第8鉢 「また花を咲かせて」
「今年も綺麗に咲いたね、良い感じ! ……え? もうちょっと肥料が欲しいって?」
直径十センチはあろうかという、白い大輪の花を咲かせたサボテンに向かって、夏葵が話しかける。
その変な様子を見ていた秋穂は声をかけた。
「夏葵さんって、たまに植物と会話してるような時ってありますよね」
「うん、言葉がわかっちゃうんだよね」
あまりにも自然に返されて、秋穂は目を瞬く。
「本当ですか??」
「本当だよ! この子は特にね」
秋穂は疑うように、そのサボテンの花を覗き込んで見る。
「このサボテンが何か特別なんですか? 確かに花はとっても綺麗だけど、そんなに変わったようには見えないです」
夏葵は少しだけ視線を遠くにやってから、ふっと笑った。
「まあ、話せば長くなるんだけどね──」
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地上から人々の姿が消える前。
仕事の休憩時間に、夏葵は外の植物を眺めながら、ゆっくりと歩いていた。どうしようもない日常から気を紛らわすには、植物を見るのが一番だからだ。
「あれ? 夏葵ちゃん?」
ふいに名前を呼ばれ振り返る。
そこに立っていたのは、顔なじみのおばあさんだった。頻繁に植物園に通ってくれる常連だ。
「こんにちは。今日は天気がとても良いですね」
「そうなの。絶好の散歩日和よ。ほら、あそこのムクゲも、こんなに綺麗に咲いてる」
白に紅色が差す花が、やわらかい陽射しのなかで揺れている。
おばあさんは自然や花々をこよなく愛していた。桜、新緑、紅葉、季節の変化を植物から感じては、その移ろいを楽しんでいた。
気さくで、よく話しかけてくれる。いつも、新しく咲いた花のことや、見かけた珍しい鳥のことなど、様々な会話をしていた。たまに夏葵に飴をくれることもあった。
「そういえばね、あそこで咲いてたナツツバキの木。あんなに乱暴に刈り込んでどうしちゃったの? あれじゃあ、もう花は咲かないでしょう? お気に入りだったのに、残念だわ」
原因はわかっていたが、夏葵は曖昧に笑うしかなかった。現状のひどい管理体制を、わかってしまう人は少ない。
「前から気になってたんだけど、この『メグスリノキ』って、本当に目薬として使ってたのかしら?」
ふと、おばあさんが木の名札を指さしながら言う。
「そうらしいですよ。文献によると、室町時代から樹皮を煎じた汁を目薬として使ってたみたいですね。いろんな目の病気に効いたとか」
「へえ、やっぱりそうなのね」
「今みたいに点眼するんじゃなくて、洗眼みたいに目を洗うような感じで使ってたそうですけど」
「やっぱり夏葵ちゃんは物知りね」
おばあさんは感心したようにうなずき、緑がきらめくその木を、しばらく見上げていた。
# # #
それからも、夏葵は園内でおばあさんに会うたび会話をしていた。
けれど、あるときを境に、ぱたりと姿を見せなくなった。
気になりながらも、しばらくたった晩秋の冷たい風が吹くある日、外を歩いていた夏葵は、不意に声をかけられた。
「よかった、夏葵ちゃんに会えて。今日ならいると思ってたの」
振り向くと、おばあさんがいた。
杖をつき、足取りは頼りない。以前よりも小さくなったように見える。
その様子だけで、体調が優れないことははっきりと伝わってきた。だが、夏葵には体のことを尋ねることが出来なかった。
二人はベンチに腰を下ろす。
「あのね、夏葵ちゃんにお願いがあってね」
おばあさんは、左手に持っていたビニール袋から一鉢のサボテンを取り出した。
サボテンに詳しい夏葵には、一目見ただけでその株のことがよく分かった。
品種名は「短毛丸」、南米原産の玉サボテン。日本で古くから栽培されている種類で、民家の軒先など、ありふれたところで見られる普通種だ。
その株は元気がなかった。色が悪く黄色がかり、稜は痩せ細っている。
「このサボテンはね、五年前に亡くなった主人が大事にしてたものなの。毎年、花が咲くたびに嬉しそうでね……」
おばあさんの指先が、鉢をそっと撫でる。
「でも、私じゃうまく世話ができなくて、花も、もうずっと咲いてくれないの。もう一度見たかったのだけど」
日頃の会話で、おばあさんは家でたくさんの花々を育てていることは知っていたが、サボテンの世話は苦手だったようだ。
「私がこのまま持ってても、枯らしてしまいそうで……。夏葵ちゃん、サボテンが得意って言ってたでしょう? だからあげようと思って」
夏葵は、おばあさんの弱々しい手からサボテンの鉢を受け取り、安心させるように笑った。
「わかりました! 私に任せてください。また花を咲かせてみせます。その時は、ぜひ見に来てください」
おばあさんは、ほっとしたように微笑んだ。
「夏葵ちゃんなら頼もしいわ」
その日をきっかけに、二人は連絡先を交換した。




