他人の恋愛しか興味がない侯爵令嬢に恋をする
「完璧だな」
婚礼の参列者名簿を眺めながら笑みを浮かべた私は、それを確認済みの書類箱に置いた。
婚礼の準備に抜かりはない。
セレスティナとの婚礼。
この日をどれほど待ち望んだことだろう。
彼女はもうじき私の妻になる。
それを考えるだけで喜びが胸を満たし、私の表情筋を緩めた。
人生最良の日は目前に迫っている。
「アークレイ様、婚礼のことでご相談が」
セレスティナが私の部屋に入ってきた。
彼女の手には大切に抱えられた書類がある。
準備はすでに完璧だ。
婚礼の日に、たとえ空から槍が降ってきたとしても、私はこの婚礼をやり遂げるつもりでいる。
だからセレスティナが心配することなど何もないのだが、たとえどのような話だったとしても彼女と話せる時間が増えることは喜ばしく、何よりも優先するべきことだ。
「アークレイ様……どうかされましたか?」
セレスティナは瞳に心配の色を浮かべて私を見上げた。
可憐な表情と、彼女に心配されているという事実が幸福すぎて今にも溺れ死にそうだ。
「いや。幸せを噛み締めていただけだ」
セレスティナと出会うまでの私は傲慢だった。
自分の思う通りに物事を動かすことは造作もなく、全てが簡単に手に入ると思っていた。
未だにその時の自分を思い出すだけで少し恥ずかしくなる――。
******
王宮で行われた夜会。
夜会会場の中央では政治的策略とロマンスの光が渦巻き、誘い誘われ振り振られが繰り広げられている。
そんな中、私は壁際に立つ一人の令嬢に目を奪われた。
柔らかなブロンドの髪にエメラルドのような瞳を持つ彼女は、壁の花として美しい王宮の大広間の隅にそっと咲いていた。
壁の花になるような令嬢はこぞって皆俯いて、誰かが声をかけてくれるのを待っているものだ。
それなのに彼女は背筋をピンと伸ばし、まるでこれから教会で拝謁をするとでもいうように、宝石のような瞳を凛と前に向けている。
その姿は、まるで雑草の中に咲く一輪の百合。
場違いなほど神聖で清らかな彼女から目が離せなくなった。
「……すまない。彼女を知っているか?」
隣にいた貴族に声をかけると、彼は彼女に目を向け「ああ」と答えた。
「セレスティナ様ですね。ベオグラード侯爵家のご令嬢です」
ベオグラード家といえば先代の事業が成功し富を築いた家だったはずだ。
その家の令嬢が壁の花となっているという事実が胸をざわめかせた。
「彼女には婚約者がいるのか?」
「いえ、いないはずですよ」
「では……何か問題が?」
「さあ?あまり目立つ噂もないご令嬢ですからね。夜会ではいつも壁際でお一人でいらっしゃるのをお見かけしていますが……」
彼女をよく見ると、その身に纏っているドレスは事業に成功した侯爵家の娘とは思えないほど地味で目立たないものだった。
手入れの行き届いた髪には少し勿体無いと思えるグレーのドレス。刺繍やレースは驚くほど少ない。
明らかに彼女の美しさを霞ませている。
それはまるで、わざと壁の花の令嬢達にこの美しい花を埋もれさせようとしているかのように――。
彼に礼を述べ、私は彼女の元へと足を進めた。
夜会会場の中央では楽団が奏でる美しいワルツに合わせて多くの貴族達がダンスを踊っている。
「ベオグラード侯爵令嬢」
「えっ……」
声をかけると、今気づいたというように彼女は私を見た。
「カランセベシュ公爵……でしょうか」
名前を知られていたことに胸が高鳴った。
その恥ずかしさに少し髪を掻き上げ「アークレイで構いません」と言って彼女に手を差し出す。
「……よろしければ一曲、踊っていただけませんか?」
彼女は驚きに目を瞬かせ私を見た。
大丈夫だ。
それほど見た目は悪くないと思っているし公爵という身分は確かに私を後押ししてくれる。
さあ、この手を取ってくれ。
そう微笑みかけると、彼女は小首を傾げて微笑んだ。
「すいません公爵閣下。わたくし、今とても忙しいのです」
「え……?」
差し出した手を一瞥することもなく、彼女の視線は夜会会場へと戻っていった。
……フラれた?
