9話 飴は一粒でしっとりと甘い
グラムヘルツ帝国の地下に広がる地下迷宮は古代の偉人の墓地であるらしく、アンデッドや墓地を守護するゴーレムが多く湧く。
前回は姉さんに先導してもらいながら進んだために、ただ後に続くだけの俺にはなんの危険も無かったのだが、今回は俺が主体となって戦わなければならないのだ。
「坊ちゃん。私を相手にして緊張するのは分かりますが、こうも手汗をかかれては不愉快です」
「……スミマセン」
これからの激しい戦闘に緊張して文字通りに手に汗を握っていたら、認識阻害術式を伝播させるためについでに手を握っていた美人なお姉さんに不愉快だと言われてしまった。
別にレイ・メイさんと手を繋ぐ事に緊張して手汗を満載にしていたわけでは無いのだが、それはそれとしても年上の女性に手汗を指摘されるのは、どうにも気恥ずかしい。
「まったく……ほら、着きましたよ」
そう言われて周囲を見回してみれば、確かにこの場所は一昨日出て来たばかりの地下迷宮だった。
自分のスキルツリーウインドウをじっくり眺めていたためか、転移陣に乗ったことにすら全然気が付かなかった。
「着いてたんですね」
「これから接近してくる魔物に警戒しつつ進まねばならないというのに、油断しすぎではありませんか?」
「油断はしてないです」
「そこまで私の手の感触を確かめていたのですか。そうですか」
「レイ・メイさんはどうしても俺をそういう事にしたいんですね」
「この手袋は坊ちゃんの汗で濡れて気持ち悪いので、差し上げます」
「あんまり酷いことを言うと泣きますよ?」
「……はぁ。では、この手袋は坊ちゃんへのプレゼントです。喜んでくださって構いませんよ」
レイ・メイさんが面倒臭そうにそう言いながら、俺と手を繋いでいた左手の手袋と、ついでとばかりに右手の手袋も差し出してきた。
そっちは手を繋いでいない方ですよね?
「見たところ坊ちゃんは碌に剣も振るったことが無いようですので、このぐらいの物は必要でしょう? その手袋は生地も薄い上に頑丈ではありますが、極めて貴重なので返してくださいね」
「プレゼントとは?」
「もっとも、私と同じサイズの手袋にピッタリと収まってしまう坊ちゃんの手の大きさには何の頼り強さも感じませんが、一先ずルインズスケルトンでも倒してみてくださいませんか?」
「いやいや・ちょっと待ってください。先に何かしらのスキルをですね……」
そう言ってスキルツリーウインドウを表示して、どのスキルを最初に取るのかを決めようとしたら、レイ・メイさんにウインドウを操作する手を止められてしまった。
驚いて固まる俺の手に、レイ・メイさんが黒い手袋を俺の手に装着していく。
「レイ・メイさん?」
「反対の手もお出しください」
「え? あ、はい」
言われるがままに左手も差し出すと、レイ・メイさんが残る左手にも黒い手袋をはめてくれた。
「さて、何か言うことはありませんか?」
「え? あ、ありがとうございます?」
「はい。では、まずはそのままの状態でルインズスケルトンを討伐なさってください」
「武器とか無いんですか?」
「坊ちゃんには武術の心得があるのですか?」
「無いですけど……」
「では、そのままでお願い致します」
「俺、死んじゃいますよ?」
「イチカ様を助けたいのでしょう? 坊ちゃんの適性を図るために必要なことです」
「……ここで死んだら恨んで出ますからね」
「その際はしっかりと浄化しますので、ご安心ください」
なんとも安心できないことを言われてしまったが、肩を軽く叩いてくれたし、応援する気はあるらしい。
………あるんだよな?
