恋の成就は常にリスクと隣り合わせ
サイラス辺境伯の冷たい笑顔に胸を焼かれながら、私たちは温室のテーブルを取り囲んだ。
温室は辺境伯の好みに整えられているのだろう。
まるで異国の森のようだ。異国の香りの強い花がお茶の香りを完全に消してしまっている。
うん。このような場所に公爵を呼べるわけないな。
本当にすまないサイラス。
ベアトリスは異国の花の強い香りに一瞬顔を顰めたが、なんとか蒼玉の令嬢としての表情を保ちながらお茶を飲んでいる。
一方のソフィアは伏せられていた視線を上げ、異国の花を興味深そうに眺めていた。そして時折キョロキョロと何かを探すように視線を動かしている。
二人きりの邪魔をしたセレスティナは、異様な温室の様相なんてそっちのけで優雅にお茶を嗜み続けた。
おい、セレスティナ。
ここからどうするつもりだ。
何か策があったのではなかったのか?!
セレスティナは手紙の相手の入れ替わりについて、ここでサイラスに暴露するのだろうと私は期待していた。
しかし一向にセレスティナは口を開かない。
しばらくして、恐ろしい事に気づいてしまった。
セレスティナはロマンスの場を整えるだけだ。
きっかけを与えることはするが、直接的に手を加えることはしない。
ネイト伯爵子息の時も、シャーロットの時もそうだった。
彼女が提供するのはロマンスのきっかけだけ。
ネイト伯爵子息が私からクレア嬢を奪わなければ。
シャーロットが焼き菓子をポーチから取り出さなければ。
美しい恋は成立しなかった。
手に汗が滲み、指先が震えた。
公爵として数々の危機と場数を踏んでいなければ、きっと私の顔面は蒼白になっていただろう。
場は既に整えられてしまっている。
今更気づいたとしても──
私が勝手に打破してはいけないのだ。
ソフィア。頼む。
お願いだから動いてくれ。
そなたが動かなければ、サイラスの中の私への評価が地に落ちる。
視線しか動かさないソフィアに必死にそう祈りを込めた。
気まずい時間がただ流れる。
「チュ」
ストンという音と共にテーブルに何かが降り立った。
カップを持つベアトリスのすぐそばに突然現れたのは金色の毛を持つ小動物。
「きゃあ!!ネズミ!!!」
ベアトリスはバシッという音と共に思いっきりその小動物をテーブルから叩き落とした。
「リドル!」
ソフィアは突然椅子から立ち上がり、テーブルから叩き落とされた小動物に駆け寄った。
彼女はリドルと呼んだ小動物をそっと手のひらに乗せ、優しく労わるように撫でる。
死んでしまったかと思った小動物は、目をあけひと鳴きした後、彼女の掌から森の中へと逃げていった。
「何故その名前を……」
立ち上がったサイラス。
彼はリドルが無事だったことに微笑むソフィアを……真っ直ぐに見つめた。
助かった。
神様、リドル様ありがとう。
リドルはサイラス辺境伯が温室で飼っている愛玩動物のようだ。何度も手紙の中に登場しているリドルをベアトリスに見せるために、彼は彼女に温室でのお茶を提案したのだろう。
何も知らない令嬢の前に、いきなりネズミのような小動物が木から降りてきたら驚くのも無理はない。
「ソフィア。サイラス辺境伯に話す事があるのではないか?」
私はやっと、この言葉を投げかけることに成功した。
喚くベアトリスの声はもう誰にも聞こえない。
俯いていたソフィアは、顔を上げる。
その瞳には小さな決意が灯っていた。
そして──
全てを話したソフィアは、文通相手の入れ替わりについてサイラスに知られることとなった。
三年にも渡る婚約者との文通相手が入れ替わっていたという驚きの事実は、辺境伯家の皆を混乱の渦に叩き落とす。
すぐに伯爵家との縁を切るべきだと皆が進言した。
しかし全てを知ったサイラスは――
ソフィアを選んだ。
♦︎ ♦︎ ♦︎
サイラス辺境伯の城に滞在して十日後。
サイラスとソフィアの婚礼が執り行われた。
