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あなたの色は何色ですか?

世界は、目に見えるものだけが全てではないのかもしれない。少なくとも、私、望結にはそう思える。

生まれた時から、人の周りにぼんやりと色が見えていた。最初はそれが当たり前の景色だと思っていたけれど、ある日、ママに「ママの周りがピンク色だよ」と何気なく言った時、ママは不思議そうな顔をした。「え、見えないよ?」と。その時初めて、この色が見えるのは私だけなのだと知った。

それからというもの、私の小さな瞳は、人々の感情が織りなす色を探すようになった。嬉しい時はふわりと明るい色、悲しい時はどんよりとした灰色。まるで、心模様がそのまま空気中に滲み出ているみたいで、言葉よりもずっと雄弁に、その人の内側を語っていた。

小学校に入って、色ノートを作るようになった。今日会った人の色、その時の出来事、感じたことを秘密の宝物のように書き留めていく。ノートはいつの間にか何冊にもなり、私の成長とともに、見える色の種類も、その意味合いも、少しずつ深く、複雑になっていった。

そんな私の日常は、ある日突然、小さな事件によって変わる。そして、小学生の時に一度だけ出会った、不思議な男の子との再会。彼の周りには、あの時も、そして今も、何の色も見えない。

色鮮やかな感情が飛び交う世界で、ただ一人、色彩を持たない彼。一体、彼の心にはどんな秘密が隠されているのだろう?

これは、特別な力を持つ私が、見えない色を追いかけ、人々の心の奥深くへと分け入っていく物語。そして、自分にとって本当に大切な「色」を見つけるまでの、少し不思議な冒険の記録。さあ、あなたには、どんな色が見えるだろうか?

産まれた時から人のオーラを見ることが出来る望結は、小学三年生になった今でも、その特別な力を誰にも理解してもらえずにいた。

そんなある日ママに具体的に色のことを言ってみることにした。


「ママ何か良いことあった?」

朝食の席で、望結は母の美空に尋ねた。美空の周りが、いつもよりふんわりと明るい淡いピンク色に輝いている。


「あら、何でわかったの?」

美空は、トーストにバターを塗りながら、少し驚いた顔で娘を見た。


「ママの周りの色が、いつもよりピンク色だから」

美空は、娘の言葉の意味をすぐに理解できなかった。


最近、望結は時々、そんな不思議なことを言うのだ。

「あらそうなの。望結は感情を色で見えるのかな?」


半信半疑で尋ねると、望結は真剣な眼差しで頷いた。

「うん、ママを取り巻くように色がボヤって見えるの。嬉しい時とか、楽しい時とかに見える気がする。パパはね、良いことがあると水色なんだ」


「パパは水色なのね。人によって色が違うのね」

美空は、興味深そうに言った。まさか本当に感情が見えているとは思い難かったが、娘の言葉には嘘がないように感じられた。


「うん。でもね、落ち込んでる時とか、悲しい時は、ママもパパも色は一緒だよ」

望結は少し声を落として言った。


「灰色に見えるの。どんよりしてて、あんまり見たくない色」

美空は、娘の言葉に少し胸が締め付けられた。灰色。それはきっと、大人も子供も同じように感じる、重苦しい感情の色なのだろう。

「じゃあ、その人の基本的な色はあるけれど、気持ちが暗くなるにつれて、だんだん黒に近づくってことなのかな?」


美空が問いかけると、望結は首を傾げた。

「うーん、みゆにはまだよくわからない」


「そっか。なら今度から、どんな時にどんな色が見えるか、こっそりメモしてみると良いよ。それをずっと続けていけば、色の違いや、気持ちとのつながりがもっとよくわかるようになるかもしれないし」


美空はそう言って、戸棚から新しいノートを一冊取り出した。

「これに書いていくといいよ。誰にも見られないように、秘密の宝物みたいにね」


望結は、その淡い黄色の表紙のノートを両手で受け取った。少し照れたように笑って、

「わかった。今日から書いていくね」


その日から、望結の小さな冒険が始まった。家族の、そして街で見かける人々のオーラの色を、誰にも気づかれないようにそっと観察し、ノートに書き留めていく日々。


嬉しいピンク、穏やかな緑、怒りの赤、悲しみの灰色。そして、人それぞれに違う、個性的な色の輝き。


望結はまだ知らない。自分が持つこの特別な力が、これから様々な出会いや発見をもたらし、彼女の人生を彩っていくことを。そして、いつかこの力が、誰かの心をそっと照らす光になることを。


