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 大通りに一歩踏み出して、そこで足が止まる。

「うわあ」

 勝手に声が漏れるほど、活気に溢れた空気が広がっていた。

 通りというよりは広場に近いような幅の空間に、二列ごとに向かい合うようにして店が並んでいる。屋台というよりは朝市のようで、果物や野菜はもちろん、調味料らしいものや衣服まで、ざっと見ただけでも多種多様なのが分かる。

 多いのは店だけじゃなく、買い物をしている人も数え切れないほどいる。売る人、買う人、それぞれの威勢のいい声があちこちから上がって、熱気すら感じるくらいだ。行き交う人の顔立ちは西洋風のもので、着ている服も見慣れたものではない。それが非日常を強調しているようで、自然と気持ちも浮き立つ。

 心臓が高鳴る。

 人の波に引かれるようにして、市場に足を踏み入れた。ざわめきが体中を包んで、近くで交わされる会話もその中に埋もれてしまうようだ。流れに逆らわないようにしながら、ゆっくりと歩いていく。どれもこれもに目がいって、きょろきょろと忙しなく視線を動かしてしまう。見たことがあるようなお菓子もあれば、どんな味か想像しにくい果物もある。

 途中で小さな置物が並んでいる店があり、細かい細工に思わず足を止めた。

「いらっしゃい」

 愛想の良い笑みで、店主が言う。

「お客さんは遠いところから来たんだろう?安くしとくから見てってよ」

 これはどこの染料を使っていて、こっちのはこの部分が珍しい。

 聞いてもいないのにあれこれと口を挟む間もないくらいの勢いで説明されて、どうしようかと視線を泳がせた。

「ほら、これなんかどう?」

 一際細かく綺麗な出来映えのものを差し出されて、そのまま売りつけられそうな雰囲気を感じ、意味なく笑みを浮かべながら首を振った。

「あの、お金がないので」

「またまた。そんな良い服着て、良いとこのお嬢さんなんだろ?あ、お連れさんとはぐれちゃったとかかい?」

「いえ、そういうわけじゃ」

「ああ、その耳飾り、珍しい形だね。なんならそれと交換でも構わないよ。値段としちゃそう変わらんだろう」

「これはちょっと」

 イヤリングを見つけた店主の目が、商売人の色を濃くする。

 別に特別なものでも何でもないし、実際その置物と対して価値が変わらないとは思うけど、これと交換してまで置物が欲しいわけでもない。

 何と言って断れば良いのかと思いながら後ずさるようにして一歩下がると、ちょうど後ろを通った人とぶつかってしまった。

「すみません」

 反射的に謝ると、こっちを見た目が物珍しそうに一瞬瞬きをして、こっちこそ、という謝罪とともに去っていった。

 店の前で足を止めていたせいか、周囲からの好奇の目が多くなってきている。良いきっかけになったと思い、店主の方に振り返ると軽く会釈をした。

「あの、急いでるので、また」

 また来るつもりもなかったけれど、とにかく会話を打ち切るためにそう言って、店主が何かを言う前に足早に店を離れた。人ごみを縫うようにして歩いていく。押しに弱いつもりはないけど、強くもない。逃げるが勝ちといったところだ。

 店が見えなくなったところで、ふう、と息を吐いた。歩きながらもあちこちからの視線は感じていた。

 けれども、ぐるりと見渡してみても、どこに行けば良いのか分からない。

 ぎゅっと握った手を、心臓を押さえるようにして胸元に当てる。幾重にも重なった服の上からでも鼓動が分かる気がする。

 この動悸は、気持ちが高鳴っているせいじゃないのは、もう分かっていた。少し現実逃避をしていたかっただけで、でもそろそろ受け入れなくてはどうにもならない。

 ため息をついて、肩を落とす。

「・・・ここ、どこよ」

 習い事から帰ってきて、部屋に戻るところだった。ただいま、と母親に言ったら、貰い物の和菓子があるからそのままでリビングにおいでと言われ、とりあえず荷物だけでも置こうと思って自室のドアに手をかけた。その時にお茶は煎茶とほうじ茶とどっちが良いかと聞かれたから、リビングの方を向いて煎茶と答えながらドアを開けて。

 踏み出した足が床に付かない、と違和感を感じて部屋の方を向いた瞬間、部屋が無くなって、全身に走る衝撃に我に返ると石畳の路地裏に、私はいた。

 部屋に入ったはずなのに、座り込んでいるのは見知らぬ場所。

 呆然とするばかりで、パニックになる余裕すらなかった。一体何が起こったのか、ここはどこなのか。それを聞こうにも、路地裏には誰もいなかった。冷たい石畳の上にしばらく座り込んだ後で、のろのろ立ち上がって道なりに進んで来た結果が、ここだった。

 歩く人は、日本人の顔立ちとは全然違う。着ている服も、世界史の教科書なんかで見たようなもの。もしかしたら今でも伝統を守って暮らす町ならこういう服を着てるかもしれないけど、じゃあどうして日本語が通じてるのよと思う。

