屋上から見た空は、まっ白だった。その日以来、空から色がなくなった。
屋上から見た空は、まっ白だった。その日以来、空から色がなくなった。
最初にそれを見つけたのは、たぶん僕だった。
六月の終わり、期末テストの一週間前。昼休みのチャイムが鳴っても教室に残る気になれなくて、僕はひとりで特別棟の屋上へ続く階段をのぼっていた。フェンス越しに見える街はいつも通りだった。遠くの団地、送電線、河川敷の野球場、信号待ちの車の列。何も変わっていないように見えた。
なのに、空だけが違っていた。
雲ひとつないのに青くなかった。灰色でもなく、曇りの日の白とも違う。絵の具の白を、水でどこまでも薄めて塗り広げたみたいな、均一で、底のない白。太陽の場所すら分からないのに、世界はちゃんと明るかった。
僕はしばらく立ち尽くして、それから、変なことを考えた。
空って、こんなふうに消えることがあるんだ。
その感覚は、怖いというより、まず寂しかった。
五分後に屋上へ来た同級生の真琴は、僕の隣に立つなり「なにこれ」と言った。真琴はいつも短く言う。驚いたときほど、余計な言葉をつけない。
「朝からこうだった?」
「知らない。今、初めて見た」
「写真撮った?」
「撮ったけど、たぶん伝わらない」
実際、スマホの画面に映る空は、ただの白飛びにしか見えなかった。明るさを下げても同じだった。真琴は僕のスマホをのぞき込んでから、自分の端末でも何枚か撮った。無言だった。
その日の放課後には、街じゅうがその話題でもちきりになっていた。ニュースは「高層大気における未確認の光学現象」だとか「観測史上例のない拡散層」だとか難しい言葉を並べた。専門家らしい人たちが落ち着いた声で説明していたけれど、誰ひとり本当に分かっている顔はしていなかった。
翌日も、空は白かった。
三日後も、一週間後も。
そして人々は、少しずつ「空が白い」世界に慣れていった。
*
なくなったのは、色だけではなかった。
夏休みの少し前から、夕焼けが来なくなった。放課後の時間が、妙に短く感じられるようになった。以前なら窓ガラスを赤く染めていた西日がなく、午後四時も六時も、同じような薄い明るさが続いたあと、いきなり夜になるのだ。
朝焼けもないから、一日の始まりと終わりが曖昧になった。
母は「なんだかずっと病院の中にいるみたい」と言った。父は平気そうな顔で新聞をたたみ、「そのうち戻るさ」とだけ言った。小学生の妹は、最初のうちは面白がって空の絵を全部白で塗っていたけれど、夏休みの終わりにはクレヨン箱の水色を使わなくなった。
学校では、美術の授業が変わった。
「空を見て描きましょう」
そう言った先生自身が、配られた画用紙を前に困っていた。クラス全員の絵の上半分が、ほとんど同じ色になる。白、あるいはごく薄い灰色。誰もがちがう街を描いているはずなのに、空だけは区別がつかなかった。
ある日、真琴が僕に言った。
「昔の空、もう思い出せる?」
「思い出せるよ。青だろ」
「青ってどんな青?」
僕は答えられなかった。
夏の空の青と、秋の高い空の青は違う。台風一過の朝の青も、冬の乾いた青も違う。そういう細かい違いを、僕は確かに知っていたはずだった。でも思い出そうとすると、頭の中の空はすぐに今の白に塗り替えられた。
真琴はフェンスにもたれて、まっ白な空を見上げていた。
「なくなるって、こういうことかもね」
「色が?」
「たぶん、色だけじゃない」
*
九月になると、街の看板や服の色まで薄く見えると言い出す人が増えた。
最初は気のせいだと思われていた。実際、信号は赤かったし、コンビニの緑と青の看板も変わっていなかった。花壇のサルビアだって赤い。だけど、たしかに何かが違った。赤は以前より少しだけ乾いて見え、青はひどく頼りなく、黄色は紙の上に置き忘れられたみたいに弱かった。
世界全体の彩度が、ほんの少しずつ下がっていくようだった。
