3
12:30、私はバイト先に着いた。
駅から徒歩10分程のファッションアイテムの路面店。店長がセレクトしたメンズ、レディースの服や小物等々を並べてある。客層は様々。平日の昼は主婦層が多く、アフターファイブは学生から社会人、土日祝日は家族連れも見に来てくれていた。
「来た来た。二日酔いの酔っぱらい」
サッカー台から、肘を付いて私を細めで見る人が声を掛けてきた。店長である。
店長は今年で45になると言うが、とてもそうは見えない。美魔女?と言っても良いのだろうか。整えた眉と控え目な化粧と、強烈な香水。今日はランコムのポエムトレゾア。緩く巻いたカフェオレ色のロングヘアをサイドで纏めて横に流し、後毛をかき上げて耳に掛ける姿は、モデルや女優さんにも負けていない。とても美人だ。
でも性別は男性。しかしながらゲイという訳では無いみたいで、奥さんも今年小学生になる子供もいる。
「おはようございます。私は今日は、本当ならお休みなんですから、潰れてても問題ないですよね?」
私はそう言いながら、店長の正面に立ってニッと笑顔を作った。顔色の悪さを愛嬌でカバーする。
「そうだね、悪いのはエリちゃん。代打ありがとう」
店長はそう言って軽く頭を下げる。優しい表情。「ありがとう」という言葉に真実味を強く感じる。店長にこういう表情をされると、ちょっと無理してでも来て良かったと思ってしまう。
「早速なんだけど、コレ見てもらえる?」
そう言って店長は私にタブレットを手渡した。画面には個性的な夏物のメンズ服が並んでいる。先日お店に来た若手デザイナーの物だろう。
「もうすぐ届く新作。検品して出したいのに、エリちゃんに休まれると何も進まないのよね。代わりに来てくれて助かった。はいお礼」
画面を見ている私の頬に、瓶入りのドリンク剤を付けてきた。冷たさにビックリして肩が上がってしまった。
「変なのに引っかかって、悪い物飲まされたんでしょ?これ漢方。スッキリするから」
「・・・お見通しですね。ありがとうございます」
受け取って瓶のラベルを見る。中国語か何かなのか、読めるようで全然読めない。「何ですかコレ?」と呟きながら何の警戒心も無くそれを飲み干した。苦くて癖のある味が口の中に広がる。漢方だろうか。
店長はいい人だ。いい人で優しい人。深夜、家を飛び出して着の身着のままで盛場を彷徨っている小娘を保護して、仕事と住処の面倒を見てくれる程の。
『僕も若い頃は色々あったからね。ほっとけないんだ、そういう子供達の事』
そう言って手を差し伸べてくれた事を、私は一生忘れない。それはエリも、そしてもう1人のバイトの子も同じだと思う。
私は飲み終わった瓶に蓋をして一旦レジ横に置くと、タブレットの中の新作一覧を確認しつつ、お客様達の邪魔にならないようにこれから来る新しい商品を出すスペースを空けていった。そして店頭と店内のメンズのディスプレイも確認する。
店頭のディスプレイは、先週の始めに寒暖の差で調節しやすく過ごしやすい物に私が変えたものだった。まだ夏には早いが、見る人に印象付ける為にそろそろ夏仕様に変えた方が良い。
「どうします?全部変えますか?」
ディスプレイを見ながら店長に相談を持ち掛ける。
「うん。全部お願い。まだ寒いけど、新しいブランドが入った事を印象付けたいから」
そう言われて頷いた時、打ち合わせでもしたかのようなタイミングで宅配トラックが店の外に停まるのが見えた。運転をしていた配達員が車から降りて、こちらに向かって礼儀正しく帽子を取って頭を下げる。小走りに荷台に回って荷物を下ろし、それらを台車に乗せて店内に運び込んで来た。
「お届け物ですー・・・って、あれ?アスカちゃん?エリちゃんじゃ無かった」
声をかけて来た宅配のお兄さんはいつもと同じ人。背が高くて金髪で、日焼けしててカラコンしてるからあんまり日本人に見えない。でも普通に日本人らしい。
私の姿を確認すると、ちょっとがったりした様に肩を落として、そして諦めきれない様に店内を見回す。絶対エリを探しているんだろう。
