第9鉢 「もう少し頑張ってみるね」
おばあさんから託されたサボテンを、夏葵はまず植え替えることにした。弱ったサボテンを元気づけるには、植え替えて環境を整えなおすのが一番だからだ。
鉢からそっと抜き取り、古くなり固まった土を落としていく。絡み合った根を、傷つけないように少しずつほぐし、伸びすぎた根をハサミで間引き、様子を確かめる。
痛んだりしている所はなく、これなら良さそうだ。
「うん、大丈夫。まだ元気になれるよ」
手を動かしながら、夏葵はサボテンに声をかける。
子ども向けの物語では、動物と会話ができる登場人物がいるが、夏葵はそのような感じで植物と会話をすることが出来た。
もちろん、植物が言葉を発しているわけではない。
夏葵の長年積み上げた経験によって、植物の色や小さな変化から、調子が手に取るようにわかり、状態を語らせる。気づけば、それは会話のようになる。
きれいに植え替えたサボテンを、バックヤード温室の奥、夏葵がひそかに手をかけている植物たちの、小さな一角に置いた。
このサボテンをもらったことを、夏葵はまだ誰にも報告していない。
この植物園では、一般の人からの植物の持ち込みは、原則受け入れないことになっている。理由は特にないが、前例を作りたくない、という空気があった。
以前、市民の人が珍しいからとナンバンギセルの鉢植えを寄贈してくれたことがあった。紫色の変わった花を咲かせる寄生植物で、夏葵は初めて実物を見て、胸が高鳴った。
けれど、興味がない職員達によって、この植物を台帳に加えることは却下された。
その鉢は日陰に放置され、水も与えられないまま、宿主として一緒に植えられたススキと共に、やがて静かに枯れた。
あの光景を、夏葵は忘れられなかった。
だからこそ、このサボテンのことは秘密にすることに決めた。
もっとも、家に持ち帰っても良かったが、おばあさんが見に来た時のためにここで栽培することにした。
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短毛丸は、夏葵の丁寧な手入れに応えるように、日に日に元気を取り戻していった。やせていた稜はふっくらとし、黄ばんでいた肌も、少しずつ健やかな緑へと変わっていく。
元気になっていく植物を見ると、不思議と心が温かくなる。
仕事で嫌なことがあった日も、上司に嫌味を言われた日も、この株を見れば元気が湧いてきた。
孤独だった夏葵に、そっと寄り添ってくれる小さな仲間だった。
ある日、そのサボテンの刺に、小さな綿の塊のようなものが出来ていた。蕾だ。
夏葵は思わず息を呑んだ。これでおばあさんを喜ばせられる──。
そう胸が弾んだ、その矢先だった。
一本の電話がかかってきた。
落ち着いた女性の声が名乗る。おばあさんの娘だという。
短い言葉で、訃報が告げられた。
以前から、癌で闘病していたらしい。
何か言わなければと思うのに、言葉がうまく出てこなかった。
通話を切ったあとも、しばらくスマホを握ったまま動けなかった。
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数週間後のある日、夏葵は上司から強く叱責された。
原因は、アルバイトの賃金計算の書類にミスが複数あったからだ。
もともと、夏葵が担当するはずのない、押しつけられた仕事だった。叱責は、上司の腹いせでもあった。
けれど、言い返すことはもちろんできなかった。
──もう、辞めてしまいたい。
温室の奥へ向かった。いつものように、気持ちを落ち着かせるために。
すると、遠目からも白いものが目に入る。
短毛丸の花が、開いている──。
長く伸びた花茎の先に、純白の大輪の花が、天に向かって輝いていた。
あの電話以来、前向きな気持ちで見ることが出来なかった短毛丸。
夏葵は、ゆっくりと近づいた。
光を受けてきらめく白の奥に、ふと、おばあさんの面影が重なった。
あのやわらかな笑顔が。
短毛丸の花はたった一日しかもたない。明日にはしぼんでしまう、儚い命だ。
それでも、今日という日に、咲いてくれた。
「……ありがとう。もう少し頑張ってみるね」
植物は何も語らない。
けれど確かに、夏葵には聞こえた。
やさしい、励ましの声が。
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「──っていうわけ」
「夏葵さん、いつも話しかけてるなって思ってましたけど、そういうことだったんですね」
「まあねっ」
「私も、どのくらい植物を育てたら、植物と話せるようになるんでしょうか?」
「うーん……二十年くらいかな」
「いや、長すぎです!!」