テレビではまた専門家が説明した。上空の白い層が地表の光の知覚に影響を与えている可能性があるとか、人間の色彩認識は環境の変化に順応するからそう感じるだけだとか。言葉だけは増えていった。
でも、帰り道の商店街で見た果物屋の蜜柑は、去年の秋よりあきらかに鈍かった。
「ねえ」
十月のある日、真琴が言った。
「屋上、行こう」
放課後の特別棟は静かだった。文化祭前でみんな忙しく、屋上まで来る生徒はいなかった。鍵のかかっていない扉を開けると、風が吹いて、僕らの制服の裾を揺らした。
白い空は相変わらず高く、広く、何も映していなかった。
「わたし、小さいころのこと、ひとつ思い出せなくなった」
真琴はフェンス越しに街を見ながら言った。
「何を?」
「犬の名前。昔、飼ってた犬」
「え」
「写真はあるの。白いスピッツ。でも名前だけ出てこない。家族に聞いたらみんな覚えてた。わたしだけ」
僕はどう言えばいいのか分からなかった。
「関係あるかな」
「空と?」
「分かんない。でも、なんか似てる。色がなくなるのと同じ感じ。そこにあったはずのものの輪郭だけ残って、中身が抜けるみたいな」
真琴は笑った。笑ったけれど、目は少しも笑っていなかった。
「このままだと、そのうち青って言葉だけ残るのかもね」
*
文化祭の日、写真部の展示で「失われた空」という企画があった。去年までに撮った青空の写真を何十枚も並べただけの展示だったけれど、校内で一番人が集まっていた。
真っ青な入道雲。
夕焼けに染まる校舎。
冬の朝の薄い水色。
台風前の鉛色の空。
みんな、声をひそめて見ていた。
懐かしい、というには近すぎるはずの過去だった。まだ数か月前の写真なのに、ずいぶん昔の世界みたいに感じた。
写真の前で、泣いている女子がいた。
「こんな色だったっけ」
誰かがそう言った。
「もっと、すごかった気がする」
別の誰かが答えた。
僕はその会話を聞いて、急に怖くなった。
空の色が消えたのではない。
僕たちの側から、色を受け取る何かが削れているのではないか。
その夜、家に帰ってから、昔のアルバムを見た。海、花火、運動会、紅葉。どの写真にもちゃんと色は残っていた。青も赤も金色もある。けれど、それを見ても胸の中で何かがうまく結びつかない。知っているはずの感覚が、ガラス一枚隔てた向こう側にあるみたいだった。
僕はアルバムを閉じた。
窓の外は白いまま暗くなり、どこで夜になったのか分からなかった。
*
冬が来た。
雪の日でさえ、空はいつもと変わらぬ白だったので、街全体が輪郭を失ったように見えた。遠くと近くの境目が曖昧になり、人も建物も、まるで薄い紙に印刷された図のようだった。
そのころには、空の異変を口にする人も減っていた。
ニュースは別の話題を追い、学校では受験の話ばかりになった。父は以前より帰りが遅くなり、母は天気予報を見なくなった。妹は空の絵そのものを描かなくなった。
慣れたのだと思う。
あるいは、諦めたのかもしれない。
年が明けて三学期が始まった日、真琴が学校を休んだ。
風邪だと聞かされた。次の日も、その次の日も休んだ。ラインを送っても既読にならない。四日目にようやく返信が来た。
『屋上いける?』
放課後、僕はひとりで屋上へ行った。しばらくして、真琴が来た。マフラーを巻いて、少し痩せたように見えた。
「大丈夫?」
「うん。たぶん」
その“たぶん”が嫌だった。
真琴は僕の隣に立つと、白い空を見上げた。しばらく黙ってから、小さな声で言った。
「ねえ、わたし、昨日、夢を見たの」
「どんな」
「空に色が戻る夢。でもね、色が戻るたびに、地上の色が消えていくの。木も、道路も、人の顔も、みんな白くなっていくの」
風が強くなって、フェンスがかすかに鳴った。
「変な夢だね」
「たぶん、変じゃない」
真琴は手すりに手袋越しの手をのせた。
「たぶん、色って最初から世界にあるんじゃなくて、どこかで釣り合ってたんだと思う。空が持ってた分と、地上が持ってた分で」
「何それ」
「分かんない。でも、空が白くなった日から、こっちの色も少しずつ持っていかれてる気がする」
