第八話 お願いしたの ぽんって
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朝日が差し込む部屋。
緩やかな風にカーテンが揺れ、光の粒が床に踊っていた。
少女――ソフィア(六歳)は、整えられた寝具の上で静かに目を閉じていた。
その寝顔は、どこまでも無垢だった。
「お目覚めの時間です、ソフィア様」
レティシア=クローデルは、柔らかい声でそう告げた。
この屋敷に赴任して、ちょうど一ヶ月になる。
レティシアは王都の魔導学院を首席で卒業し、教団から直接任命を受けた特別教導師。
表向きは「家庭教師」。だがその裏には、もう一つの任務があった。
――調査。
過去、ここに派遣された三人の教師が、任期途中で失踪している。
「婚約者が倒れた」「帰郷した」と、どれも曖昧な報告で片付けられているが、
教団内部ではすでに“異常事例”として扱われていた。
そして四人目の教師として、彼女が送られてきた。
(それでも……何の問題もなかった)
ソフィアは礼儀正しく、勉強熱心で、感情の起伏こそ乏しいものの、手のかからない子どもだった。
異端どころか、模範的ですらある――そう思っていた、つい先ほどまでは。
「本日は、火の精霊詠唱から始めましょう」
そう告げたレティシアの前で、ソフィアはすとんと椅子に腰掛けた。
手には、いつもの訓練用の魔導具と、起動用の木片。
「先生」
ソフィアは、不意に口を開いた。
「詠唱って、絶対に必要なの?」
「ええ。信仰と共鳴する言葉で、神々と繋がるために必要な――」
――ボッ。
説明を終えるより早く、木片の上に小さな火が生まれていた。
レティシアは一瞬、時が止まったように見えた。
「……ソフィア様? 今のは――」
「火だよ。お願いしたの。ぽんって」
にこり、と笑う少女。まるで罪の意識もない。
「神に、ですか?」
「ううん、火に。信じてないものにお願いなんてしないよ」
あまりにも率直な否定に、レティシアは返す言葉を失った。
ソフィアは続ける。
「ねえ先生、前の先生たちも、“信仰は大切”って言ってた」
「……ええ。そう教えるのが当然です」
「でもみんな、途中でいなくなっちゃった」
淡々とした声。それは訴えでも寂しさでもなく、“観察結果”のようだった。
「先生は、いなくならない?」
「……さあ。それは、あなた次第かもしれません」
ソフィアは少しだけ目を細めて、それから言った。
「ほんとに、そう思う?」
その声に、レティシアの背にかすかな悪寒が走った。
夜の帳が屋敷を包み、書斎のランプの灯だけが静かに揺れていた。
レティシアは書類に目を落としながら、ふと視線を宙に滑らせた。
机の上には、今日の授業内容と、ソフィアが何気なく起こした“火”の記録。
詠唱もなし、魔法陣もなし。
信仰の片鱗すらない。
それでいて、完璧な制御――“ありえない現象”。
(あの子は……何なの?)
ページの端に指を置いたまま、彼女は記憶の底を探るように、思い出していた。
数年前、教団の上層部で耳にした、とある“物語”。
それは実在したかどうかも定かではない、
だが、妙に現実味のある“禁忌の記録”。
---
「――零と呼ばれた者の話、知っているか?」
かつて教団本庁の奥深く。
研究局に籍を置いていた頃、上級研究官がふと漏らした言葉。
「属性も、信仰も持たない。それでいて魔法を操った者がいたと」
「そんな存在、記録にありませんでしたが」
「……抹消されたのさ。神の支配に対する“異端”として」
そのとき、研究官が見せたのは一枚の古文書の断片。
そこには、こう記されていた。
> 「神を信じず、祈りもせずに、世界の理を“理解”し操る者。
万象を零に還し、因果をねじ曲げる。
ゆえに、“零”と記された」
彼は重く言った。
「そんな者がまた現れれば……」
---
(……ただの寓話、のはずだった)
だが。
あの、真顔で火を起こした少女の声が蘇る。
ふざけているようで、どこか正確だった。
(あれは……あれこそ、“理の再現”)
神の加護も祈りもなく。
それはまさに、理そのものを“構成”していた。
(まさか……そんなはず、あるわけ――)
否定しかけた思考を、内心の震えが遮る。
――あの子は、信仰を持っていない。
それを、わざわざ見せつけるように
いや、試していた。こちらを。
(私を……“選別”している?)
(失踪した前任たちは……)
そこで思考が止まる。
「……まさか」
それ以上を想像するのは、まだ早い。
けれど――
あの無垢な瞳に映っているのは、
人ではないものの視点で、世界を見ている。
(もし、あの子が“零”の再来だとしたら……)
誰にも止められない。
誰にも、測れない。
そして、誰にも、“理解”できない。
「……どうすれば……?」
教団に報告すべきか。
だが、あの子を“異端”として裁かせていいのか。
確かに、常識を超えている。
けれど――彼女は、ただ静かに“生きているだけ”なのだ。
信仰はない。
でも、そこに悪意はなかった。
あったのは、ただ“真理を知ろうとする目”。
レティシアは立ち上がり、窓の外を見た。
星が、ただ静かに瞬いている。
数日後
夜のエインズワース邸を後にし、レティシアはゆっくりと馬車へと向かっていた。
外はまだ初夏の涼しさが残る夜気で、足音が石畳にやさしく響く。
けれど、その静寂の中、彼女の胸の内には嵐のような思考が渦巻いていた。
(……報告すべきか、否か)
ポケットの内側に、封筒が一通、折り畳まれて入っている。
ここ数日の、彼女が秘密裏に書き溜めていた、教団への報告書草稿だ。
そこには、こう記してある――
「令嬢ソフィア=エインズワース。魔法発動に際し、祈りの兆候はなく、魔方陣も確認できない。
従来の魔法体系とは根本的に異なる原理で魔法を“再現”している疑いあり。
失踪した過去三名の家庭教師との関係、調査継続中」
(教団に出せば、あの子は……“分類”される)
“異端”として。
あるいは、もっと厄介な――“零”として。
ふと、記憶の中で、かつて聞かされた古い記録が蘇る。
“零”――
信仰の枠組みの外から、魔法を操る者。
いかなる神の名も介さず、あらゆる属性に属さず、けれど魔力を使う存在。
存在すら許されぬばはずの“仮説”。ただの寓話。古い警句。
(……けれど、もしあの子が……)
ソフィアの眼差しが脳裏をよぎる。
曇りのない、異様なまでに澄んだ瞳。
あれは子どものそれではない。
(あれは、“信じていない目”だ)
レティシアは馬車の前で立ち止まり、風の冷たさにわずかに身を震わせた。
「……出せない」
ぽつりと呟いた言葉が、夜の中に溶けていく。
「今、報告書を出せば……教団は必ず“処理”に動く」
(あの子は、ただの子どもじゃない。でも――“脅威”でもない)
少なくとも、今の時点では。
“知ろう”としている者を、潰すことは正しいのか。
信仰の枠組みの外に立つからといって、即座に危険だと決めつけるのは――
(……私まで、“信仰”に目を塞がれているのでは?)
彼女はポケットに手を差し入れ、封筒を取り出す。
夜風にひるがえる紙の感触。
そのまま、指を離した。
報告書はふわりと宙を舞い、闇の中に溶けていった。
一瞬だけ迷いの残る胸を抑えながら、レティシアは馬車に乗り込んだ。
「――行き先は、王都」
御者に告げた声には、まだわずかに震えが残っていた。
だがその目は、ほんの少し、夜よりも深くなっていた。
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