第10鉢 「元気ですか」
朝晩の気温がだんだんと下がり、ようやく過ごしやすさを感じられるようになってきたある朝。
秋穂は植物園の外をひとりで散歩していた。
人々が地上から消えたあとも、かつていた人類が残した温暖化の爪痕は、相変わらずこの世界を焼き続けていた。
そんな昼間の熱気を避けて外を歩くのは、朝夕の時間が一番だ。
ふと足元を見ると、落ち葉の間から、むっちりと太ったカサの茶色いきのこが顔をのぞかせていた。
「これ、食べれるかな?」
夏葵さんは植物だけでなく、きのこも詳しかった気がするから、採ってきて見せてみようか。
けれど毒きのこだったらどうしよう。そもそもこういうのって素手で触っても大丈夫なのだろうか。
秋穂は思わず慎重になる。
病院などない終末世界では、ほんの少しのことが命取りになってしまうから当然だ。
じっくり見てみようと、その場にしゃがみこむ。
その時だった。
きのこのすぐそばに落ちていた一枚の葉に、秋穂の視線がくぎ付けになる。
まだ青みの残ったその葉っぱには、見紛うことなく、はっきりと文字が書かれていた。
秋穂の鼓動は跳ね上がり、思わずその文字を読み上げた。
「── 元 気 で す か」
これはだれか、人が書いた文字だ。
もしかして、私たち以外の生き残りの人が来たのか──。
# # #
「夏葵さん! 夏葵さん!」
朝食の準備を終え、東屋の食卓に座る夏葵のもとへ、秋穂が息を切らしながら駆け込んできた。
「どうしたの? そんなに慌てて。熊でも出た?」
こんな市街地の植物園に熊が出るはずもない。
夏葵は冗談まじりに言う。
「違います! 見てくださいこれ!」
秋穂は例の葉っぱを差し出した。
「これ、誰かがここに来て書いたんじゃ……」
夏葵は葉を受け取ると、少し目を細める。
「あー……タラヨウの葉ね」
夏葵はあっさりと返す。
「タラヨウ??」
「モチノキ科の常緑樹で、葉っぱに傷をつけると黒く変色するから、それで文字を書くことが出来るの。昔はこれを手紙みたいに使ってたから『はがきの木』って呼ばれることもあってね、『葉書』の語源のひとつともいわれてる」
「けどこの葉っぱ、まだ緑色で新しいです! ってことは、最近書かれたものなんじゃ……」
秋穂は期待を込めた顔で言った。
もし誰かがここへ来たのなら──。
夏葵は葉をじっと見つめたあと、小さく笑った。
「ふふっ、なかなか良いところに気づいたね」
「えっ」
「ちょっと見に行こっか。私も朝食前に散歩したくなってきた」
そう言って立ち上がると、夏葵は葉を片手に軽やかに歩き出した。
秋穂も慌ててそのあとを追う。
# # #
「ほら、これがその葉っぱのタラヨウの木だよ」
そこには4メートルくらいの、背が低めで葉をたくさん茂らせた木があった。
ぱっと見では特に目立った特徴はない。
秋穂は駆け寄り、近くの葉を何枚か見てみた。
「やっぱり、何も書かれてないですよ」
「木の下のほうに入って、上を見上げてごらん」
夏葵に言われたとおりに、秋穂は枝の下へ潜り込み、上を見上げた──。
「うわっ!!」
思わず声が漏れる。
たくさんの葉の裏に、無数の文字や絵が刻まれていた。
誰かの名前。
拙いイラスト。
小さなメッセージ。
緑色の葉の裏に浮かび上がる黒い文字が、木の下いっぱいに広がっている。
「タラヨウは葉の寿命が長くてね、だいたい3年以上は木についたまま残るの。前は説明の看板を立ててたから、それを見て書いた人が多くて」
夏葵が静かに説明する。
秋穂は近くの葉を手に取り、書かれた文字を見る。
『20XX年 〇〇参上』
『また来ようね』
『祝!! 合格』
確かに数年前の日付が刻まれたものがいくつかある。
──“あの日”より前。
ここには確かに、大勢の人が来て、笑って、思い出を残していったのだ。
「……なんだか、すごいですね」
秋穂は木を見上げたまま、小さく呟いた。
「本当は、生きた植物に落書きするのってあんまり感心できないんだけどね」
夏葵は少し苦笑する。
「でも今となっては、この植物園にかつて人が来たことの貴重な名残だよ」
風が吹き、葉がさわさわと揺れる。
こうして刻まれた文字も、いつか葉と一緒に枯れ落ち、土へ還っていく。
その様子が、まるで人々の痕跡が、少しずつ世界から消えていくように思えて、秋穂は胸の奥に、言葉にできない寂しさが広がっていくのを感じた。
『ぐぅ~~っ』
不意に、静かな木陰へ場違いな重低音が響いた。
秋穂が振り向くと、夏葵が気まずそうにお腹を撫でていた。
「ごめんごめん、早く朝食が食べたくて」
「せっかくいい雰囲気だったのに! あっ」
秋穂は、何かを思い出したように顔を上げた。
「そうだ夏葵さん、ちょっとこっち来てください」
「ん?」
秋穂は夏葵の手を引き、タラヨウの木から少し離れた場所へ連れていく。
そして、地面を指さした。
「この大きいきのこ、食べられますか!?」
夏葵はしゃがみ込み、険しい顔をしながらきのこを見つめた。
「うーん……これは……」
秋穂が緊張したように夏葵を見る。
「テングタケ。毒きのこだね」
「なんだぁ──」
タラヨウ(多羅葉)
学 名:Ilex latifolia
分 類:モチノキ科 モチノキ属
原産地:日本、中国南部




