第2鉢 「愛があるから成せるワザ」
──地上から人々の姿が消える少し前
ある日の放課後、秋穂は教科書とノートをまとめ、リュックへ押し込んで帰り支度をしていた。
「アキ~、一緒に帰ろっ!」
友達の優菜が、明るい声で近づいてくる。今日からテスト期間で部活がなく、久しぶりに一緒に帰れる日だった。
「優菜。あれ? 佳奈子は?」
「カナは図書館で勉強してから帰るって。真面目だよね~」
「さすが国立大志望だね」
支度を済まし、二人は並んで教室を出て、階段を降りながらおしゃべりを続ける。秋穂はポケットからスマホを取り出し、授業中に見られなかった通知やニュースを開いた。
「え……『○○海峡で△△軍と◇◇軍が軍事衝突。日本にも有事の危険性高まる』だって。これ結構ヤバくない?」
「有事有事って、ずっと言ってるじゃん。どうせ何も起こらないよ~。むしろそれでテスト中止になったらラッキーなのに」
優菜ののんきな物言いに、秋穂は苦笑する。
「ほんと平和ボケなんだから……。あれ、なにこれ?」
SNSをスクロールしていた秋穂は、一枚の投稿で指を止めた。
「“N市の市街地で大量の負傷者、血まみれの人が倒れている”って……。これ、本物?」
「うわ、グロいの見せないで! どうせ嘘っしょ、釣りとかAI生成とか」
「だといいけど……。ここから近いからちょっと怖いな」
校舎を出たところで、秋穂ははっと思い出す。
「あっ、今日の花壇の水やり当番、私だった!」
「え!電車が来るまで時間ないよ! 逃したらめっちゃ待つじゃん! もう行こ、バレないって!」
「けど……、ごめん!先に駅行ってて。急げば追いつくかもだから!」
「もうっ、早くね!」
優菜を見送り、秋穂は急いで水道に駆け寄り、ジョウロに水を汲む。別に一日くらいサボっても平気そうだったが、良心がそれを許さなかった。
そのときだった。
「きゃああああっ!!」
突然の悲鳴が、背中を刺すように響いた。
秋穂は思わず振り返る──。
目に飛び込んできた光景に、息が止まった。
……何、これ。
校庭の一角で、生徒たちが頭や胸から血を流し、次々と倒れていた。悲鳴、泣き声、動けずに震える子。
SNSで見たのと同じ光景──。
そしてその上空には、“何か”が飛んでいる。
「アキーー!!」
優菜だった。恐怖に怯えた顔をしながら、必死にこちらへ走ってくる。
「優菜っ!」
その瞬間──
上空から降り注いだ光の筋が、優菜の頭を斜めにかすめた。
走ってくる勢いを保ったまま、優菜の身体が無残に崩れ落ちる。
「────っ!!」
声にならない悲鳴が、秋穂の喉の奥で震えた。
# # #
「──はっ」
また、あの日の夢だ。体は汗で濡れ、息は浅く早い。一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。だが、薄暗い部屋をぐるりと見渡したことで、昨日の出来事が少しずつ戻ってくる。
そういえば、植物園に行って、夏葵さんに出会って、おいしいバナナをごちそうになって……そのまま疲れて眠ってしまったんだ。
ここは、植物園の事務所で、ちゃんとした布団に、毛布までかけられている。きっと夏葵さんが用意してくれたんだろう。そんな記憶はないのに、不思議と安心感だけは残っている。
そのとき、引き戸が勢いよくガラッと開いた。
「おっ、起きてる。おはよっ。今朝ね、温室でドラゴンフルーツが採れたの。よかったら朝ごはんにどう?」
明るい声とともに、夏葵さんが顔をのぞかせる。
「は、はい……」
「どうしたの? 元気ないよ。もしかしてドラゴンフルーツ苦手だったり?」
「いえ、そんなことは……」
「ならよかった。あ、トイレと洗面所は廊下のあっちだから、顔だけでも洗っておいで。庭園の東屋で待ってるね!」
軽やかに言い残し、夏葵は部屋を出ていった。残された秋穂は、ぽつりとつぶやく。
「ドラゴンフルーツ……?」
