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第7鉢 「雨の女王」

挿絵(By みてみん)


「ええっと、ここのバルブを開けてっと」


 秋穂は夏葵の作った管理マニュアルを見ながら、散水栓を開いた。スプリンクラーから水が勢いよく噴き上がり、それを浴びた植物たちが、朝日を反射してきらきらと輝く。

 人の生きた痕跡が少しづつ朽ちていく世界だからだろうか。秋穂には生命の息吹を感じさせるものが、いとおしく感じた。


 夏葵が熱で倒れてから、はや数日。体調は快方に向かっているものの、まだ植物の世話をするほどの元気はなく、今も秋穂が代わりを務めている。

 しかし、世話を一人でするのは想像以上に大変だった。水やりだけでも、散水栓を開けて一斉に行うものから、乾き具合を見て、一鉢づつ与えるものまで様々である。


 ここ数日の管理を任されて、秋穂ははっきりと理解した。夏葵の異常性を。

 これほどの数の植物すべての状態を把握し、それぞれに最適な世話を続けてきたのだ。秋穂には到底まねできない。任されたのは植物を維持できる最低限の管理だけだが、それでも手いっぱいだった。

 

 もっとも、終末世界となった今でも、この植物園では電気や水に不自由はない。建物の屋根に設置された太陽光パネルが電気をまかない、水も井戸水と雑排水を浄化した中水が利用できる。


「あれ?」


 突然、シューと空気の抜けるような音がし、スプリンクラーの水の勢いが急激に落ち始める。やがて流れが途絶え、完全に水が止まってしまった。


 あたりに、しんとした静けさが落ちる。



 # # #


「夏葵さん夏葵さん!」


 秋穂は寝室のドアを勢いよく開け、部屋へ飛び込んだ。


「あ、秋穂ちゃん、今朝もごめんね」


 夏葵は目をこすりながら、ゆっくりと身を起こす。まだ顔色は優れない。


「全然大丈夫ですよ。それより、水が出なくなっちゃったんです! 急に止まって、故障ですかね?」


「水が出ないって……」


 夏葵は考え込むように視線を落とした。


「ここ一か月くらい、まともに雨が降ってなかったからそのせいかな」


「確かに言われてみれば、ずっと晴れ続きですね」


「うーん……いろいろまずいけど、こればっかりはどうしようもないなあ」


 夏葵は小さくため息をつく。


「ですね……」


「まあ、2、3日くらいは大丈夫だろうし、わたしは明日くらいには動けそうだから。本当にありがとうね」



 # # #


 秋穂は温室を見回りながら歩いていた。ここ数日、自分が世話をしているあいだに、植物に何か異常が発生していないか確認をするためだ。どれも夏葵さんが愛情をこめて育ててきた植物なんだから、何かあったら大変だ。


 ふと、乾燥地の植物が植えてあるゾーンで、一株の植物が目に入った。これは……名前はわからないが、小学生のころ校門近くに植えてあった植物に似ている。トゲトゲした幹にギザギザの葉っぱ。確かソテツ──だっただろうか。


 その株の上に、隣の木から折れて落ちた、大きな枯れ枝が覆い被さっている。葉も押しつぶされ、ところどころ傷んでしまっている。


 このままではよくない。

 秋穂は枯れ枝を取り除こうと、植え込みの中に分け入った。


「痛っ!」


 ふと、突き出た木の枝に腕を引っかけ、鋭い痛みが走る。それでも構わず手を伸ばし、どうにか枯れ枝を取り除いた。


 血のにじむ腕をおさえながら、その株の横に立てられた名札を確認する。


「エンセファラルトス・トランスベノーサス……?」


 説明には「オニソテツ属」とある。どうやらソテツの仲間という認識は間違っていなかったようだ。


 枯れ枝の重みでしなっていた葉が次第に立ち上がり、心なしかそのソテツが喜んでいるように秋穂には見えた。



 # # #


 昼どき。二人で朝食をとっていた。

 夏葵の体調はだいぶ回復し、ようやく普通の食事が口にできるようになってきた。近くのスーパーから調達してきた缶詰と白米だけの簡素な食事だが、温かい時間だった。


「あれ、秋穂ちゃん、その腕の絆創膏どうしたの?」


「さっき、温室にあるエンセ……なんとかっていうソテツの上に落ちた大きな枝を取ろうとしたら、木の枝で切っちゃって……」


「ごめんね、なんか無理させちゃって」


「このくらい大丈夫ですよ」


 秋穂は安心させるように、少し大げさに笑ってみせた。


「もしかしてそのソテツって、エンセファラルトス・トランスベノーサス?」


「たしかそんな名前だった気がします」


 夏葵がにこにこと嬉しそうに微笑む。


「それなら秋穂ちゃん、すごく良いことをしたかもしれないよ」


 そのとき、二人の隣の窓へ水滴がぽつりと落ちた。続けて、ぽたぽたと音を立てて水滴が増えていく。


「雨ですよ、夏葵さん!」


 秋穂は喜びながら窓の外を見た。


「秋穂ちゃんがトランスベノーサスを助けてくれたおかげかな?」


「……どうしてですか?」


 秋穂は不思議そうに首をかしげる。


「トランスベノーサスは、別名『モジャジのソテツ』って呼ばれてるの」


「モジャジ……って誰ですか?」


「昔、南アフリカにいた、部族の女王だよ。人々から『雨の女王(レイン・クイーン)』って呼ばれていてね。名前の通り、雨を操る力を持っていたという伝説があるんだ」


「そんなおとぎ話みたいな……」


「女王はね、その神秘の力を使って敵には干ばつを、味方には恵みの雨を与えて、部族に平和をもたらしたといわれていて……彼女が特に大切にしていた植物が、トランスベノーサスなんだ」


「鉢植えにして可愛がってたんですか?」


「そんなもんじゃないよ。何十万株ある森を、まるごと神聖なものとして守ってたんだ」


「そんなに!?」


「その森は九百年たった今でも、女王の教えを重んじて大切にされてる。そのおかげでトランスベノーサスは、環境破壊や盗掘といった絶滅の危機を避けることができたんだ」


「じゃあ、この植物園にいる子も、女王が守っていた株の子孫なんですか?」


「うーん、それはわからない。でも──女王の不思議な力の秘密は、もしかしたらこのトランスベノーサスにあったのかもしれないね」


「まさか」


 秋穂は思わず笑い出す。


「ふふっ」


 つられるように夏葵も笑い、二人の笑い声が雨音と共に部屋にやわらかく響いた。


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