【閑話】ある辺境伯の恋物語2
私はアークレイ公爵に失望した。
彼は公務に婚約者を同伴させるなどという公私混同を持ち込んでこの仕事に臨んだのだ。
しかも彼の視線はセレスティナ侯爵令嬢ばかり向いている。
まるでこちらの業務など二の次だとでも言うような彼の態度がとても鼻についた。
それに仕事の出来についても不満がある。
ベアトリスが婚姻に消極的な理由を、私は彼女の親である伯爵に詰め寄るつもりだった。歴代当主一優秀といわれる公爵だ。当然、アークレイ公爵は彼も連れてくると思っていた。
それなのにベアトリスに同伴してこの地を訪れたのは、侍女のごとく地味なドレスを着た妹のソフィア嬢だった。
彼女はまるで私がいきなり怒鳴りつけるとでも思っているかのように、ビクビクと怯えながら城に入って来た。
アークレイ公爵!
同伴させる人間が違うだろう!
三年前のベアトリスの教育の質といい、妹の身なりといい、伯爵の知性と倫理観も疑いたくなる。
ベアトリスと少しでも早く二人きりになりたい。
手紙は他者が介入できる。
だから直接会って彼女に真実を直接聞きたかった。
実家から何かしらの圧力をかけられていないか確かめるにはそれしか方法がない。
婚姻の準備を早く進めたいと待機している従者に、私は“すぐに行く”と目で合図を送った。
「ああ、ベアトリス様の部屋に先に案内していだけますか?どうやら彼女は気分が悪いようで」
お前は黙ってろアークレイ公爵。
何故頑なにベアトリスを部屋に下げようとするのだ。
お前は一体何をしに来たんだ!!
ベアトリスがやっと自分の希望を述べたことで、ようやく彼女に城の中の案内を提案することができた。
やっと二人きりになれると思ったら、今度はセレスティナ嬢がおずおずと手を挙げる。
「わたくしも是非ご一緒させていただきたいのですがよろしくて?」
……こいつも敵か。
仕方ない。
相手は公爵とその婚約者の侯爵令嬢。
彼らの意見を聞き入れるしかなかった。
最初に美術品が飾ってある部屋へと案内する。
本は贈れるが大きな美術品は贈る事ができなかったのだ。彼女が来たら、真っ先に見せてやりたいと思っていた部屋だった。
案の定、部屋に入った瞬間彼女は瞳を輝かせる。
私は親から言われた“美術品の専門家のような小難しいうんちく”をこれでもかと彼らに述べた。
ベアトリス以外は退屈だろう。
さっさと出ていけ。
そんな気持ちを言葉に込めて。
しかし、ふと違和感に気づく。
何度も手紙で語りあった内容をベアトリスまで初めて聞くかのように対応するのだ。
何故か理解できない。
この婚約には何かある。
そう私は睨んだ。
ベアトリスを図書室に連れて行ったのは、彼女がその様な態度を取る理由を確かめる為に他ならない。
私はここにある本を何冊も彼女にも送りつけている。目の前の女性が本当にベアトリスならば、きっと私が話す内容に何かしらの反応が得られるはずだった。
しかし、やはり彼女の反応は芳しくない。
それは後方で私とベアトリスを見つめるソフィアのせいなのだろうか。
考えられることは二つある。
一つはソフィアという実家からの見張りのせいでベアトリスが当たり障りのない会話しかできないという可能性。
もう一つは……目の前のベアトリスが偽物である可能性だ。
やはり二人きりにならなくては埒があかない。
私は彼女をとても個人的な場所である温室へと誘った。
アークレイ公爵とセレスティナ侯爵令嬢に明らかな態度を示しながら「二人きりにしろ」という圧をかける。
「あら、わたくしも温室にご一緒したいですわサイラス様」
「わ……私も是非温室でお二人とご一緒したいですね。折角です。ソフィア様も一緒に行きましょう」
私の圧を跳ね除けるように述べられたアークレイ公爵の言葉。
彼は驚くべき事に権力を持ち出して来た。
こいつらは本当に一体何がしたいんだ!!!
敢えて温室の内側に整えさせたお茶の用意。
そこでベアトリスを含めた全員を観察する。
一番の違和感はベアトリスだ。
やはり何かがおかしい。
三年もの長い月日をかけてやりとりした“ベアトリス”とどうにも人物像が一致しない。
彼女はあんなに来たがっていた温室の匂いに顔を顰め、嫌そうに紅茶を嗜んでいる。
どちらかといえば……。
キョロキョロと視線を様々な方向に向けるソフィアの方が『手紙のベアトリス』と人物像が一致するのだ。
今ここで口を開くべきなのか?
