表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

第6鉢 「みんな、いなくなっちゃえばいいのに」

挿絵(By みてみん)


  ─文明崩壊前─


(ハギ)の花を見に行ったのに、まったく咲いてなかったじゃないか! どうしてくれるんだ!」


 年老いた男の声が、電話口から怒鳴りつけるように響く。


「それに入り口のスタッフも冷たい人間ばかりで、わしの話をろくに聞こうともしなかった!」


「は、はい……次からは気をつけるよう、伝えておきます」


 相手をなだめるように、できるだけ穏やかな声で答えた。


「そう前にも言ったのに改善せんかった。お宅の施設を管理してる市役所に言いつけてやるから、あんたの名前を言いな」


「え……わ、私ですか?」


「そうだ。あんたの名前だ」


「と、豊浦……夏葵です」


「覚えたぞ。必ず言いつけてやるからな!!」


 ガチャリ、と荒々しい音を立てて電話が先方から切られる。

 理不尽な怒号を浴びせられ、夏葵の心はひどく消耗していた。


「クレーム対応お疲れ様~。次もこういうの来たらよろしくねw」


 軽い調子で声をかけてきたのは、先輩の職員だった。その蔑んだような薄い笑みから、労いの気持ちなど欠片もないことは、嫌というほど伝わってきた。


 いつからだろう、子どもの頃から夢だったはずの植物園の仕事が、こんなにも逃げ出したいものに変わってしまったのは──。


 # # #


 休憩時間。

 夏葵はクレーム電話のせいで落ち込んだ気持ちを切り替えようと、バックヤードの温室を歩いていた。だが、足を進めるほどに、胸の奥に沈んでいた感情はかえって重くなっていく。


「……ひどい」


 温室の至る所にある、ろくに管理もされず放置されて痛んだ植物達。みんな、あの無能で愚鈍な先輩職員たちのせいだ。

 正しい管理方法も、品種の価値も理解されないまま、枯らされていく株。自分が手をかけさえすれば、どの植物も、もっと美しく輝けるはずなのに。


 けれど、先輩たちから下に見られ、雑用ばかりを押しつけられている夏葵には、それらをすべて救い出す力はなかった。

 植物園で働いている人たちは、皆が植物を好きなわけではない。市の他の部署から回されてきた人。なんとなく採用された人。天下りの上司。まともに植物や園芸を学んだこともないまま、世話をしている。こうなるのも当然だ。


 一方で、大学まで進んで植物の勉強を続け、趣味でも園芸を突き詰めてきた夏葵は、この植物園に採用された職員の中では“イレギュラー”な存在だった。

 そんな若くして知識と情熱にあふれる夏葵は、職員の間では疎ましく思われ、いじめの対象となっていた。


 今日も雑用や関係のない事務処理を押し付けられ、陰湿な嫌がらせに、ただ耐えるしかなかった。うわさでは、前任者はもっとまともな扱いを受けていたと聞くのに。


「……ごめんね」


 黄色く変色した葉を、そっと指先で撫でながら、夏葵は呟いた。

 こんなにも卑劣で歪んだ場所なのに、それに気づく人は誰もいない。温室を訪れるお客さんだって、水を与えられずしわ枯れたビカクシダや、茶膜に覆われた瀕死のサボテンに気づくことなく通り過ぎていく。


 夏葵には、愛を与えられずに育てられた植物は、一目でわかる。そして、その植物たちが発している、声にならない悲鳴も。


 バックヤード温室の一番奥へ向かう。ここは日当たりも温度も決して良いとは言えない場所だったが、夏葵が密かに救い出してきた植物たちが集められていた。


 その大部分を占めるのは、日本に無法者の手によって密輸入されて、空港の税関検査で没収された珍しい植物たち。管理を委託されてやって来たこの植物園では、夏葵以外の職員は誰も栽培方法が分からず、興味も無いため放置され、枯れていく運命にあったものばかりだ。


 だが生きているかぎり、植物園に委託料だけは支払われ続ける。だからこそ、半殺しのただ「生きているだけ」の状態にされてきたかわいそうな植物。そんな醜い姿に変わり果ててしまった罪のない子たちを、夏葵は休憩時間を使って植え替え、丁寧に仕立て直し、ここへ集めてきた。


 そのことに気づいた他の職員から、わざと過剰に水を与えられるなどの嫌がらせを受けたこともある。それでもこの植物園のどの植物よりも元気に育っていた。


「ふふっ」


 生き生きとした植物たちを見て、思わず笑みがこぼれた。もとは瀕死だったとは思えないほど、彼らは輝いている。

 できることなら、この植物園のすべての植物たちを救ってあげたい。そのためには──腐った人間たちが邪魔だった。


「みんな、いなくなっちゃえばいいのに……」


 いつの間にか、夏葵は人と関わることそのものが嫌になっていた。

 人間は、植物に比べて、あまりにも愚かで、醜い存在に思えた。


──そのときだった。


 温室の天井ガラス越しに、“何か”が群れをなして空を飛び去っていくのが見えた

 ブゥーン、と、生き物ではない、機械のような音を立てながら……。



 # # #


「はっ、はっ、はっ……」


 呼吸が荒い。

 夢、か──。


「夏葵さん!大丈夫ですか!」


 視界がはっきりしてきて、布団の隣に座る秋穂の姿が目に入った。


「秋穂ちゃん……」


「温室で作業してたら急に倒れたんですよ。すごい熱で、ほんとにびっくりしました」


「おかしいな、ここ最近、体調を崩すことなんてなかったのに」


 秋穂を安心させるため、夏葵は軽く笑って見せた。


「私がご飯の用意したり、植物のお世話もやりますから、夏葵さんはしばらく絶対安静にしててください」


「わかった、ありがとうね──」


 その言葉に、ほっとしたように秋穂は微笑み、静かに戸を閉めて部屋を出ていった。


──どうして今になって、世界がこうなる前の夢なんて見たのだろう。


 あの頃は人がたくさんいたはずなのに、私は独りぼっちだった。

 毎日が苦しくて、どれだけの夜を、ひとりで泣いて過ごしたかわからない。


 でも今は独りじゃない。

 秋穂ちゃんがそばにいる。


 かつて心の奥底に閉じ込めていた、ありのままの自分を、秋穂ちゃんの前でなら無理をせず、自然に出せている。


 人がいなくなり、変わり果ててしまったこの世界は、不思議なことに、あの頃よりも、ずっと輝いている──。

つづく


※この小説はフィクションです。実在の人物・団体などとは関係ありません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