相も変わらず無表情だから、何を考えているのかちっとも分からない。
「そう見つめられては、恥ずかしいです」
「そういうセリフは無表情で言わないでくださいよ……ってそうじゃなくて、武器がない状態でもあのルインズスケルトンとかって倒せるもんなんですか?」
「上手くやれば可能ですよ。私は不可能であることを求めたりはしません」
「そう………でしたっけ?」
短い付き合いだというのに、何度か理不尽な事を言われた気もするが、レイ・メイさんはさっさと行けとばかりに目を閉じてしまった。
これ以上は俺と話をする気もないようだし、ここは渋々でもレイ・メイさんを信じて、言われた通りに素手で進むとしよう。
そんなこんなで高鳴る鼓動を抑えようと呼吸を深くしつつ迷宮の探索を始めておよそ2分。
カシャンカシャンと近付く足音が聞こえてきた。
「1匹か」
薄暗闇で視界の悪いこの場所ではあまり遠くまでは見通せないが、聞こえる足音はおそらく一体分のみだ。
何か武器になる物は無いかと周囲を見回すが、後ろでレイ・メイさんが無表情で見つめているのみで、何もない。
どうやら本当に素手であの怪物と戦うしかないらしい。
重心を落とし、瞬時に動けるようにしている間に現れたのは、錆びついた剣を持った骸骨の魔物だった。
昨日は姉さんが遠距離からワンパンしていたために気付かなかったが、武器を持っていたのか。
どうする? どうすればリーチ差で劣るコイツに勝てるんだ?
そう考えている間にも、ルインズスケルトンは足を止めずに一歩ずつ近付いてくる。
もう考えていられる時間はない。
俺は思い切ってその場を踏み切り、ルインズスケルトンの肋骨を狙って飛び蹴りを敢行した。
突然の攻撃にルインズスケルトンはよろめき、バランスを崩しながら数歩後ろに下がる。
「え?」
確かな手応えの直後、俺は体勢を立て直していたルインズ・スケルトンに袈裟斬りにされていた。
あまりの激痛に思考がガンガン遅れていくのを感じる。
まさか本当に、こんなところで………死ぬのか?
「さて、では反省を始めましょうか」
レイ・メイさんの声と足音が聞こえる。
その足音がだんだんと聞こえなくなっていくことに、数日ぶりに恐怖感を抱いた気がした。
この足音がどこから鳴っているのかすらも分からなく………………
「坊ちゃん。傷は治しましたよ?」
「………え? あれ? 生きてる?」
「はい。坊ちゃん程度であれば1秒とかからずに治療が可能です」
「……死ぬかと思いました」
「治療しない方が良かったですか?」
「そんなことはないです……って、あいつは?」
「片付けましたよ?」
レイ・メイさんの後ろで、縦に真っ二つになったルインズスケルトンがガシャリと音を立てて床に散乱する。
数本の骨と黒い石に、錆びついた剣が床に転がっているところを見るに、魔物が死んだ後には全身がそのまま残るわけではないようだ。
この前姉さんと通った時にはそこら中ビリビリのボロボロえあったためか気付かなかった。
「状況の認識はできましたか?」
「はい……」
「では、たった今の戦闘の敗因は何だと思いますか?」
「攻撃を避けられなかったことですかね?」
「そうですね。あのように全身の重量をかけた攻撃は強力ではありますが、次に動き辛くなります。ルインズスケルトンを数歩下がらせることは出来ましたが、相手は剣を持っているのです。あの距離では斬られて当然ですね」
「なるほど……」
「ただ、坊ちゃんの敗因はそこではありません。ルインズスケルトンが坊ちゃんの存在を認識出来ていないことに、気付かなかった事が最大の敗因です」
「認識出来ていなかったって、目の前にいたのにですか?」
「ルインズスケルトンは周囲の理力を感知して障害物や敵を感知します。理力が皆無な坊ちゃんを感知できるはずがありません」
「そんなの初耳ですよ」
「聞かれれば答えましたよ」
よく分かった。
レイ・メイさんはものすごくスパルタなのだ。
合理的ではあるのだろうが、俺が泣いて逃げ出したらどうするつもりなのだろうか?
