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「何だか、バタバタと追い出すみたいになってゴメンね」
玄関でルー君を見送りながら、私はそう言った。
靴を履き振り返って、私を見て困ったような表情で溜め息を吐くルー君。玄関の段差がある筈なのに私よりも高い位置に目線があって、見下ろされてしまうのが何だか悔しい。
「追い出す『みたい』じゃ無くて実際に追い出されたんですよね?」
突っ込まれてしまった。私は苦笑いを浮かべた。
「ゴメンって。また来て」
「あ、またそんな事言って。本当に来ますよ?」
ルー君はそう言いながら、私に顔を近付けてきた。近過ぎてルー君の体温が2人の間の空気を伝って私の顔に届いでしまう。
「だ、誰かと一緒に、ね?」
私はちょっと焦って、やんわりとルー君の胸を押し返しながらそう言った。
もうやだ、近い近い。
そう思った時、急にルー君が私の手を掴んだ。そして、改めて顔を近付けて来る。さっきよりも熱が伝わって来る。
「あの、朝すいませんでした。生意気な事言って」
近い距離で真剣な表情になったかと思うと、今迄のふざけた感じから一変して真面目な声色でルー君はそう言った。
「・・・え?」
「服装の事です。そんな格好するなって、俺偉そうな事言っちゃいました。彼氏でもないのに。今日一日ずっと謝りたくて」
それを聞いて、私は今日の朝のやり取りを思い出した。胸元が覗ける云々のアレだろう。
「別に気にしなくても・・・」
「本当は」
私の言葉を遮ってルー君が言う。
「本当は、あの宅配野郎がアスカさんに抱き付いてるのを見たら腹が立って、半分八つ当たりみたいなものです。あいつを引き剥がして改めてアスカさん見たら、可愛い格好してて、そりゃ誰でもちょっかいを出したくなるなって思って。その、すいません・・・」
ルー君は、そこまで言って俯いてしまった。
私は、俯いたルー君の頭を見て、綺麗にブリーチしてあるけど生際がちょっとプリンだな、とか、サラサラで痛んで無くて羨ましいな、とか、余計な事も考えつつ、ルー君の言った言葉の意味を考えていた。
『可愛い格好』って、年下の可愛い男の子から言われるのは流石に複雑だなぁ、とか、ルー君の方がよっぽど可愛いのにな、とか。
でも、何でつげくんの行為に対して腹が立ったんだろう?八つ当たりって、ちょっと意味が分からない・・・。
「その服、本当は凄く良いと思います。めちゃくちゃ似合ってます。でも、やっぱり着て欲しく無い・・・違うな。着て欲しいけど、それを見るのは俺だけが良い・・・。デートする時とか、着て来てくれたら嬉しい・・・」
え?デート・・・?何言ってるの・・・?
ルー君が、何を言いたいのかが分からない。相変わらず手は掴まれたままで、どんどんその手を掴むルー君の手が熱くなって来るのを感じる。
「ルー君?」
どんどん声が小さくなって行くルー君の顔を、少し屈んで覗き込みながら、私は声を掛けた。
すると、ルー君の反対側の手が出て来て、両手で私の手を包み込むように掴んだ。
「貸したシャツ、返してもらったの着たら、アスカさんの香りが付いてて、俺、もうどうしたら良いか分かんなくなって、とにかく会いたくなって、無理矢理エリさんに付いて来たんです」
そこまで言うと、ルー君は顔を上げて私を見た。緊張を含んだ目と少し赤くなった頬。よく見れば耳も赤い。そして、何よりも顔が近い。
「ルー君、近いよ・・・」
「近付きたいんです・・・」
更に、どんどん近付いて来るルー君の顔。
待って、何よこれ。
「そんなに近付かれると困るよ・・・」
もうすぐ前、間近にルー君の目がある。あとちょっとで唇が触れてしまいそうだった。
「どうして困るんですか?」
ルー君の息が私の唇に掛かる。
どうして?って、だって当たり前じゃない。こんなの・・・ルー君が私の事を好きみたいじゃない・・・。
「気にしているのは、あの暴力的な彼氏の事ですか?それとも力ずくで襲い掛かる宅配野郎の方ですか?」
えっ?えっ!本当に、ルー君何言ってるの?
「俺、あいつらに負けない自信ありますよ。だからアスカさん、俺を・・・」
「アスカー、ルー君まだそこでゴネてるの?早く帰しちゃいなよ」
熱を含んでヒートアップして行くルー君の言葉を遮るようにして、エリの声が響いた。
私は一歩下がってルー君から少し距離を取って、部屋を振り返った。
エリはビールで大分酔いが進んでいる。早くエリの元に帰って上げないと、話を出来る状態じゃ無くなってしまうかも知れない。
その瞬間、ルー君の両手が離れた。手から熱が離れて一瞬自由になる。
が、その一瞬の後に、その離れたルー君の手が私の頬と顎を捉える。少し引っ張られて体がルー君の方に傾いた。
左頬に柔らかい感触と、チュッという音が響いた。
「なっ!」
「続きは、また今度」
振り返ると、ドアを開けて外に出て、こちらを振り返ってイタズラっぽい笑みを浮かべるルー君がいた。
「アスカさん、ご馳走様でした!」
言い捨ててドアを閉められる。足音が遠ざかって行く。
私は、頬が熱くなるのを感じた。
何これ何これ!?どう言う事なの!?
心臓の動きが速くなり始める。
私はドキドキしてしまっていた・・・。
「エリ、どっちにする?」
足音も荒くキッチンに直行してからリビングに戻り、そう言って私はエリの前に2本の一升瓶をドンと置いた。白海山と久保田だ。
エリは表情を変えないまま久保田を指差す。私は頷いてキッチンに戻り、湯呑を二つ用意して、塩を振った車海老をグリルの中に放り込んだ。
「アスカ、聞いて欲しいの」
「エリ、聞くよ。でも私の話も聞いてね」
2人で同時に頷く。海老の良い匂いが部屋の中に広がる。
頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。感情が胸の中でグルグル渦巻いていて、何が何だか分からない。
ただ、エリの話を聞くだけのつもりだったのに、聞いてもらいたい事が今にも口から飛び出して来そう。
エリの湯呑みに久保田を注ぐ。お米とアルコールの良い香りが鼻に届く。変わってエリが私の湯呑みに久保田を注いでくれた。2人でコツンと湯呑みを合わせる。
グイッと湯呑みを傾けて多目に一口含んで呑み込む。鼻から抜けていく良い香りが、私達を囲む空間を違う世界に変えて行くような気がした。




