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 その後、家に着くまでの間、私と雨君はずっと言い合いをしていた。


 『中の雨』君の言葉には裏表が無い。思った事を真っ直ぐそのまま伝えてくる。それは悪い事では無い・・・のだけれども・・・。


 周りの人が言わない事も、言ってくれる。それは、自分では気づけない事を気付かせてくれるのだから、ありがたい事。ただ、聞いているととても傷付く。周りの人々が、私を傷付けない為にオブラートに包んでくれているのだという優しさを再確認出来てしまう。


 嫌だなぁ。いつもの雨君ならこんな事言わないのに。


 雨君は優しい。いつも私の気持ちを先回りして考えて、私を笑顔にしてくれる。話していると暖かい気持ちになる。一緒に歩く時は、いつも手を繋いで歩調を合わせてくれる。


 それが、今はどうだろう。荷物は全部持ってくれているが、先に立って私を置いて行ってしまう。


 私と雨君では、雨君の方が背が高い。だから足も長い。同じ歩数なら雨君の方が早く進む。私は小走りで追い掛ける。追い付くと、疲れて歩く。また距離が開く。また走る。その繰り返しにどんどん悲しくなって来る。


「雨君早い」


 そう言うと、雨君は立ち止まって振り返る。


「あ?別に普通だよ。早く来い」


 そう言ってまたさっさと行ってしまう。また距離が開く・・・。


 視界が滲んだ。


 あーあ、やだなぁ。こんな事で泣くなんて。


 私は涙を我慢して、雨君を追い掛け続けた。



 家に着き、鍵を開けて中に入ると、雨君は私に荷物を渡してそのまま帰ろうとした。


「え?待ってよ。上がってって」


 私はそう言って雨君の服を掴んで引っ張った。


「帰るよ。どうせ朝まで司に戻らないんだから自分家で寝る」


「やだ。1人にしないでよ。せめてご飯食べて行って。材料無駄になっちゃう」


 お願い、と必死に引き留める私に、雨君は溜息を吐きながら「メシだけな」と言って上がってくれた。


 私はすぐに支度を始める。早炊きでお米をセットし、キャベツとキュウリを千切りにしてトマトをカット、玉葱をスライスし、生姜を皮ごと擦りおろす。


 私が作業をし始めると、雨君はちゃんと手洗いうがいをしてドカッとソファに座り、テレビを付けた。


 ホッとして、そして私は雨君に聞いた。


「何で、入れ替わったの?」


「あ?」


 テレビ画面では、グルメ系の情報番組が流れている。雨君はその画面を眺めながら聞き返した。


「今日。何が理由で入れ替わったの?会社で何かあった?」


 雨君にとって辛い事があった時、2人は入れ替わってしまう。雨が降っていると、それは些細な事でも起こってしまうが、今日は一日中曇りだった。相当な心のダメージがあったのだろう。


「ああ、ちょっとな・・・」


 答え辛そうに言い淀む雨君。


「会社で虐められてるの?」


 ハラスメントと名前を変えた虐めの様なものは、社会に出てからも無い訳ではない。まさか大人になった今でも名前で何か言われるという事は無いだろうけど、雨君は優しく気弱で、言い返す事が出来なそうだから心配だ。


「会社は関係ない。外でちょっとあった。気にしないでいい」


「・・・気になるけど」


「・・・君に知られる事を司は嫌がる。だから言わない」


「・・・」


 簡潔に教えてくれる雨君。でも、何だかそれは・・・。


 まるで仲間外れにされているみたいだった。心に小さな棘が刺さる。嫌な気分。


 小鍋にお湯を沸かし、簡単に出汁を取る。洗ったなめこと賽の目に切った豆腐を入れて味噌を溶かした。フライパンに油を引いて生姜と玉葱を炒める。豚肉も入れて調味料で味を付ける。


「雨君に、逢いたい・・・」


 呟きながら、使い終わった調理道具を洗っていく。


「・・・言われなくても分かってるよ」


 テレビを見たままで答える雨君。必要最低限の会話は、まるで倦怠期の恋人同士みたい。


 洗い物が終わり、ひと段落ついて、私は雨君の側に行った。ソファの後ろから雨君の頭に抱き付く。私の家のシャンプーと整髪料の匂いがした。雨君の体温を感じて心が安らぐ。


 例え中身が別の人でも、雨君は雨君だ。雨君の髪、雨君の肌。雨君の息が私の腕に掛かる。暖かい。側に居てくれる事が嬉しい。例え中身が『中の雨』君でも。


 雨君は嫌がらなかった。そのままでいる事を許してくれる。私はもう少し力を込めた。より近づく為に。ご飯が炊けるまで、私達はそのままでいた。



「美味いな」


 出来上がった夕飯を、雨君は凄い勢いで食べた。慌てたように食べるその様子は、いつもの雨君も『中の雨』君も変わらない。ビールも飲んで、おかわりもしてくれた。


「ゆっくり食べて。胃に悪いよ」


 私は苦笑いしてそう言った。


「ねえ、言ってもいい?」


 雨君の口の横に付いたご飯粒を取りながら私は言う。


「言うのは自由だろ?」


 ご飯粒を摘む私の指を見ながら雨君が言った。


「やっぱり一緒に棲みたい」


 前にも言った言葉。前に誘って、断られた願い。再び口にするには勇気がいたけど、ずっと一緒に過ごしたい、という気持ちは少しも減らない。減らずにどんどん膨らんで行く。


「駄目だ」


 前と同じ様に断られる。やっぱりな。そう落胆して溜息が出た。


「言ったろ?司に同棲は無理だ」


 雨君は、昔元カノと同棲していた。長く付き合って、お互いに納得して始めた同棲。でもそれは長く続かなかった。


 雨君の心が保たなかったのだ。


 大好きな彼女と一緒に過ごす時間が増えて、最初はお互い楽しく過ごせていたのだという。けれども、雨君は一緒の時が幸せであれば幸せである程、離れいる時間が不安になってしまったのだ。


 目の前に彼女がいない時、浮気をしているのではないかと疑い、少し帰りが遅いとそれだけで『中の雨』君になってしまう。


 休日に1人で出掛けると、友達と遊びに行くと、仕事仲間と飲みに行くと。梅雨でも無いのに『中の雨』君の時間がどんどんと増えて、最後の方はほぼ『中の雨』君だけになっていたそうだ。


 そして、彼女は出て行った。


 切ない話だ。好きならば好きな程に、近づき過ぎると潰れてしまう。


「それ、司に言うなよ。傷付くから。これからも通うよ。ご馳走様。帰る」


 雨君はそう言って立ち上がり、自分の荷物を持って玄関に向かう。


 あ、帰っちゃう・・・。


 私は箸を置いて雨君に駆け寄った。そして背中にしがみ付く。


「やだ」


 帰らないでという思いを込めて、私は頭を擦り付けた。


「・・・またかよ」


 溜息混じりの声が聞こえる。


「何もしなくていいから、一緒にいて。お願い」


 暫くそのままでいた。テレビの音が寂しげに家の中に響く。グルメ系の情報番組はいつの間にか終わり、番組の切れ目のニュースに変わっている。能面の様な顔のキャスターが、今日あった交通事故の情報を伝えていた。


 指先が震える。心が冷たくなっていく。体も冷たくなっていく。


 1人に、なりたく無い・・・。


 雨君は、諦めた様にお風呂に向かった。

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