかも私には分からないのだ。
「魔法使いや魔法について、正確に知られていることは少ない。どうしてだと思う?」
こっちを見たルーデンを見つめ返しながら考える。
「近づく人が少ないから?」
さっきルーデンがそう言っていた。
「それもあるけれど、それ以上に、奴らが本当のことを話さないからだ。まあ、自分の優位性を保つものの本質を、軽々しく漏らすのは愚かな人間のすることだから、間違ったことだとは言わないが」
そう言いながら、ルーデンの目はずっと冷たいままだった。
「それでも、そういう奴らに、大切なものを、国を守らせるだなんて、正気の沙汰だとは思えない。もし私が王なら、そんな選択は選択肢にも入れないだろう」
ふう、と息を吐いて、ルーデンは背もたれに体を深く預けた。
私はというと、思いがけず見せられたルーデンの思考に、何となく圧倒されていた。
「・・・でも、魔法使いについてよく知ってるんですね」
ちらりと視線だけがこちらを向いた。そしてルーデンは肩をすくめる。
「これくらいの知識は、この国でも周辺の国でも、ほとんどの人間が持っているよ。探せばもっと詳しい人間もいるだろう。私自身は、興味が全くないとは言わないが、関わり合いになる必要がない限り、奴らについて深く知ろうとは思わないね。欲望の深淵を覗くようなものだ」
ルーデンの言ってることはよく分からなかったが、おそらくさっき言ってたことは、この世界じゃ共通認識のようなものだというのは分かった。
「でも、その守護の魔法使いさんは、良い人なのかも」
「良い魔法使いを見つけるなんていうのは、良い悪人を見つけるというのとほとんど同義だよ」
くだらない、と声で言いながらルーデンは目を閉じる。
「私が敬うのは王族のみだし、私が恐れるのは魔法使いだけだ」
この人がそこまでいう、魔法使いというのはどんなものなんだろうと思う。
「離宮に着くまでもう少しかかる。それまで短い時間だが、休むといい」
これ以上の会話はなしだと言外に告げられたのが分かって、私も口を閉じた。
座席に深く腰掛けると、さっきまでと比べて揺れが気にならない。車よりずっと遅いスピードで進む景色を見ながら、早く着いて欲しい気持ちとずっと着かないで欲しい気持ちが体の中でせめぎあっているのを感じていた。