………追いかけて来て、鞭でボコボコにした上でドバドバと飴をぶっかけるんだろうな。
【恐怖耐性】(特大)に感謝しておこう。
「では、一先ず坊ちゃんが習得すべきスキルは敵意を感知するものですね。相手に攻撃の意思があるのかを認識できるようになってください」
「攻撃系のスキルじゃないんですか?」
「坊ちゃんはこの国の最深部に挑まれるのですよ? 坊ちゃんにスキルツリーが備わっているとしても、普通に戦闘能力を上げていくとした場合に、どのぐらい時間がかかるとお考えですか?」
「それは確かに……」
「それで、敵意を感知するスキルは習得できるのですか?」
言われた通りにそれっぽいスキルを探すと、【視力強化】や【聴力強化】などに続いて、【敵感知】というスキルがあった。
タップして確認してみると、詳細が表示される。
【敵感知】:敵対している存在が認識しやすくなる
「ありました」
「習得に必要な技練値はどの程度ですか?」
「120らしいです」
【美麗】の習得は20で、【火魔術】が25だったのに比べるとかなり多いな。
それだけ便利なスキルなのだろうか。
なんて考えている間に、レイ・メイさんから次の質問が飛んでくる。
「ふむ。現在所持している分は?」
「220ですね」
「随分と増えていますね。昨日オリビア達に監禁されたのが効いたのでしょうか」
「い、いやぁ? 姉さんが皇帝を暗殺したって話を聞いたことで、メインストーリーが進んだんじゃないですかね?」
「それでは聞くだけで首が飛ぶような国家機密をお話ししましょうか?」
「それは………レイ・メイさんが必要だと思ったらお願いします」
「ふっ。恐怖耐性の余波で鈍くなっているとは言え、焦燥は感じるのですね」
「それはまぁ、たった今自分の無力さを痛感しましたからね」
姉さんにルインズスケルトンは木箱と呼ばれていた。
動かず、壊しても何も出てこないモブキャラですら無い存在。
たった今、俺はソイツに負けて死ぬところだったのだ。
恐怖はなくとも、焦りは感じる。
「何やら無意味に思考を循環させているようですが、そう心配せずともこの7日間で私は坊ちゃんを最高率で、イチカ様の救出に適した性能に作り上げることだけは保証しましょう」
「7日ですか…」
「昨日、裁官に関する技術によってイチカ様は捕縛されている可能性が高いとお話ししましたが、現状で考え得る中でも確率の高い手段が、精神支配です。昨夜はイチカ様と別れて以降は戦闘の気配を感じませんでしたし、【機関】には裁官を洗脳し軍事力に変換しようという研究もあるようですから、その技術がイチカ様に向けられた可能性があります」
「その洗脳に姉さんが抗える期間が7日ってことですか?」
「7日は私が同じ手段で攻撃を受けた場合の推測ですが、初撃を受けた点から察するにイチカ様も同等では無いかと」
「それじゃあ……」
「今はただ、目の前のことにのみ集中してください。私が徹底的に坊ちゃんを管理し、イチカ様救出への一助となりましょう」
レイ・メイさんが血に濡れた俺を素手で引き上げ、立ち上がらせてくれた。
そして手を繋いでいるそのままに、俺をぐいっと引き寄せる。
元の身長差にヒールの高さまで加わったレイ・メイさんとの身長差を考えれば、レイ・メイさんの胸に顔を埋める事になるのは必然だった。
「ふふ。坊ちゃんは小さいですね」
「………レイ・メイさんも笑うんですね」
レイ・メイさんの胸から息継ぎをするように離れてその顔を見上げると既に無表情だったが、笑い声は聞こえた。
レイ・メイさんって別に無表情以外の表情も出来るだろうに、なぜに無表情でいるのだろうか。
あと、どうして即座に俺の手を引いて自分の胸に俺を埋めようとするのだろう。
「ルインズ・スケルトンは坊ちゃんよりも背が高く、装備も長大です。地を這うように進み体勢を崩せば、簡単に転がすことができますよ」
「…ぷはっ。俺は合気道のたつじんじゃないですよ」
「ですからそのやり方を文字通り手取り実演して差し上げているのに、坊ちゃんは私の胸の感触を堪能するのみで何も学んでいらっしゃらないのですか?」
「別に胸に突っ込ませなくても良いじゃないですか」
「床や壁に叩きつけてもよろしいのですか?」
「それは………ご指導ありがとうございます」
そうして俺はしばらくレイ・メイさんの胸を相手にぶつかり稽古をする羽目になったのだが、ぶつかり稽古って合気じゃなくて相撲じゃなかったっけ?
とか、どうでもいい事を考えていなければ気を失いそうなほどに、クラクラする時間なのであった。
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