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ニューヨーク(I have a dream、Yes we can)

 

「遊びにおいで」


 スマホから聞こえてきたのはルチオ・ボッティの声だった。

 今日は孫が家に居るし、店も休みだからお茶でもどうかと弦を誘う電話だった。


 第3月曜日だった。

 そして、祝日だった。

 アフリカ系アメリカ人の公民権運動に尽力し、ノーベル平和賞を受賞した人の記念日だった。


 その人は遊説中のメンフィスで銃撃を受けて倒れた。

 犯人は白人のならず者だった。

 病院に運ばれたが、39歳という若さで帰らぬ人となった。


 その人はキング牧師と呼ばれていた。

 マーティン・ルーサー・キング・ジュニアというのが本名だった。


「I have a dream」


 弦は声に出して、彼の有名な演説をなぞった。


「私には夢がある」


 日本語で呟いた時、中学校で教えを受けた英語教師の顔が思い浮かんだ。

 英語を通じていろんな事を教えてくれた先生であり、キング牧師のことも彼から教わった。

 アメリカに根強く残る人種差別についてもそうだった。

 彼はキング牧師の夢は必ず実現すると言っていた。

 多くの生徒は半信半疑だったが、彼の言うことは正しかった。

 キング牧師が暗殺されてから約40年後にアフリカ系アメリカ人の大統領が誕生したのだ。

 その人の名はバラク・オバマ。

 彼の就任演説の日、テレビにかじりついて一言一句を追い続けた弦は感動で胸がいっぱいになった。

 涙を止めることができなかった。

 それは、会場に集まった人達も同じように見えた。

 多分、世界中の視聴者も同じだろうと思った。

 人々は完全に魅了されていた。

 いや、そんなレベルではなかった。

 凄まじいインパクトを受けていたに違いなかった。

 そのことを思い出すと、すぐにあの言葉が蘇ってきた。

 それはすべての人に勇気を与え、明るい未来を信じることができる言葉だった。


「Yes we can」


 声に出さずにはいられなかった。


「私たちはできる」


 日本語で呟いて、頷いた。


 しかし何を? 


 急に不安になって自らに問いかけたが、答えはどこを探してもみつからなかった。

 この言葉は目標があって初めて人に力を与えるものなのに、自分にはそれが見当たらないのだ。

 父親が敷いたレールの上を走るだけの人生に大きな目標などあるはずがなかった。

 ミュージシャンになるという秘かな夢を持ってはいたが、それは夢のまま終わる可能性が高かった。

 だから、「I have a dream」も「Yes we can」も自分事として受け止めることはできなかった。

 そんなことよりも目の前のピンチを脱することに集中しなければならなかった。

 早くバイトを見つけなければならないのだ。

 それができなければ生活に支障を来す事態に陥るのは目に見えている。

 今は大きな夢より日々の暮らしの方が優先なのだ。


 でも、そんなことでいいのだろうか? 


 声に出して自問したが、いいはずはなかった。

 なかったが、父親が敷いたレール以外の道を歩く勇気も力もなかった。


 どうしようもないよな……、


 思わず呟いた言葉が嘲笑(ちょうしょう)のマントを纏って弦の目の前に浮かんだ。そして、バカにしたように(あざけ)った。


 所詮、その程度だよ。


 ムカついた弦はパンチを見舞ったが、見事なウィービングで簡単に避けられてしまった。


 無理、無理。お前には無理。


 小ばかにしたような笑みを浮かべた瞬間、姿が消えた。

 呆気(あっけ)に取られてしばらくボーっとしていたが、それでもなんとか気を取り直して、服を着替えて、部屋を出た。


 ルチオ・ボッティの店に向かって真っすぐに歩き始めたが、ふと足を止めて、行き先を変えた。

 イーストヴィレッジへ行って、手土産を買おうと思いついたのだ。

 アメリカ人にとって大事な祝日に店を開けているところはほとんどなかったが、日本人がオーナーのあの店なら開いているかもしれないと期待して、大きな通りを一目散に走った。


 角を曲がると、赤と白に塗り分けられたシェードが見えた。

 開いていた。

 期待した通りだった。

 喜び勇んで中に入ると、いつものように日本オリジンのパンが並んでいた。

 あんパン、ジャムパン、カレーパン、メロンパン、総菜パン。

 それを二個ずつ買って、ルチオの店に急いだ。



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