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「え・・・、何ソレ、告ったの?」


 私は、エリの話を聞いて驚いてそう言った。


 エリは、ずっと妻子ある店長の立場を考えて、自分の気持ちを押し込め隠して過ごして来た。それが、よく分からない薬の所為で、気持ちが緩んだとでも言うのだろうか、伝えてしまった、と。しかも、キスまでしてしまったと・・・。


「うん。でも意識が朦朧としていたから、もしかしたら夢だったのかも知れない。何処迄が現実で、何処からが夢なのか、自分でも分からないのよ」


「起きた時は?店長居た?そもそも店長が来た事も夢だったとか無いかな・・・?」


「気が付いた時に、店長がベッドの横に居て「おはよう」って言ってくれたのは事実よ。もうその事実だけでも死んでも良い」


 うっとりとした表情で目を閉じるエリ。それは幸せそうでようございましたね。でもそうじゃなくて・・・。


「なら、その後の店長の反応は?こう、気まずい感じとか無かった?」


「気まずくなんて無いわよ。いつも通りに優しく笑ってくれたわ。あったかいお茶まで淹れてくれて、アスカにシフト交代の連絡もしてくれたし」


 その時の事を思い出して幸せそうな表情のエリ。呑気なものだ。私は、そんなエリに可哀想だけど、事実を伝えなければならない。だから言った。


「それはさ、多分だけど、告白もキスも無かった事なんだよ」


「・・・え?」


 私の言葉を聞いて、表情が固まるエリ。


「両方あったのかも知れない。もしかしたら覚えてないだけでその先もあったのかも知れない」


「その先って!」


 興奮するエリ。私は立ちあがろうとするエリの肩を抑えて続けた。


「まあ、待って。聞いて」


 エリの口に海老を突っ込む。大人しくなった。


「色々あったのかも知れないけど、全部薬の見せた幻って事にしたんじゃないかな・・・。それで、今まで通り。店長と従業員、ただそれだけの関係を続けようって事なんだと思うよ」


「・・・」


 エリは、口に海老のしっぽを咥えて固まった。エリの考えている事が全部表情に出る。酷い!という怒りから始まって、しょうがないという諦めになり、でも!と憤り、最後に泣いた。しっぽがポトリと落ちる。


「だって、あった事にしてしまったら、この先どうなるか。考えてみたら分かるじゃない」


「・・・どうなるの?」


 エリの目から大粒の涙が落ちる。私を見詰める。縋るように。分かっている筈なのに、分からない振りをするのは、傷付くのを先送りにする為。


「エリか、奥さんか、店長が選ばなくちゃならない」


「・・・」


 次から次へと涙が落ちる。目から顎に向けて川のように線が走った。


「そう、だよね・・・。うん、分かってた。だから言わなかったんだもん、今まで。でも、言ったのに、やっと言えたのに、それを無かった事にされちゃうと・・・、私・・・」


 顔を覆ってエリは泣いた。歯を食いしばって声は殺して。『ひーん』という細い声が微かに響く。


「声出して泣いても良いよ?」


 私はエリの肩に手を置いてそう言った。一度大声で泣いて、それから落ち着いて考えた方が良い。そう思った。


「や、だ」


 ヒックと息を詰まらせながら首を振るエリ。変な所で意地を張るのは相変わらず。


「じゃあ飲む?」


 エリの目の前に湯呑みを掲げる。エリの目が湯呑みを見た。両手で湯呑みを掴んでコクリと飲む。


 私はエリの頭を撫でた。


 ゆっくりと口元に湯呑みを運んで一口ずつ日本酒を飲んでいくエリ。合間合間に私は車海老を口に入れた。そういているうちに徐々に落ち着いてくる。


「店長ね、離婚歴があるんだよ」


 大分落ち着いたのか、エリがそう言い出した。


「前の奥さんとの間にも子供がいたんだって。ねえ、それってさ、私にもチャンスがあるって事じゃない・・・?」


 言って私の顔を見詰めた。真剣な面持ちで。


「エリ、言ってる意味わかってる?それって店長の今の家庭を壊すって事だよ?」


 私は静かに言った。当たり前に分かっている筈の事がうっかり抜け落ちていないか確認する為に。


「分かってるつもり。店長は、一度奥さんと子供を捨ててるんだよ。一度出来たなら、二度目も出来るんじゃないかな・・・。私酷い事言ってる・・・」


 何度も離婚歴のある人は確かにいる。その都度子供がいる人もいなくは無いだろうとは思う。でも、その都度多くの物を失っているだろうし、沢山傷も負っているのだろう。簡単な事では無い。


「五年。私が店長を思い続けた時間。ずっとこのままで良いって思ってた。でも、昨日、店長が答えてくれたの。私にキスしてくれたんだよ?好意があるって事だよね?」


 店長は優しい人。そして、よく人を見る人。エリの好意は、ハッキリ言ってバレバレ。多分店長は気付いてた。でも、気付かない振りをしていた。


 私はエリを見た。想いを伝えて、それが無駄になる事を恐れて震えている。喜怒哀楽の全てが混ぜこぜになって、収拾がつかなくなって、とても辛そうに見える。もし『無かった事』になったら、エリはどうなってしまうのだろう。もし『有った事』にしたら、この先どう動いて行くのだろう・・・。どちらにしてもエリが辛い思いをする事には変わりなさそうだ。ただ、辛い思いをするのが、エリだけか、その他大勢とエリか。


「エリ、今夜は飲んで、酔いが覚めてからもう一度悩んで、それで決めるのが良いと思う。私、どちらでも協力する」


 私はそう言って自分の湯呑みを空にした。


 それを見てエリも自分の湯呑みを空にした。


 改めて日本酒を二つの湯呑みに並々と注ぐ。そして、お互いに持ってカチンと合わせた。


「ありがとうアスカ・・・」


 赤くなっていくエリの顔を見ながら、ああ、もう引き返せないんだな、と思う。大変そうだなと思う反面、私はエリが羨ましかった。


 この先エリは地獄を見る筈で、幸せな事と辛い事を天秤に乗せたら、辛い事の方に傾いて振り切れるのは分かりきっているのに。それでもきっと、時折り見える小さな幸せを大事に大事にして、辛い事の海の中でただただその小さな幸せの欠片や残像や、あるかも知れないという期待だけを胸に進んで行かなくてはならない。


 私1人が、たったの私1人だけが味方で、足りるのだろうか・・・。


 そう思いながらも、何故か私はエリを羨んでしまう。


『恋』とは、そういうものなのかも知れない。ほんの少しの幸せな事の為に、沢山嫌な思いをする。それでも私は、その嫌な思いをして嫌そうな顔をしているエリを想像して、自分自身を憐んでしまう。

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