小さな胸に、秘密のノートと、色とりどりの感情を抱きしめて、望結は今日も世界を見つめている。彼女の瞳には、言葉にならない心の声が、鮮やかな色となって映し出されているのだ。


ある日の午後、望結は母の美空と近所のスーパーへ買い物に出かけていた。


「あ、あの人、淡いオレンジ色だ」

カートを押す美空の隣で、望結が通り過ぎる女性を指さして言った。


「そうなんだ。何か良いことでもあったのかな」

美空は、娘の言葉に慣れたように微笑みながら答えた。望結には、人の感情が色に見えるという不思議な力がある。最初は戸惑った美空も、今では娘の言葉を一つの情報として受け止めるようになっていた。


「あれ?あの子……」

スーパーのお菓子コーナーの前で立ち止まった望結が、少し困ったような声を上げた。


「どうしたのみゆ?」

美空が声をかけると、望結は一点を見つめたまま言った。


「あの男の子の色がわからないんだ」

望結の視線の先には、少し離れた場所にいる、自分と同じくらいの年の男の子がいた。男の子は、母親らしき女性と何か話しながら、棚に並んだお菓子を眺めている。


「みんなが見えるわけじゃないのかな?」

美空がそう問いかけると、望結は首を横に振った。


「ううん、そんなことないと思う。だって、他の人の色はちゃんと見えるもん。あそこのおじさんは緑色だし、そこのおばあちゃんは薄い黄色。なのに、あの男の子だけ、何にも見えないんだ」


望結は、目を凝らして男の子を見つめた。いつもなら、その子の周りに何かしらの色のオーラが見えるはずなのに、今日はまるで透明なベールがかかっているように、何も感じ取ることができなかった。


「不思議ね……」

美空も、娘の言葉に少し考え込んだ。望結の力は、まだ解明されていないことばかりだ。見える人、見えない人がいるのかもしれない。


「もしかしたら、すごく集中して何か考えている時とかは、見えにくくなるのかしら?」

美空が推測するように言うと、望結はうーん、と考え込んだ。


「わからない。でも、他の集中してる人も、色は見える時があるもん」

望結は、初めての経験に少し戸惑っていた。今まで、人のオーラが見えないなんてことは一度もなかったからだ。


「ねぇママ、あの男の子、もしかして特別なのかな?」

望結は、不思議そうな、そして少しだけ興味を持ったような表情で、まだお菓子を選んでいる男の子を見つめていた。美空は、娘の問いかけに優しく微笑んだ。


「さあ、どうかしらね。でも、みゆにとって初めての経験だってことは、きっと何か意味があるのかもしれないわね」


二人は、その男の子から目を離し、再び買い物を始めた。しかし、望結の心には、見えないオーラの男の子のことが、小さな引っかかりのように残っていた。一体、あの男の子には、どんな感情が隠されているのだろうか?なぜ、自分には見えないのだろうか?


その日の望結は、いつもより少しだけ、周りの人々を注意深く観察しながら帰路についたのだった。


小学6年生になった望結の部屋の本棚には、背表紙の色とりどりなノートがずらりと並んでいた。表紙にはそれぞれ「色ノート1」「色ノート2」といった具合に数字が振られている。


「かなりノート溜まったわね」

美空が、望結の机の隅に積み上げられたノートを見ながら、感慨深げに言った。


「うん、もう6冊目だよ」

望結は、新しいノートを開きながら答えた。小学3年生から毎日欠かさず続けてきた、色ノートの記録。今日学校で会った友達、通学路で見かけた人、近所のお店の店員さん。その日の出会いを思い出しながら、彼らの周りに見えた色、その時の雰囲気や会話などを細かく書き留めてきた。


嬉しい時には明るい黄色、頑張っている時には燃えるような赤、考えている時には深い青。ノートの中には、様々な感情と色が結びつけられていた。美空も時々、望結のノートを覗き見ては、その繊細な観察眼に驚かされることがあった。


しかし、何冊ものノートを重ねても、どうしても気になる存在がいた。小学3年生のあの日、スーパーで出会った、オーラの色が全く見えなかった男の子だ。


「あの時の男の子、結局あれ以来一度も見かけないね」

美空が、ふと思い出したように言った。 


「うん……」

望結は、ペンを持つ手を止めた。あの時、他の大勢の人の色は見えたのに、あの男の子だけが透明だったこと。そのことが、ずっと心に引っかかっていた。

(どうして、あの男の子の色だけ見えなかったんだろう?)