なんせ彼女は壁の花。
どう考えても忙しいようには見えない。
断るにしてももう少し言葉を選んでもいいように思えた。
「私と……踊るのが嫌なのか?」
「いえ、そういうわけではありません」
こちらに視線を向けることすらせず、彼女はそう言った。
生まれてはじめて、他人から『ぞんざいに扱われる』という経験をした。
公爵としてのプライドに小さなヒビを入れられたような感覚がする。
納得がいかず、彼女の視線に入るよう一歩前に足を踏み出した。
「何故だ?」
「ちょっと!邪魔です!!」
彼女はキッと美しい瞳で私を睨みつけ、私の身体を細い腕で容赦なく押し退ける。
そしてまた、キラキラとした瞳を夜会の会場の真ん中へ向けた。
女性からぞんざいに扱われ、さらには『邪魔』と言われた二重の衝撃。心が鞭で打たれたような心地がする。
私を差し置き彼女が向ける瞳の先に何があるのか。
彼女の視線を追うように振り返ると、第二王子がいた。
「……第二王子?」
妹の婚約者である第二王子にキラキラとした視線を向ける侯爵令嬢。舌打ちしたい気持ちを抑え、彼女に事実を突きつける。
「……彼は妹の婚約者だ」
「もちろん存じております」
彼女は私に見向きもせずそう答えた。
ならば何故ーー。
それほどまでに熱い視線をむけているのか。
視線を彼女からもう一度第二王子に移すと、違和感に気づいた。
第二王子の腕に縋り付いている女性。
彼女は妹ではない。
確か貧乏男爵家のご令嬢だ。
男爵令嬢は第二王子の腕に絡みつき、恥ずかしげもなくベタベタと甘えながら勝ち誇った顔をしている。
そして第二王子が冷たい視線を向けている先にーー妹がいた。
妹は野次馬の貴族達に囲まれながら、広い会場の真ん中でドレスを握りしめ立ち尽くしている。
「君との婚約は破棄させてもらう!!」
多くの貴族の前で第二王子は高らかに宣言した。
何故妹がそんな扱いを受けなくてはいけないのか。
妹は王子妃になるために幼き頃から勉学にも、王妃教育にもずっと励んでいた。
これは我が家に対する王族からの宣戦布告と言っても過言ではない。
心の痛みは瞬時に消え失せ、一瞬で怒りに塗り変わる。
私は妹を庇う為に一歩踏み出した。
するといきなり、セレスティナが私の腕を掴んだのだ。
「いけません」
「……なっ!!妹が辱められているのをただ見ていろというのか!!」
彼女は真剣な瞳を私に向け頷いた。
そして黙って見ておけというように、顎先をクイッと第二王子に向けた。
何があってもこの手を離さないとでもいうように、セレスティナの表情は鬼気迫っている。
そんな彼女の気迫に負けた私は、渋々と第二王子と妹の成り行きを見守った。
妹が俯いたことで、私とよく似た燃えるような赤色の髪が彼女の揺れる瞳を隠した。
妹は滅多に泣かない。
弱音を吐くこともない。
ただやるべきことを粛々とやり、未来の王子妃として正しいと思う振る舞いをする。
我が妹ながらその志は気高く美しい。
そんな妹を差し置いてベタベタと王子に触れる男爵令嬢の勝ち誇った笑みと、妹をつまらぬ女だと言い腐った第二王子の物言いに殺意が芽生えた。
「さあ、ここからですよアークレイ様」
セレスティナはこれから起こる出来事を一つも見逃すまいとでもいうように瞳を輝かせ、少し前のめりになる。
彼女の瞳は、まるで最高の舞台の幕を見上げる観客のようだ。
何が面白いというのか。
そんな不快な気持ちが胸に広がった。
「お待ちください」
皆が成り行きを見守る中、そう声を上げたのは賓客として招待された隣国の王子。
貴族達は彼が通れるようスッと道を開けた。
いつのまにか楽団の奏でる音楽は止まっており、カツカツと彼の靴音だけが大広間に響きわたる。
隣国の王子は跪き、妹に手を差し伸べた。
「私の妃になっていただけないでしょうか」
隣国の王子からの突然の求婚にざわめく会場。
そして信じられないとばかりに目を見開く第二王子と男爵令嬢。
彼のことは勿論知っている。
この国と親睦の強い隣国の王子だ。こちらで大きな行事がある際は必ず招待状を送っているし、何度も公務で関わったことがある。
少しばかり生真面目すぎる性格だと思っていた彼が、突然このような行動に出たことに驚きを隠せない。
妹の金色の瞳は戸惑いに揺れた。
家同士の繋がりで貴族の婚姻関係は結ばれることが多いのだ。ましてや第二王子から婚約破棄を宣言されたすぐ後の求婚。
戸惑うのも無理はないし、妹一人で判断できるはずもなかった。
「アークレイ様、今こそ出番じゃなくて?」
その言葉と共にセレスティナは私の背中をトンと押す。
彼女を振り返ると、花が水を吸って美しく咲き誇るように満ち足りた顔をしていた。
「君は……知っていたのか?」
「もちろんです。わたくし大好きですの」
「……大好き?」
「ええ。他人の美しい恋が大好きですの」
彼女はそのまま表情を崩してへらりと笑った。
まるでこれを見るためだけにここに居たとでも言いたげな、その純粋で無邪気で無垢な子供のような歓喜の表情。
――心臓が鷲掴みにされた気がした。
「姫を助ける王子様は時に一人では足りないのです。早く姫を助けてきてくださいませ。公爵閣下」
『早く行け』とでも言うように、彼女は私の背中をもう一度強く押す。
それでも名残惜しい気持ちが後を引き、私はもう一度セレスティナを振り返った。
「……では戻ってきたら……私とダンスを踊ってもらえるか?ベオグラード侯爵令嬢」
彼女はニコリと微笑んで首を振った。
「いいえ。今日はもうとても満足しましたので、わたくしはこれで失礼致します。早く屋敷に帰って今日のことを思い出しながらゆっくりと過ごすつもりですの。あと、わたくしもセレスティナで構いません。ではアークレイ公爵、ごきげんよう」
彼女は小さく手を振り、鼻歌でも歌い出しそうな足取りで背を向けた。
妹が目の前で辱められたすぐ後だというのに、頭の半分は去っていく彼女の背中と「満足しました」という言葉の意味を理解しようとしていた。
――まさか。彼女は俺とのロマンスより、他人のロマンスの方が面白いと言うのか!?
お読みいただきありがとうございます。
こちら書き溜めにてすでに完結しております。
安心してお読みください。




