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現代フィレンツェ(フローラ・デ・メディチ)

 

 今日も店は賑わっている。

 観光客の来店が途絶えることはなく、我先にと商品に群がり、目当てのオーデコロンやスキンケア、石鹼やボディケア製品を買い求めている。

 薬剤師として働くフローラ・デ・メディチは応対に追われていたが、疲れはまったく感じていなかった。

 壁に飾られている代々の経営者の写真が誇りと緊張感を与えてくれているからだ。

 なにしろここは世界最古の薬局であり、そんじょそこらの薬局とはわけが違う。

 歴史と伝統による品格が唯一無二の存在に押し上げているのだ。

 だから、店で働く者たちは背筋をピンと伸ばして、顎を引いて、穏やかな笑みを湛えて、上品に応対することが身に着いている。

 もし横柄な態度やおもねる(・・・・)ような応対をしようものなら即座に厳しい指導が飛んでくる。

 店の品格に合わない行動は許されないのだ。


 少し客が減ってきた。

 来店のピークが過ぎたようだ。

 フローラは息抜きを兼ねていつものように店内を巡回し、いつもの場所で立ち止まった。

 小さなミュージアムだ。

 かつて製造所や倉庫として使われていた場所には歴史的な製造道具や機械たちが展示されていて、見つめる先には大昔のフラスコがあった。


 視線を移すと、今では見ることのない古い(はかり)やアンティークな陶器などが誇らしげに並んでいる。

 これで薬の成分を量って調合に用いたのだろう。

 この棚を見ていると、大先輩たちの働く姿が瞼に浮かんでくる。


 この薬局は修道士たちによって栽培された薬草を院内の医務室で使うために薬や香油、軟膏などに調合をしたのが起源とされている。

 それが1221年というから800年という長い歴史が刻まれていることになる。

 その後、一般向けの薬草店として営業を開始するようになったのが1612年で、それからでも400年の時を刻んでいる。

 その間にはフローラの祖先もかかわりを持ったようで、そのことを祖母から何度も聞かされた。

 メディチ家の栄枯盛衰と共に。


 メディチ家の隆盛はローマで金融業を営んでいたジョバンニ・デ・メディチが1397年に故郷フィレンツェに本拠を移した時から始まった。

 メディチ銀行が創設されたのだ。

 ローマ教皇庁が最大の顧客であったため、その信用を基にローマ、ナポリ、ヴェネツィアと次々に支店を開設し、繁栄の礎を築いていった。


 更に、大富豪となったジョバンニは財と名声を利用して市政に関与するようになり、それは息子のコジモ、孫のピエロ、更にその子孫にまで引き継がれ、メディチ家はフィレンツェを実質的に支配するまでになった。

 それだけでなく、高い教養を身に着けたメディチ家の当主たちは、その財力をバックに芸術を保護するパトロンとしても存在感を高めていった。

 特にロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチはボッティチェリやミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの芸術家を支援し、ルネサンスの興隆を後押しする存在となった。


 その後もトスカーナ大公として栄華を誇ったメディチ家が王家御用達精錬所の称号を与えたのがサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局だった。

 それだけでも名誉なことだったが、更に名声を高めたのがフランス王家のアンリ2世に嫁ぐカテリーナ・デ・メディチの嫁入り道具として『王妃のアックア・デッラ・レジーナ』を製品化したことだった。

 それはカテリーナによってフランスで大々的に広められ、その貴重な香りが女性たちを魅惑した。

 それだけでなく、彼女は食文化にも大きな影響を及ぼし、イタリアの優れた料理技術をフランスに移転する役割も果たした。

 更に、政治の世界でも力量を発揮し、国王や長男の死去に伴って王位に就いた幼い子供を支えるために、摂政(せっしょう)として30年に渡ってフランスを統治した。


 しかし、栄枯盛衰は世の常であり、メディチ家もその例にもれず衰退の道をたどることになる。

 18世紀に断絶したのだ。

 栄華を誇ったメディチ家はこの世から姿を消したのである。

 それでも、イタリア各地に移り住んだ系列のファミリーは今もその血筋を繋いでいる。

 その末裔(まつえい)に繋がっているのが、フローラなのだ。


 ところで、フローラが勤めるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局はフィレンツェ以外にも世界各地で店舗を展開している。