ノートには、様々な色の記録とともに、時折「色が見えない人」という項目で、その男の子のことが書かれている。出会った場所、時間、服装。覚えている限りの情報を書き連ねているけれど、それ以上のことは何もわからなかった。


望結にとって、人の感情は当たり前のように色を伴うものだった。だからこそ、色が見えない人がいるという事実は、彼女にとって大きな謎だった。

(もしかしたら、本当に特別な人だったのかな?)


あれから三年。望結のオーラを見る力は、少しずつ成長しているように感じた。以前はぼんやりとしか見えなかった色の濃淡や、感情の移り変わりによる色の変化も、より鮮明に感じ取れるようになっていた。それでも、あの男の子の色だけは、今もって謎のままだった。


いつか、また会えるだろうか。その時、彼の周りにはどんな色が見えるのだろうか。それとも、やはり何も見えないままなのだろうか。


望結は、まだ白紙の新しいページにペンを走らせた。今日出会った人々の色を記録しながら、心の片隅で、見えない色の少年を思い出していた。彼女の特別な力は、まだ解き明かされていない、不思議な世界への扉を開こうとしているのかもしれない。


そんな物騒な噂が近所で囁かれるようになってから、美空は娘と二人で出かける際、いつも以上に周囲を警戒するようになっていた。通り魔事件。幸いなことにまだ大きな怪我人は出ていないようだったが、服を切り裂かれたり、カバンを奪われたりといった被害が報告されていた。


ある日の午後、望結と美空はいつものスーパーへ買い物に出かけた。帰り道、少し近道になる人通りの少ない路地に差し掛かったその時だった。


「ママ……」

前方から歩いてくる一人の中年の男性を見た望結が、 小さく息を呑んだ。その声は、いつものように色のことを話す時の、好奇心に満ちたものではなかった。明らかに、何か異質なものを感じ取っている。


「どうしたの、みゆ?」

美空が心配そうに娘の顔を覗き込むと、望結は小さな声で、しかしはっきりと告げた。


「前から来る人……色が、黒い」

え? 美空は思わず、前方からゆっくりと近づいてくる男性を凝視した。黒い、とはどういう意味だろうか。不気味なほど陰鬱な雰囲気をまとっている、ということだろうか。本能的に危険を感じた美空は、咄嗟に肩にかけていたショルダーバッグを体の前、壁側に移動させた。


男性は、こちらに気づいているのかいないのか、表情を変えることなく歩いてくる。心臓がドキドキと早鐘のように打ち始めた。美空は、娘の手をしっかりと握りしめた。


緊張が最高潮に達したその瞬間、男性が二人のすぐ隣を通り過ぎようとした時だった。鋭利な何かが布を裂くような、嫌な音が響いた。


「キャー!」

美空の悲鳴が、静かな路地に響き渡った。スカートの後ろが、 鋭利な刃物で切り裂かれていたのだ。


その悲鳴を聞きつけたのか、近くの家の窓が開き、数人の住人が慌てた様子で घरから出てきた。通り魔だ!という叫び声も聞こえた。


黒いオーラをまとっていた男性は、その騒ぎに気づくと、顔色を変えて慌てて走り去っていった。


しばらくして、サイレンの音が近づき、数名の警察官が現場に到着した。美空は、震える声で事件の状況を説明した。スカートを切られたこと、犯人の逃走方向などを話したが、望結が言った「色が黒い」という言葉は、混乱を避けるために敢えて口にしなかった。