姉の婚約者への手紙の代行までさせるような伯爵家にソフィアを帰すことはできない。と、急遽婚礼を執り行おうとするサイラスに全力で手を貸した私は、サイラスの評価を完全に覆すことができた。
王宮から派遣された公爵である私は、婚礼の場を取り仕切っても問題はない。
確かに、蒼玉の令嬢を得たという辺境伯の利は失われた。しかしソフィアとて伯爵令嬢という立場は変わらない上、優秀な引きこもり辺境伯の妻ならば問題はなさそうだ。
むしろ……上手くやれば第二王子に嫁いだ男爵令嬢と同じく、令嬢達の羨望の的になるだろう。
しかし急な婚礼を執り行う運びとなったため、辺境伯領は大騒動になった。
辺境伯の婚礼。簡易的にとはいえ、手を抜く事すら難しい。
それに長年虐げられてきたソフィアは、明らかにサイラスに見劣りしている。
そこでセレスティナは立ち上がった。
いや、最初からそのつもりだったようだ。
「花嫁の準備はお任せくださいませ」
短時間で地味な子爵令嬢を上位貴族の令嬢に変身させたセレスティナにかかれば、十日という準備期間があればソフィアを磨き上げる事など造作もないことだった。
ソフィアのくすんだ水色の髪は、今や磨かれたアクアマリンを思わせる。
元々顔の造形は蒼玉の令嬢と呼ばれたベアトリスによく似ているのだ。
それに謙虚さと知性、そして少しの自信が加わるだけでこれほどまでに見違えるのかと思うほど美しくなっていた。
まあセレスティナほどではないがな。
急な婚礼の為に用意されたソフィアの既製品のドレスにもセレスティナは手を加えた。
刺繍が上手いわけだ。
たった十日という短い期間に、サイラスとソフィアの互いの瞳の色を入れた豪華な刺繍入りのドレスをセレスティナは完成させた。
全てを注ぎ込んだセレスティナの顔は過去一酷い。寝不足と疲労、それを上回る興奮でエメラルドのような瞳はギラギラとしている。
それでも……これ以上になく満ち足りた顔をしていた。
今回、結局私が得たものは与えられた仕事を無事こなしただけではない。
サイラスという傑出した辺境伯からの信頼と恩義を得た。
それは全て、他人の美しい恋に心血を注ぐセレスティナによって齎されたものだ――。
「セレスティナ」
「はい。なんでしょう?」
「いや、婚礼とはいいものだな」
「ふふふ。分かります」
幸せそうにサイラスの隣で笑うソフィアを見て、セレスティナは微笑んでいる。
今まさに……ロマンスの気配がした。
「どうだ?私達も婚姻を結ぶというのは……?」
「え?どうしてですか?」
調子に乗りすぎたようだ。
現実とはかくも厳しいものである。
深い心の傷で、眩しい二人を見られなくなった私の隣で、セレスティナは考えるように指を顎に当て唸る。
「でも……そうですね。帰ったら早めに婚約破棄をしてもらおうと思っていたのですが」
とんでもない言葉が隣から聞こえた。
彼女は本気でこの二人のロマンスを見るためだけに私と婚約したらしい。
公爵から婚約破棄を言い渡される事が、どれほどの汚点になるか理解していない訳じゃない。
セレスティナは令嬢としての人生をこのロマンスを見届ける為に投げ捨てるつもりでいた。
その事実に意識が飛びそうだ。
「アークレイ様の婚約者でいた方が、色々と便利かもしれません。ご迷惑でなければ、しばらく婚約者を続けてもよろしいですか?」
……喜んでいいのだろうか。
自分の中の価値観がもう私は信用できない。
しかしセレスティナを得る機会だけはまだあるという事だけは理解できた。
「もちろんだ」
ならば──この答え以外ないだろう。
辺境伯編はこれでおしまいです。
なんとか偽装婚約者の地位を確保することに成功しました。
次回はサイラスの視点で紡がれる恋物語。
楽しんでいただけましたら、下の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎から評価、ブックマークいただけると嬉しいです。
感想は嬉しくて飛び跳ねます。
よろしくお願いします。