何だかゴメンね。
いつも明るく元気な声で挨拶をしてくれる彼は、自称エリの大ファン。
一目惚れしてファンになった。と、彼はそう言っていた。
別にエリは、芸能人でもカリスマ店員でも無い。だけど可愛らしくてとてもセクシーな外見をしている所為か、男女問わずエリのファンは多い。
彼もその1人な訳だが、他のエリファンとはちょっと違っている。
みんな話したがるし、少しでも印象付けようと必死になっている。でも彼は、担当配達員という立場上、普通のお客様よりもエリとの接点が多いのだが、何というか、一定の距離を保ち続けている。
声は掛かるが挨拶だけ。会話は必要最低限。「こんにちは」「どこに置きますか?」「ありがとうございました」等々。
決して一歩踏み出そうとはしない。この距離感が丁度いいのだそうだ。私にはよく分からないが、近過ぎると見えてくるものが怖いらしい。
「本当はエリだったんだけど、体調不良で交代しました」
私は答えながら差し出された伝票に受領の印鑑を押した。
「ええ!?大丈夫なの?」
「LINEに既読をつける程度には」
「心配だ・・・」
伝票を受け取りながらみるみる元気が萎んでいく。分かり易くてなんだか可愛い。
と思ったら、急に思い出した様に顔を上げて外に顔を向ける。
「あ、外にさ、中覗いてる奴居たけど、アレ何?」
ん?と思い、私は外を見た。すると、マネキン人形の隙間から見える外の風景に人影が見えた。サッと引っ込んだので男か女かも分からなかったが、確かに誰かがいて、こちらを覗き込んでいたみたいだ。
「何だろ・・・」
話を聞いていたのだろう、店長が私に目配せをしてから外に出て周りを確認してくれた。しかし、その場でこちらを向いて首を振る。誰も居ないようだ。
「エリちゃんのストーカーかな、今日来てないけどそれ知らないで来てるとか?」
荷物を下ろし終わって宅配のお兄さんが言った。
「エリにストーカーなんているの?」
「いや知らないけど、居てもおかしくなくない?」
「・・・確かに・・・」
あれだけ可愛いのだから、居ても不思議は無い。
そう思うと、私は少し怖くなった。
「誰も居ないけど、ちょっと嫌だね。アスカちゃん今日彼迎えに来るの?」
戻って来た店長が聞いた。
「上がりの時間に来てくれます」
「ならとりあえず安心だね。僕も気を付けるけど、念の為しばらく気を付けて過ごして。何かあったらすぐに言ってね」
はーい、と返事をして、宅配のお兄さんにお礼を言って帰る彼を見送り、私は段ボールの荷物を開けて検品を始めた。
とりあえず目の前の仕事を片付けよう。
店長から貰った漢方が効いて来たのか、ふらつきや気分の悪さは殆ど消えていた。
雨君が来るまでに、終わらせてしまわなければ。
気合を入れて検品を終わらせ、何名か接客もして、店長と交代で休憩に行き戻り、品出しを終わらせて店頭のディスプレイ変更に掛かった時だった。
突如、背後から視線を感じた。
振り返ると、ショウウィンドウ越しに目に飛び込むフラッシュ。私は外したマネキンの腕を落っことしてしまった。
瞬きをして目を開くと、カメラかスマホを手に逃げて行く男性の後ろ姿が見えた。
え・・・。
「アスカちゃん大丈夫?」
物音に気付いた店長がレジから声を掛けてくれた。
「あ、はい。大丈夫です」
私は答えて落とした腕を拾った。そしてもう一度振り返る。
店前の大通り、そこそこ賑わう人並みの中、さっきの男性の影は、もう見えなくなっていた。
写真、撮られたの・・・?まさかね・・・。鏡とかの反射かも知れないし、まぁ、大丈夫かな?
そう思いつつも、少し手が震えた。
18時を過ぎて、店長は帰って行った。私は17時〜のバイト君と2人で商品整理をしつつ、新作の着こなしやお客様への進め方を相談したり、店内清掃を行った。その間、不審な影も現れず、平穏な時間が過ぎて行った。
21時の少し前、雨君が迎えに来てくれた。
「アスカ、残念ながら俺だ」
「・・・『中の雨』君?」
昼間、何があったのか、雨君は入れ替わっていた。