# # #
秋穂は事務所を出て、温室の脇を歩いた。早朝の空気はまだひんやりとしていて、草木の匂いが混じる風が心地よい。こんな文明の残骸が積もる荒れ果てた世界なのに、この植物園だけは不思議なくらい生命が満ちている──そんな気がした。
広場に出ると、木製の柱と屋根に囲まれた小さな東屋が見えた。その下のテーブルのそばには、すでに夏葵が腰掛けている。
「おっ!来た来た。こっちに座って」
夏葵が明るく手を振っている。
テーブルの上には緑色の突起が伸びた、鮮やかな濃いピンク色の果実がいくつも並んでいる。
腰かけた秋穂に、夏葵が身を乗り出して興奮気味に話す。
「ほら、これドラゴンフルーツ。ここで育てた穫れたてだよ! 食べたことある?」
「名前は聞いたことあるけど、食べたことないです。何の実ですか?」
「えっ?」
夏葵は驚いた顔をして固まってしまう。
「わ、私……何かマズいこと言っちゃいましたか?」
「本当に何の果実か知らないの?」
「はい……」
「サボテンだよ! サボテン科旧ヒロケレウス属、現セレニケレウス属で和名が“三角柱”。中米原産で、木に着生する森林性サボテンで──」
急に早口になった夏葵の言葉は学者のようで、秋穂にはほとんど理解できず混乱し始める。
とたんに、夏葵がハッとしたように喋るのをやめた。
「あっ、ごめんごめん。癖でついつい語りすぎちゃった。えっとね、まあ要するにサボテンの実ってこと! それなりに美味しいから食べてみて」
相変わらずの変なテンションで、秋穂は少し接し方に困ってしまう。なんで昨日出会ったばかりなのに、こんなにしてくれるのだろうか。
夏葵は包丁を取り出し、慣れた手つきで果実を切り開いていく。
派手な外側とは裏腹に、中は真っ白い果肉に黒い種が散りばめられている。
「そのままだと少し味が薄いから、このいちごジャムかけてもいいよ。あとね、ドレッシングとかポン酢でサラダにしてもけっこう合うの」
皿に分け終わり、二人で「いただきます」と言い、果肉を口へ運ぶ。
秋穂は恐る恐るひと口かじった。思っていたよりも瑞々しく、さっぱりとした甘みが広がる。つぶつぶとした黒い種が、キウイフルーツにも似た歯ざわりを生んでいた。
「どう?」
夏葵が、期待を隠しきれない声で尋ねてくる。
「意外とあっさりした味で……美味しいですね」
「よかったぁ。あとで温室にあるドラゴンフルーツの株に案内してあげるよ」
夏葵の顔がパッと明るくなり、それにつられて秋穂も笑顔になる。
いつぶりだろう──誰かとこうやってテーブルを囲み、楽しく食事をするのは。昨日は空腹と疲労で落ち着いてバナナを食べることが出来なかったし。
しばらく食べ進めたところで、秋穂は気になっていたことを切り出した。
「そういえば夏葵さん、この植物園……全部ひとりで管理してるんですか?」
「そうだよっ」
「えっ、この大きな温室も、外の庭も……ぜんぶですか!?」
「うん。まあ“愛”があるから成せるワザだね」
夏葵は笑いながら軽く言うが、どう考えても、一人で世話をするには広すぎる。
「その、水やりとかいろいろ大変じゃないんですか?」
「大変は大変だよ。でもね、それが楽しいの。植物を育ててると……なんていうか、自分も一緒に成長してる気がして」
「……植物を育てるの、本当に好きなんですね」
「まあね。小さいころから、こうやって植物に囲まれて暮らすのにずっと憧れてたの」
そう語る夏葵の表情には、どこか眩しさがあった。
「じゃあ……ここの仕事に就くのも夢だったんですか?」
「そうだね」
夏葵はフォークを皿にそっと置き、視線を外の植物や木々へと向けながら言った。
「植物を育てることは本当に素晴らしい。この世界で一人生き残ったときにね……“この植物園の植物たちを守って、育てるのが私の使命なんだ”って、はっきり感じたの──」
その横顔はとても穏やかだった。けれど、秋穂には夏葵がどうやって生き残ったかを聞くことはできなかった。




