第二十五話 「信仰への疑い」
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白い光が窓から差し込む午後、教室は整然と静まり返っていた。
治癒魔法の講義――理論と実技を兼ねた授業であり、黎明の神を戴くこの学園において最も神聖とされる科目の一つだ。
「いいか、生徒諸君。治癒魔術とは“神意を媒介にする奇跡”である。肉体の損傷を癒すのは、術者ではなく神意そのものだ。術者はただ、神意の通り道を作るに過ぎない」
講師は老齢の男性で、深々とした声が教室を満たす。
彼はゆったりと詠唱を始め、手のひらに淡い光を灯した。
机上に置かれた傷ついた小動物の模型――魔術によって創られた訓練用のもの――に光を当てると、見る間に裂け目が塞がり、皮膚が滑らかに繋がっていく。
「……これが“神の御業”だ。人は神意の代理に過ぎん。ゆめゆめ、己の力と勘違いするなよ」
生徒たちの間に小さな感嘆の声が漏れる。
そのとき――
「では、次は新入生代表。ソフィア=エインズワース、お前がやってみろ」
講師の指名に、クラスの視線が一斉に集まった。
ソフィアは静かに立ち上がり、前に出る。
その姿は一見すれば凛として美しく、信徒の少女らしい清らかさに満ちている……ように見える。
だが――
「……聖なる光よ、癒しの加護を与えたまえ……」
ソフィアの口から紡がれる詠唱は、棒読みだった。
抑揚がなく、まるで文字をただ音声に置き換えているだけのよう。
それでも展開された魔方陣は、驚くほど整っていた。
床に浮かび上がった幾何学の光は、ゆらぎ一つなく、美しいほど正確に組み上がっている。
――ただし。
「……おっそ」
誰かが小声で呟いた。
確かに、発動が遅い。
魔方陣が完成してから効果が現れるまで、妙な間がある。
光は確かに収束し、治癒の力は対象へ向かっているのに――決定的な速度が足りない。
生徒たちは一様に首をかしげる。
「きれいだけど遅い」「なんかもったいない」
しかし。
(……やっぱり)
イリス=ノエルの胸中は、違う色を帯びていた。
(あの人の詠唱……言葉と魔方陣が、ほんの少しずれてる。普通なら神意に祈りを重ねるとき、呼吸と詠唱と光がぴたりと合うはず……でも、あれは……)
彼女の視線は鋭く、ソフィアの表情を射抜く。
そこにあるのは――祈りの姿ではなかった。
額に浮かぶ汗は焦燥のせいではなく、まるで複雑な計算を続けているときのもの。
瞳の奥に宿る光は、信仰の敬虔さではなく、未知を解析しようとする研究者の冷たいきらめき。
ソフィアは心の中で必死に思考していた。
(治癒魔術って……ほんとに大変。対象の細胞一つ一つを意識して、魔力で流れを整えなきゃ……。えっと、血管と神経を同時に補強して……魔方陣の維持と詠唱を合わせて……)
彼女は懸命に理屈を積み上げている。
だがそれは――誰よりも神に頼るべき治癒魔法の場で、最も異質な姿だった。
(……信仰のかけらもない)
イリスの心は静かに冷えていく。
“本物の信仰”と、“偽りの信仰”の差を。
隣では、クレアが笑顔で手を振りながら声を上げていた。
「すごーい! ソフィアってやっぱ新入生代表だね! めっちゃきれいだし、ちゃんと癒えてるし!」
教室の雰囲気は、次第に「遅い」という違和感よりも「きれい」という評価に傾いていく。
その空気をつくっているのが、クレアだとイリスはすぐに理解した。
(……また、あの子が邪魔をする)
ちら、と視線を送ると、クレアはにっこりと微笑み返してきた。
――あまりにも自然に。
だが、イリスには分かる。あれは“意図的”だ。
(ソフィア=エインズワース。あなたはいったい、何者なの……?)
イリスは机の上で拳を握りしめた。
(必ず見抜いてみせる。……たとえ、周りがどれだけごまかそうとしても)
授業の鐘が鳴る中、少女の静かな決意だけが揺らめいていた。
チャイムが鳴り、ざわざわと生徒たちが席を立ち始める。
イリス=ノエルは、机に手を添えたまま深呼吸をした。
(……今なら、聞ける)
胸の奥で繰り返す疑念を、ついに口にしようと――彼女は席を立ち、迷いなくソフィアの元へ歩み寄った。
「――ソフィアさん」
その声に、ソフィアはきょとんと顔を上げる。
途端に、隣にいたクレアが一歩前へ出た。
「おっ、イリスちゃ~ん! どしたの? ソフィアに用事?」
妙に軽い声音。けれど、それはまるで意図的に“壁”を作るような滑らかさだった。
「ええ。少し……話を」
イリスは臆さず視線を向ける。
だがクレアはぱっと笑顔を広げて、彼女の言葉を遮った。
「いや~ごめんね! このあとソフィアと私、ちょっと一緒に行くとこあるんだ~! また今度でもいい?」
「……っ」
イリスの眉がわずかに動く。
クレアは悪びれる様子もなく続けた。
「イリスちゃん、優等生だから授業のこととか色々話したいんでしょ? ソフィアもまだ慣れてないからさ、気ぃ遣っちゃうと思うんだ。ね? ソフィア」
突然振られて、ソフィアはこくんと頷いた。
「そうだね…」
それ以上、イリスは踏み込めなかった。
わずかに唇を噛みしめて踵を返す。
残された二人を見つめる視線は、柔らかな笑みの裏に強い疑念を宿していた。
(……あの子、やっぱり何か隠してる)
人目を避けて廊下の片隅に移動したソフィアとクレア。
ようやく空気が落ち着くと、クレアは眉を寄せて小さく息を吐いた。
「零様……。あの方、イリス=ノエルと仰います。黎明の神の司祭の孫にございます」
「司祭の……孫」
ソフィアは目を瞬かせる。
「はい。信仰に関しては同世代の中でも特に厳格。幼い頃から祈りと詠唱に囲まれて育った方です。……だからこそ、零様の“違和感”に気付かれるのが早いかもしれません」
クレアの声音には、わずかな緊張が滲んでいた。
「……あまり詮索されると、危険かもしれません」
そう言い切ると、彼女は一瞬言葉を止め、頬を赤らめながら視線を逸らした。
「あの……それと」
「ん?」
「ほんとに……前の口調でよろしいのでしょうか? あんなに軽い感じで……零様に話しかけているのですが……」
その声音には、恥じらいと戸惑いが入り混じっていた。
ソフィアは一拍置いて、ふっと微笑む。
「いいよ。その方が楽だから」
その何気ない一言に、クレアの肩から少し力が抜ける。
けれど同時に、胸の奥で小さな温かさが芽生えるのを感じていた。
「……承知しました。では、これまで通りに」
クレアは小さく頭を下げる。
そして二人は、何事もなかったかのように再び歩き出した。
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