僕は笑えなかった。
白い空の下で聞くと、どんな突飛な話も、現実の続きみたいに思えたからだ。
「このままだと、どうなると思う?」
と、僕は聞いた。
真琴は少し考えてから答えた。
「たぶん、何もかもきれいになる」
「きれい?」
「汚れも、痛いことも、悲しいことも、見えなくなる。区別がなくなるから」
「それ、いいこと?」
「……どうだろ」
彼女はそこで初めて、僕のほうを見た。
「でも、きれいって、たぶん寂しいよ」
*
二月の半ば、真琴はまた学校に来なくなった。
今度は長かった。先生は体調不良とだけ言った。クラスの誰も深く聞かなかった。受験前で、みんな自分のことで精一杯だった。
僕はたまに、放課後ひとりで屋上へ行った。
白い空を見るたびに、最初の日のことを思い出した。昼休みのチャイム。フェンス。風の匂い。そして、空ってこんなふうに消えることがあるんだ、と思ったあの感覚。
そのころには、僕もいくつか思い出せないものを持っていた。
小学校の通学路に咲いていた花の色。
祖父の家の玄関マットの模様。
初めて真琴と話した日の空の色。
どれも小さなことだった。でも、その小さな欠けが胸の奥に冷たく溜まっていった。
二月の終わり、真琴から封筒が届いた。
中には、文化祭の写真部でもらった空の写真が一枚入っていた。夏の終わりの校舎と、大きな青空。裏に、彼女の字で短く書いてあった。
『なくなる前に、ちゃんと見ておけばよかったね』
それだけだった。
僕は何度もその文を読み返した。見舞いに行くべきか悩んだが、住所は書かれていなかった。連絡をしても返事はなかった。
*
卒業式の日も、空は白かった。
体育館の窓から差し込む光は均一で、祝辞も校歌も、薄い膜の向こうから聞こえるようだった。みんな泣いたり笑ったりしていたけれど、その顔色はどこか淡く、まるで古いフィルムの映像のようだった。
式が終わって校舎を出るとき、僕は一度だけ振り返った。
特別棟の屋上のフェンスが見えた。
そこに誰か立っている気がした。でも白い空を背にしているせいで、顔も形もよく分からなかった。真琴かもしれないと思った。けれど次の瞬間には、ただの見間違いにしか見えなくなった。
僕はそのまま歩き出した。
*
あの日から、さらに三年が経った。
空はまだ白い。
人々はもうそれを異常だとは思っていない。子どもたちは青空を本や古い映像の中でしか知らず、大人たちはときどき思い出したように「昔は夕焼けが赤かった」と語る。でもその声には、どこか作り話をするときのような曖昧さが混じる。
僕は大学に入り、この街を離れた。
それでも、冬の乾いた午後や、夏の湿った風の匂いの中で、ときどきあの屋上を思い出す。白い空の下で、真琴が「きれいって、たぶん寂しいよ」と言った声を。
先日、古い段ボールを整理していたら、あの写真が出てきた。
校舎と、青空。
驚いたことに、空の色は少し褪せていた。印刷が古くなっただけかもしれない。けれど僕には、それが今の白に近づいているように見えた。
写真を窓辺に持っていく。
外には、相変わらず、底のない白い空が広がっている。
そして、不意に思うのだ。
もしかすると、空から色がなくなったのではなく、
僕たちが少しずつ、空のほうへ溶けていっているのではないかと。
悲しいことも、懐かしいことも、好きだった色の名前も、
いつかみんな、あの白の中に均されてしまうのではないかと。
それでも、まだ完全にはなくなっていないものがある。
六月の屋上の風。
フェンスにかけた手の冷たさ。
そして、青空の写真の裏に残された、あの短い字。
なくなる前に、ちゃんと見ておけばよかったね。
僕は窓の外の白を見上げる。
すると、ごくまれに、本当にごくまれに、
目の奥のどこかで、名前のない色がかすかに疼く。
それが空の記憶なのか、
失われた誰かの輪郭なのか、
それとも、まだ世界に残っている最後の青なのか、
僕にはもう分からない。