 イタリアの主要都市に加えて、フランス、スペイン、ベルギー、イギリスに店舗を構えるにとどまらず、アメリカ、台湾、韓国、タイ、フィリピンなどへも進出している。

 もちろん、日本にも旗艦店となる銀座店など複数の店舗を置いている。

 そのせいもあってか、日本人観光客の来店も多い。

 そのため、日本語のパンフレットを用意しており、ほぼA3サイズのそれは表が商品リストになっていて、裏には薬局の歴史が記されている。


 突然、責任者から呼ばれた。

 日本人客への応対依頼だった。

 急いでカウンターへ向かうと、そこには中年の日本人女性が二人立っていた。

 丁寧に挨拶をしたのち、それぞれにパンフレットを渡した。


「高品質な天然原料に拘って製品を作っております。その製造方法は修道士たちが築き上げた伝統的な手作りの技と製法を現在に継承したものです。そして、薬草調合から始まった製品開発は時代と共にラインナップを広げて、多種多様な製品を取り揃えるまでになりました。こちらにありますように『古くからの調合品』『リキュール』『オーデコロン』『香水』『ピュアエッセンス』……」


 一通り製品説明をしてからパンフレットを裏返した。


「こちらで薬局の歴史をご紹介しております。800年にも渡る時の流れを感じていただければ幸いです」


 パンフレットを持つ二人は共に目を大きく開けて、フローラを見つめていた。

 それは今まで応対してきた日本人に共通する反応だった。

 日本語の余りの上手さに驚いているのだ。


「日本に住んでいたの?」


 背の高い方の女性が、そうに違いない、というような口調で訊いてきた。


「いえ、一度も行ったことはありません」


 すると、あら、というような表情を浮かべた背の低い方の女性がフローラの顔をまじまじと見つめた。


「もしかして、お父様かお母様が日本人?」


「いえ、二人ともイタリア人です」


「じゃあ、どこで日本語を勉強したの?」


 背の高い方の女性が畳みかけてきたので、「ビデオです」と答えると、小さな頃のことが鮮やかに蘇ってきた。


 フローラの父親はファッション関係の会社を経営しており、生地の素晴らしさに惹かれて毎年のように日本に出張していた。

 その度にお土産として色々なものを買って帰るのだが、フローラが一番喜んだのはアニメのビデオで、可愛いお人形さんのような女の子が出て来るビデオが大のお気に入りになった。

 なかでも『美少女戦士セーラームーン』には夢中になり、『月野うさぎ』はアイドルを超えた存在になった。

 だから、セーラームーンの衣装と『ムーンスティック』を父親にねだった。

 月野うさぎに成り切りたかったのだ。


 願いはクリスマスの日に叶えられた。

 目が覚めると、ベッドの横のテーブルに包み紙が置かれていて、それを開けると、死ぬほど欲しかったものが現れた。

 フローラは大きな声を上げて両親の寝室に走って行き、ベッドにダイブして二人に抱きついた。


「月に代わっておしおきよ!」


 ポーズをとったフローラの声を一日に何度も聞かされることになった両親だったが、その度に大きな拍手をするのを忘れなかった。

 娘が日本語に興味を示して喋ろうとしていることが嬉しかったのだ。


「ご存知! 愛と正義のセーラー服美女戦士セーラームーン!」とスラスラ言えるようになった時は父親に抱え上げられて両頬にキスの嵐が降ってきた。

 この子は天才に違いないと狂喜乱舞してくれた。


 嬉しくなったフローラはもっと日本語が喋れるようになりたいと勉強に励むようになり、大学在学中にローマで実施された『日本語能力試験』で『N1』に認定されるという快挙を成し遂げるまでになった。

 N1は最も難しいレベルであり、認定されるためには幅広い場面で使われる日本語を理解する必要がある。

 新聞の論説や評論などを読んで理解することや、自然なスピードで会話をすることなどが求められるのだ。

 つまり、ネイティヴの日本人と変わらない日本語能力が身に着いているかどうかが試されることになる。


 そんな超難関の試験だったが、フローラは1回で合格を勝ち取った。

 本人はもちろん嬉しかったが、両親の喜びようはそれを超えていた。

 そのせいか、父親は最高のプレゼントを用意してくれた。

 大学を卒業する年に日本へ行かせてあげると言ったのだ。

 今度はフローラが狂喜乱舞した。

 父親の首にしがみついて両頬にキスの雨を降らせた。


 しかし、そのご褒美が実現することはなかった。

 フローラが卒業する年に日本を襲った大災害が原因だった。

 東日本大震災。

 そして、福島での原発事故。

 放射線被害を恐れた日本在住のイタリア人が続々と帰国していた。

 そんな中で日本に行くことはできなかった。

 苦境に陥った日本人を励ましたいと願う気持ちは強かったが、断念せざるを得なかった。


 憧れの日本が遠ざかっていくような気がして、かなりの間、気分が落ち込んだ。

 それでも、この薬局で日本人観光客の応対をするようになって元気を取り戻した。

 日本人観光客の役に立つことは日本を間接的に支援することだと思うようになったからだ。

 それ以来フローラの顔から笑みが消えることはなくなった。



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