恋で相手の嫉妬を煽るやり方は愚策?得策?
セレスティナの興味を惹き続けるために、私は苦しくも隣国の王子が我が家を訪れた時に着ていた服の刺繍にまで話を膨らませ、彼女を留め続けた。
大丈夫。きっとこの話題がひと段落したら、庭園の散策くらいは誘い出せるはずだ。
ただそれだけを信じて、朧げな隣国の王子の刺繍に想いを馳せる。
すると話の途中にも関わらず彼女の瞳が動いた。
まさか、とその視線を追うように振り返ると、ルゴシュ伯爵家の子息が下位の令嬢達に囲まれているのが見える。
彼は確か、ネイトという名だったはずだ。
「次の夜会のドレスは水色にしようと思っている」
「王都にある劇場で素晴らしい演目をやっている」
「刺繍が家庭教師に褒められた」
令嬢達は愛らしく、時に甘えるようにネイトに話を振る。
『私を誘ってくれ』
その一言に尽きるほど彼女達の会話の意図は明らかだった。
それを嫌がるそぶりも見せず、のらりくらりと笑いながら全員と話し続けるネイトの手慣れた態度は、女性への誠実さなど欠片も持ち合わせていないように見える。
まさか……このような場慣れした男が好みなのだろうか。
確かにネイトの話は上手い。
どの令嬢も退屈せぬよう全員に話題を振っている。まるでガラス細工を扱うかのように細やかに気を配っているのが見て取れた。
貴族としては少し砕けすぎているような態度も、下位の令嬢たちが話しやすい場を意図的に作っている彼の心遣いだと思えば納得がいくような気がしないでもない。
女性の扱いに慣れた伯爵子息。
その気安さが彼女の心を動かすのだろうか。
胸を焼く焦燥感に追われ、私はセレスティナに向き直った。彼女の瞳はもう私など映していない。
「……ネイト伯爵子息が気になるのか?」
「ええ。そうですの」
取り繕った貴族の仮面が音を立てて剥がれていく。
私は唇を噛み締めた。
眉間にも皺が寄っているかもしれないと思ったが、平常心ではいられなかった。
「見てくださいアークレイ様。もう6回ですわ」
「……6回?」
「クレア子爵令嬢を6回も見ているんです」
「は?」
私はもう一度振り返った。
令嬢達に取り囲まれ笑顔を振り撒くネイトの瞳の動きを瞬きもせずに見つめる。
すると彼の視線が一定のタイミングで動いていることに気がついた。
その視線の先は、セレスティナが先ほどまで座っていたテーブルだ。
そのテーブルでは今一人の地味な装いの令嬢が寂しげにお茶を飲んでいる。
彼女の視線はテーブルに置かれた花に向いているが、どう見てもお茶会を楽しんでいるようには見えなかった。
「彼女は友人と来ていないのか」
「クレア様はとても内向的な女性ですの。他の令嬢と噂話に花を咲かせたりするより、刺繍をしたり本を嗜む方がお好きなんです」
何故内気な子爵令嬢の趣味を君が知っているのだ。
そんな言葉を飲み込んで、もう一度彼女を見た。
他に何も見たくないというようにテーブルの花に視線を注ぎ続けるクレア。
そして、他の令嬢と楽しく会話しながらも何度も視線を向けるネイト。
『大好きな他人の美しい恋』
その視点で見ると、友人もいないお茶会に好んでいる子爵令嬢を誘った挙句、他の令嬢との仲を見せつけるように振る舞うネイトの愚策たるや。
美しくなんてかけらもないだろう。
思わずため息が溢れそうになる。
まぁそれに気付いたからといって、感情は動かない。
だからどうした?その一言に尽きる話だ。
「そろそろいきましょう」
突然セレスティナは私の腕を取った。
彼女が触れた指先の感覚が、私の心臓を激しく揺さぶる。
彼女は私の胸の鼓動より早い足取りで元のテーブルへ戻り、淀みない仕草で椅子に腰掛けた。
「クレア様、すみません席を外してしまって」
「いえ、大丈夫です」
彼女の態度からクレアと気安い挨拶を交わせる程度には親交があることが窺える。
しかしクレアは突然現れた公爵という立場の私に気が気じゃない様子だ。
「アークレイ公爵も少しご一緒してもよろしいかしら?」
「……は?」
私が目を見開くと、セレスティナは自分の隣の席を有無も言わさぬ態度で示した。
まだ他の令嬢達が戻ってくる気配はない。
クレアは公爵と同席なんて勘弁してほしいというような顔しているが、セレスティナの誘いを断る理由なんてどこにもなかった。
まだ少し高鳴る胸を必死に抑えながら彼女の隣へと腰掛ける。すると彼女はあたり障りのない話題をクレアに振り始めた。
最近出ている恋物語の話題などついて行けるわけもなく、私はただ笑顔を貼り付けながら相槌を打つ。
クレアも本当にその話を楽しんでいるのだろうか?
そう思えるほど、彼女の相槌も怪しいものがあった。
すると楽しげに物語の好きな情景を語っているセレスティナは、感情を昂らせたのか勢いよく胸の前で手を握る。
この時。
一瞬、彼女の瞳がカップの位置を捉えたように見えた気がした。
彼女の手は目の前にあったカップにぶつかり、その衝撃でカップは倒れた。
茶色の液体がテーブルクロスを汚し、その一部がポタリと小さな音を立てて隣のクレアのドレスに染みを作る。
「まあ!申し訳ありません!クレア様!!」
「いえ大丈夫です。それほどかかっておりませんし、目立ちませんから」
青くなって立ち上がるセレスティナと「大丈夫です」と言い続けるクレア。
まぁ、ごく稀にこういうこともある。
幸いにクレアのドレスはそれほど汚れていない。
乾いてしまえば殆ど目立たなくなる程度だった。
「いえ、そうはいきません。わたくしそそっかしくて、こういう時のために替えのドレスを持ってきてますの」
――こういう時のために?
ドレスをもう一着持参するなんて、どういう理屈だ。
そう言いたくなる気持ちを耐えた。
「クレア様、わたくしお部屋を借りて参りますから着替えにいきましょう」
何がしたいんだという言葉をもう一度必死に堪えた。
それを言ったらセレスティナに嫌われる。それだけは分かる。
セレスティナが差し出す手をそっと取るクレア。
私はただ……その光景を見ていることしかできなかった。




