第3鉢 「人間は植物と違って話し合えるのに」
「ごめんね、手伝ってもらっちゃって」
朝食の片づけを一緒にしてくれた秋穂に、夏葵が優しく笑いかけた。
「いえ……いろいろご馳走になってますし、これくらい当然です」
秋穂が言うと、夏葵は濡れた手をタオルで拭きながら小さく息をつく。
「よしっ。じゃあ、そろそろ作業も再開しよっかな」
「植物のお世話……ですか?」
「うん。今日はね、食虫植物の受け水を替えてあげないといけなくて」
「わ、私にも手伝わせてください!!」
声が思っていたより大きく出てしまい、夏葵が目を丸くする。
昨日からいろいろもらってばかりだ。ここで何か返さないと。そんな気持ちが秋穂の中にあった。
「いいの? けっこう大変だよ?」
「はい、……私にも、何か恩返しさせてください」
その言葉に、夏葵はふわりと表情をゆるめる。
「……そっか。ありがと。じゃあお願いしようかな。あっ、でもその服だと汚れちゃうかもだから……余ってる支給用の作業服、貸してあげる。ついでにその服も洗濯しよっか?」
「えっ……はい!!」
「じゃあ着替えに行こっ」
その声は相変わらず柔らかく、優しかった。
# # #
作業服に着替えた秋穂は夏葵に案内され、バックヤード温室の奥へと進む。そこには、棚の上に水を張ったトレーが並び、その中に──どこか禍々しい姿をした食虫植物の鉢がずらりと置かれている。
秋穂は思わず、ひとつの鉢を指さす。
「これ……パクッて閉じて虫食べちゃうやつですよね!? 指とか入れたらヤバいんじゃ……!」
夏葵は吹き出しそうになりながら口元に手を当てた。
「ふふっ、大丈夫だよ。これはハエトリグサ。知らない人はみんな最初そうやって怖がるけど、人間には全然害なんかないの。ほら、見ててね」
そう言うと、夏葵は開いた葉──口のように見える部分へ、そっと人差し指を入れた。
「あれ!? 閉じない!?」
秋穂が目を丸くする。確かに葉はぴくりとも動かない。
「そしてもう一回」
再び夏葵が指先でそっと葉の内側を触れると──
パクッ、と素早く葉が閉じた。
「わっ……!」
「ね? この中に“感覚毛”っていう小さなスイッチみたいなのがあってね。だいたい二十秒以内に二回触れると“これは虫だ!”って判断して閉じる仕組みなの」
「へえー……でも、一回目で閉じちゃった方が絶対に捕まえられそうなのに」
「確かにね。でも葉を閉じたり、消化したりするのはすごくエネルギーを使うから……空振りすると、その葉っぱは弱って枯れちゃう。だから二回触れるのを待って確実性を高めてるの」
「植物なのに……そんなに賢いんですね」
秋穂は感心して、閉じた葉をまじまじと眺める。いままで植物にそんな動物みたいな賢さがあるなんて考えたこともなかった。
「でね、こういう食虫植物は湿地とかジメジメした場所に生えてるから、鉢の下にこうやって水を溜めて管理するの。でもそのまま長く置くと藻が生えたり、老廃物が溜まって調子悪くなっちゃうから……定期的に水を替えるのが大切なんだ」
そう言いながら、夏葵はトレーから鉢を一つ一つ取り出し、溜まった水を下の排水に流す。
「こんな感じで、藻がひどいところはブラシで軽くこすって綺麗にして……それから新しいお水を入れ直すの。こんなに種類と量があるから、けっこう大変なんだけどね」
「……わかりました! 私もやってみます!」
# # #
作業をしながら黙り込んでいるのは、どこか気まずい気がして、秋穂は夏葵に話しかけた。ここ最近ほとんど人と会話していなかったせいか、自分でも誰かと言葉を交わしたかったのかもしれない。
「こっちのキラキラしたのって、なんて植物ですか?」
「それはモウセンゴケ。ねばねばした粘液で虫を捕まえるの」
「じゃあこの小さいのは?」
「これはムシトリスミレ。ほら、この花、かわいいでしょ?」
「ほんとだ! めっちゃかわいい」
小さく集まった葉からすっと茎が伸び、その先にスミレのような紫色の花が咲いている。
「ムシトリスミレも、葉っぱの表面がねばねばしてて虫を捕まえるんだよ。で、こっちは落とし穴式のサラセニア」
「いろんな種類があるんですね」
「そうだね。生き延びるために知恵を絞って、こんなふうに多様な姿に進化したの。実はそれぞれ分類上は意外と近い親戚同士だったりするんだけど」
「でも、なんで虫なんか食べる必要があるんですか? 美味しそうじゃないのに」
秋穂は素朴な疑問を口にした。
「食虫植物が生える場所って、土に栄養が少ないの。だから虫を捕まえることで足りない栄養を補ってるんだよ。そうすれば他の植物が育ちにくい環境でも生きていける」
「なるほど」
「さっき言ったみたいに、虫を捕まえるにも体力を使うから、効率がいいわけじゃない。でも、虫を食べることで得た栄養はその個体が死ぬときに土に還って、次の世代の糧になるの」
「子どもの世代のことまで考えて進化してるんですね、すごい」
「そうだね」
そこまで言うと、夏葵の表情がふっと曇り、視線を落とした。
「それに比べて人間は……未来や次の世代のことなんて考えずに自然を壊して、互いに争って憎みあうことばかりを考えて、世界はこんなことになってしまった。植物とは真反対だね」
さっきまで明るく話していた夏葵が急に暗い話題を口にし、その温度差に秋穂は戸惑った。
「人間は植物と違って話し合えるのに、分かり合うことができなかった。分かり合おうともしなかった。そしてその果てに──自分たちがつくったAIに滅ぼされた……」