しかしそんなはずがない、と私の理性がそれを阻む。
ーーその時。
いつもなら他人の前になど決して姿を現さないリドルが、お茶を並べたテーブルの上に降り立った。
「きゃあ!!ネズミ!!!」
バシッという音と共にリドルはベアトリスによってテーブルから叩き落とされる。
「リドル!」
咄嗟に名前を叫びながら彼に駆け寄ったソフィア。
積み重なった小さな違和感。
この瞬間、その全てが繋がった。
「何故その名前を……」
私の言葉に、アークレイ公爵はゆっくりと立ち上がる。そしてソフィアに向かって諭すように声をかけた。
「ソフィア。サイラス辺境伯に話す事があるのではないか?」
その言葉に心臓が跳ね上がった。
心臓が跳ね上がったのは私だけではなく、目の前のソフィアも同じらしい。
喚く“偽物のベアトリス”を退室させ、ソフィアをこの場に残すと彼女は躊躇いながら真実を語った。
三年という長い月日。
私と手紙のやり取りをしていたのは、伯爵とベアトリスから命令を受けたソフィアだった。
彼女は“決して私の機嫌を損ねるな”と彼らから厳命されていたらしい。
目に涙を溜め、何度も謝るソフィア。
確かに最初は命令だったのかもしれない。
私の機嫌を取るために必死に慣れない本を読み込み、文字を練習したのだろう。
しかし私にはわかる。
三年間、顔の見えないやり取りを何度したと思っているのだ。
私は長い年月をかけて彼女の一番の理解者になっていた。
「わかった。もういい」
私が立ち上がると、ソフィアはびくりと肩を震わせた。
アークレイ公爵とセレスティナ嬢は、口を挟むことなく静かに私達を見守っている。
「ソフィア。君を伯爵家に帰すわけにはいかない。君はこのまま私の妻になってくれ」
少し強引だった自覚はある。
しかし、自己肯定感が低く常に人の顔色を伺い続ける彼女は、私の迷惑になる可能性が僅かでもあれば決して自分の希望を口にしない女性だ。
だからこれでいい。
その証拠に、彼女はその言葉に安堵の色を浮かべて「はい」と微笑んだ。
アークレイ公爵は安心した様に息を吐き、セレスティナ嬢はまるで自分の事のように涙を浮かべている。
ああ……私は完全にアークレイ公爵とセレスティナ嬢を見誤っていた。
彼らはとっくにベアトリスが別人であることに気がついていたのだ。
手紙のやり取りすら知らなかった彼らが、何の手段を持ってして私が想いを傾ける相手がソフィアである、と気づいたのかは分からない。
しかし彼らは気づいた。
その上で私にチャンスを与えたのだ。
ベアトリスを下がらせようとしたり、頑なに私とベアトリスが二人きりになるのを邪魔したのは彼らからの無言のメッセージだった。
アークレイ公爵は公務で来ている以上、婚約を結んだ私とベアトリスの婚姻を大々的に阻止することはできない。
早く婚姻の手続きを進めようと急ぐ私の側近の存在もある。
私が入れ替わりに気づかなければ、当然このまま婚姻は結ばれていた。
考えただけでもゾッとする。
アークレイ公爵がいなければ一体どうなっていた事だろう。
彼の事を『命令された仕事に対して最速で結果を出すだけの人物』だと評価したことを、私は深く反省し改めた。
彼は全てを見越した上で人間の情を持って仕事に臨む傑出した人物だ。
婚約者を連れてくるなど公私混同も甚だしいと思っていたが、これも違う。
私が手紙の入れ替わりについて気づけば、急ぎソフィアとの婚礼を執り行う可能性を彼は見越していたのだ。
側近達の説得にも、彼は全力で私に協力した。
そしてその裏では、『可能性の低い私とソフィアの婚礼』を必ずやり遂げると信じて、セレスティナ嬢が準備を整えてくれていた。
彼は自分の持てる全ての力をもってして、辺境伯である私の真の望みを叶えたのだ。
それを叶えたところで、彼の公的な評価はさして変わらないだろう。
いや……強引にソフィアとの婚姻を押し進めた分、むしろ彼は少し損をしているかもしれない。
それでも「これが国を守る公爵としての仕事だ」と胸を張って言えるような仕事を彼は私に示した。
準備期間がたった十日しかなかったとは思えないほど、完成された芸術品のように美しく変身したソフィア。
私が愛した手紙の彼女が、今まさに隣で嬉しそうに微笑んでいる。
本当にーー奇跡みたいだ。
この溢れる感謝の気持ちは、言葉にする事も文字にすることも難しい。
だから……いつか必ず、彼らに恩を返そう。
彼らの献身に見合うだけの人間の情と愛をもって。