「お嬢ちゃんは、何か見ていませんでしたか?」

一人の警察官が、しゃがみこんで望結に優しく問いかけた。望結は、少し怖がりながらも、しっかりと顔を上げて答えた。

「はい。犯人の人は、背が高くて、青いジャンパーを着てて、頭には白い帽子を被っていました。それに、目がすごく細くて、怖い顔をしていました」

日頃から街ゆく人々を注意深く観察している望結は、犯人の特徴を驚くほど的確に伝えた。その詳細な説明に、警察官たちは感心した様子だった。 


後日、美空と望結は警察署に呼ばれ、捜査協力として犯人のモンタージュ写真の作成に立ち会った。望結の記憶に基づいた情報が伝えられ、次第に犯人の顔が明らかになっていく。美空は、娘の特別な力が、思わぬ形で事件解決に繋がるかもしれないと感じ、複雑な思いを抱いていた。望結の言葉を信じていれば、もっと早く危険を察知できたかもしれない、という後悔の念も、心の片隅にわずかに残っていた。


数週間後、美空の携帯電話が鳴った。警察署からの連絡だった。先日発生した通り魔事件の犯人が、無事逮捕されたという知らせだった。犯人の特徴は、望結が証言した内容とほぼ一致しており、モンタージュ写真が決め手になったとのことだった。


そして、警察署長名で望結に感謝状を贈りたいという申し出があった。美空は、娘の特別な力が人の役に立ったことを喜びながらも、複雑な気持ちだった。あの時、「黒い」と教えてくれた望結の言葉を、もっと真剣に受け止めていれば、と今でも思うことがあった。


感謝状を受け取ったあの日から、また月日が流れ、望結は春から中学生になった。真新しい制服に身を包み、少し緊張した面持ちで中学校の門をくぐる。


校門の前には、同じように期待と不安を抱えた新入生たちが集まっていた。色とりどりのランドセルから、真新しいスクールバッグへと持ち物が変わり、少し大人びた表情の子もいれば、まだあどけなさを残す子もいる。望結の目には、様々な色のオーラが飛び込んできた。希望に満ちた明るい黄色やオレンジ、少し不安げな薄い水色、新しい生活への決意を感じさせる力強い緑色。


そんな雑踏の中、ふと、望結の視線が一人の男の子に釘付けになった。


校門の脇の木陰に、少し所在なさげに立っているその男の子。見覚えがあった。小学3年生の時、スーパーのお菓子コーナーで出会った、あの色の見えなかった男の子だ。


あの日と変わらない、整った輪郭。少しだけ伸びたけれど、面影のある顔立ち。周りの生徒たちには、それぞれ何かしらの色のオーラが見えるのに、彼の周りには、あの時と同じように、何も見えなかった。まるで、透明なヴェールで覆われているかのようだ。

(やっぱり、あの時の男の子だ……どうして、今も色が見えないんだろう?)


小学校とは違う、新しい環境。初めて出会うクラスメイトたち。期待と不安が入り混じる中学校生活の始まりに、望結は、再会した不思議な男の子の存在が、小さな波紋のように心に広がっていくのを感じていた。


これから、彼とどんな関わりを持つことになるのだろうか。そして、彼の見えない色には、どんな秘密が隠されているのだろうか。望結の、新たな色探しの物語が、静かに幕を開けようとしていた。

この物語を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

望結という、少し特別な力を持った少女の目を通して、人の感情が持つ多様な色、そして目には見えないけれど確かに存在する心の繋がりを感じていただけたなら、とても嬉しく思います。

望結にとって、人のオーラの色を見ることは、まるで言葉が通じなくても相手の気持ちを理解できるような、そんな不思議なコミュニケーションの手段でした。しかし、その力が時に彼女を悩ませ、また、思わぬ出来事を引き起こすこともありました。

物語の中では、望結が出会う人々、家族、そして再会した色の見えない少年との関わりを通して、感情の複雑さ、そして一人ひとりが持つ個性という名の色の違いを描こうと試みました。同じ「嬉しい」という感情でも、人によって見える色が違うように、私たちの心のあり方もまた、千差万別です。

色の見えない少年との出会いは、望結にとって大きな問いかけとなりました。見えるものだけが全てではない。見えないからこそ、深く知りたくなるものがある。そんなメッセージが、彼の存在を通して伝わっていければ幸いです。

この物語が、あなたの心の中にある、まだ見ぬ「色」に気づくきっかけとなり、周りの人たちの感情をより深く理解しようとする優しい気持ちを育む一助となれば、作者としてこれほど嬉しいことはありません。

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