 つまり、ここがどこだか、全然分からない。

 顔立ちが違っても、せめて普通の服を着ていたら少しは馴染めていたかもしれないのに、よりによって、お茶のお稽古から帰ったばかりだった。着物のなんと目立つことだろう。

 暗がりの広がる裏路地に入るのは怖いし、かといってこのままここにいても人目を引いて居心地が悪い。

 とにかく少しでも人の少ないところに行きたくて、市場の端まで進むことにした。

「ね、これ買ってかない?」

「いや、うちの方が良いよ。安くしとくし」

 一歩踏み出す度に声がかかる。

 珍しさで目が留まるのだろう。それに加えて、今日は持ってる中でも比較的良い着物を着ていた。たぶん、形が違っても、布の質の良さは分かるのだと思う。そうじゃなくても、ここにいるのは質素な身なりの人も多い。

 若くて世間知らずで、それなりの身分に見える。

 そうなれば、良いカモだと思われてるのは明らかだった。

 いらない、と手で示していたのも、ずっと続くと面倒になる。声に気付かない振りをして、脇目も振らずにどんどん進んでいくと、ようやく市場の端っこに着いた。

 小さな広場で、そこから先はいくつかの通りに分かれている。

 足を止めて、引き返そうか迷う。大して考えずに来てしまったけど、立ち止まって周りを見ると、こっちの方はどうやら少し治安が悪いようだった。なんとなくそう感じるという程度で、実際のところは分からないけど、そういう空気は、縁がなくても分かるもんだ。

 通りの影になったところに座り込んでる人たちは、様子見という感じでこっちを見ている。関わり合いになる前に、やっぱり多少人目が気になっても、とりあえず戻った方が良い。

 そう判断して、踵を返した瞬間、左腕が掴まれた。

「一人、みたいだね?」

「なっ!?」

 にこにこと笑みを浮かべた男の人が、腕を掴んで体を寄せてきた。

 笑顔なのに、何故か警戒心が刺激される。気味が悪い笑みだ。なにより掴まれた腕が痛い。

「離して!」

「珍しい恰好だ。いろんなとこから来た人間を見てきたが、こんな服は見たことない」

 腕を掴んでいるのと反対側の手が、顎にかけられる。ぞわりと鳥肌が立って、肩が震えた。

「それに顔つきもここらじゃ見ない」

 顎から手が離れ、上から下まで値踏みをするようにゆっくり視線が這っていく。

 体重をかけて腕を引いてるのにびくともしない。むしろさらに手に力がこめられて、痛みが増しただけだった。

「悪くない。どこのか知らないが良い身なりだ。さしずめ遊学か旅行にでも来たお嬢様ってところかな?ここらも最近じゃ貿易が盛んになってきたから、海を渡ってきててもおかしくない」

「っ!」

 掴まれた腕をぐっと後ろに引き上げられて、さっきとは違う痛みで息が詰まる。右腕も掴まれて、後ろで両腕が拘束されようとしているのが分かった。

「離してったら!」

 力一杯暴れようとしても、全く歯が立たなかった。体をよじってみても両腕が掴まれていてどうしようもない。せめて片腕だけでも離さないかと思って、足を後ろに蹴り上げてみたけれど、あざ笑うかのようにさっと避けられ、逆に足を払われた。

 地面に倒れこんで、上からのしかかるようにして押さえつけられる。

 加減されたのか、地面に体を打ち付けた衝撃は予想よりもずっと小さかったけれど、圧迫感が苦しい。

「・・・無駄な抵抗はよさないか。傷がつくと価値が下がる。なに、悪いようにはしないさ、たぶんね」

 どこにあったのか、両腕が縄のようなものできつく縛られる。

「足を縛っても良いんだが、そうすると担いでいかなくちゃいけないのが面倒だ」

 背中にかかっていた力が無くなった。けれど、両手が使えなくて一人で起き上がるのは難しそうだった。

 こつこつと顔の横で靴音がなり、頭上に影が落ちたと思ったら顔を上げさせられた。見上げた先に、しゃがんだ男の人の顔があった。

「どうする?足を縛って担がれるか、自分の足で歩くか。もちろん逃がしはしない。自分で歩くのなら、さっきみたいに蹴るのはなしだ。そんなことをしたらどうなるか、想像が出来ないほど子供でもないだろう?」

 薄い笑みに、恐怖がわく。

「こっちとしては、歩いてくれた方が手間が省ける。力仕事は得意じゃなくてね。さ、どっちにする?」

「・・・自分で、歩きます」

「それでいい」

 両腕が引っ張られて、体が浮き上がる。手を離されててバランスを崩す前に自分の足で立つことが出来た。

「さ、こっちだ」

 腕を縛る縄の先は男の人の手の中にある。手に巻くようにして掴んでいるから引っ張ったところで逃げることは出来ないだろう。それに着物のままで走って逃げ切れるとも思えなかった。

 広場から伸びる路地の中で、比較的大きいものの方へと歩いていく。

 その後ろに付いていくしか、出来ることはなかった。

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