【閑話】ある辺境伯の恋物語1
伯爵家と王宮に婚姻の催促状が送られたと知って、私は顔を青くした。
なんと余計な事を。
ベアトリスが結婚の適齢期に達した際に結ばれた私との婚約は先日ついに三年を迎えた。
全く嫁いでくる気配がないベアトリスに、側近達が王宮を巻き込むような形で、ついに圧力をかけ出したのだ。
「何故私に黙ってこんな事をした!」
「さすがにベアトリス様の悪評をこれ以上見て見ぬふりをしておくわけにはいきません。これではサイラス様が蒼玉の令嬢を手に入れたと言う政治的な利が失われます」
私は側近の言葉に思わず拳を握った。
分かっている。
分かってはいるのだ。
蒼玉の令嬢としてこの国一番の美女であると言われたベアトリスは、今評判を落としている。
度重なる男漁りに、金遣いの荒い毒婦。
彼女の悪評は王都で情報を集めずとも、このような辺境の地まで聞こえてくるほどになった。
しかし──彼女の本質はそのような人物ではない。
私と彼女の婚約は政治的な意味を持って結ばれた。
未だ情勢の不安定な国境沿い。
そこを治める私の箔付けのためにと充てがわれたのが蒼玉の令嬢であるベアトリスだ。
正直、外見の美しさなど私はさして興味はなかった。
美しさは感性と知性にこそ現れるというのが私の持論だったから。
見目ばかりが美しく中身が伴わないなど、まるでこの国の王宮のようではないか。
人間の価値とはその者の本質にこそ現れる。
金と権力があり、優秀な教師を雇ったからといって、その者が素晴らしい芸術家になるとは限らない。
もちろん、その者が素晴らしい芸術家になる事もあるが、辛く険しい道を歩いたからこそ得た『美しい心』や『感性』の存在を私は信じていた。
だから最初は彼女に全く期待などしていなかった。
彼女との婚約が定まった後、私は側近達に促され手紙を送ることになった時も、余計な仕事が増えたと思ったくらいだ。
あまり気乗りしない婚約者との文通。
彼女が少しでも私の価値観を理解してくれればよいくらいの感覚で始めたことは確かだった。
そして私の予想通り、彼女からの返信に知性的な面は見受けられなかった。
字は美しいわけでもないし、物も知らない。
ああ、やはり形ばかりの令嬢なのだと私は失望した。
それでも……あくまで彼女は辺境伯の婚約者。
その辺境伯という職務から私は逃れるつもりはない。
ただ……この後予想外のことが起こった。
何通も文通を続けていくうちに、彼女との会話が噛み合い出したのだ。
彼女は便箋を埋めるためだけに書いた私の勧める文学の本を読み出したということがすぐに分かった。
『この世界にこんなにも美しいものがあるなんて知らなかった』
──そう、彼女は手紙に書いていた。
嗚呼、彼女は知らなかっただけなのだ。
物事には何事もきっかけという物が存在する。
見た事も触れた事もない知識や芸術を愛することなんてできるはずがなかった。
彼女は手紙の中で『私の好きなものの話をもっと教えてほしい』と少し美しくなった字でそう私に願った。
彼女が本当にそう思っているかなんて分からない。
そう言っているのはあくまで手紙の中の文字に過ぎない。
しかし、彼女の気持ちがとても嬉しかった。
自分の好きなものばかり述べてはダメだ。
「お前は美術品の専門家か。好きな物について語るお前の話はつまらない」と親に言われた事もある。
自分の好きなものをより分かりやすく、少しでも彼女が気に入ってくれるきっかけになればと思い、手紙や本を沢山送った。
そして三年という月日が流れた。
ベアトリスはいつの間にか私の一番の理解者になっていた。
手紙という文字を通しているからか、辺境伯という重圧への弱音も彼女にだけは素直に伝えられた。
彼女は美しい文字でいつも励まし支えてくれる。
彼女は見た目だけの令嬢じゃなかった。
知らない事、見たことがない物に純粋に興味を示す知性と好奇心に溢れた優しい女性だ。
早く彼女に会いたい。
その気持ちだけが、届いた手紙の分だけ募っていった。
しかし私の思いとは裏腹に、彼女はこの婚姻を少しでも先延ばしにしたがっていた。
調査はしたが、理由は分からない。
もしかすると、辺境伯領まで流れてきた彼女の悪評が理由なのかもしれなかった。
しかし……私はベアトリスを信じている。
あの彼女が男漁りなど信じられる訳がない。
彼女も私を想ってくれていることは、この手紙の束が証明している。
「この度の婚姻に関してカランセベシュ公爵が介入してくださるそうです」
「アークレイ公爵か……」
彼は公爵領という広い土地を治めながら、王宮にも重宝される最高位の貴族だ。
カランセベシュ家の歴代の当主の中でも頭ひとつ飛び抜けるほどの知性と政治的手腕を兼ね揃えていると聞いている。
ベアトリスが私と婚約を続けながらも婚姻できない理由。それが彼女の『実家』という周囲から隔絶された家庭内に起因する場合、彼は無理矢理にでもベアトリスを実家から引き離してくれるに違いない。
人の為に使うかどうかは別として、それくらいの事が造作もないほどには彼は権力を持っている。
「待っているぞ。ベアトリス……」
彼女が私の元に来る。
私は少し恐る気持ちと、それ以上の喜びを噛み締めた。




