8話 色気より食い気
レイ・メイさんによって金髪猫獣人姉妹の尋問から救出された後、俺が連れて来られたのは7階建の集合住宅の一室だった。
どうやらこの場所もレイ・メイさんのセーフハウスの一つらしく、部屋の中には簡素ながらもしばらくは滞在できそうな物資が揃っている。
「さて、まずは現状をといきたいところですが、坊ちゃんはこの国についてどの程度の知識を有していらっしゃるのですか?」
「この国についてですか?」
「はい。今後どのような動きをするにしろ判断の前提となる情報は必要でしょうし、失礼ながら確認しておくべきかと思いまして」
「確かにそうですね……」
つい先程ユリアに管理証が無いことがバレてあんな目に遭った訳だし、レイ・メイさんの言うことも頷ける。
姉さん捜索の足を引っ張らないためにも、ここは誤魔化さずに素直に話すとしよう。
「俺はこの国について…というか、この世界について知っていることはほとんどありません」
「それは記憶を失っていらっしゃるということですか?」
「まぁ……そんな感じです」
正確には記憶を失っているのではなく、そもそも持っていないのだが、結果としては同じことだろう。
異世界がどうとか説明してもややこしいだろうし、今は記憶喪失ということにしておいてもらおう。
「そうですか。承知しました」
「自分で言っておいてアレですけど、信じてくれるんですか?」
「イチカ様が5年後の未来から来られたという話は聞いておりますし、私には疑う理由もございませんので」
「そうですか…」
そういえば昨日、レイ・メイさんの前でここは姉さんがプレイしていたVRGの5年前の世界だとかっていう話をした覚えがある。
レイ・メイさんは俺の記憶喪失設定をそれと関連づけたのか。
時を超える副作用で記憶が飛んだみたいな…。
「さて、それでは本題に入りましょうか」
「そうでした。姉さんがこの国の皇帝を暗殺したっていうのはどういう事なんですか?」
「そのままの意味です。イチカ様が当代の皇帝をその槍で貫き屠りました」
「どうしてそんな事に?」
「曰く、この国の機能を停止させるためだそうです。裁官の研究機関の動きを鈍らせるために必要な事だと仰っていました」
「仰っていたってことは、レイ・メイさんも皇帝の暗殺に協力したんですか?」
「いいえ。私にはこの国での立場もありますので、陰から見ていたのみです」
「そうですか……それじゃあ、姉さんが行方不明というのは?」
「イチカ様が皇帝を暗殺した後、私は混乱に乗じてその場を離れた後に件の裁官の研究機関に潜入したのですが、合流ポイントに戻れどイチカ様の姿はなく以降の足取りが掴めないのです」
「なるほど……」
ぶっつけ本番で皇帝の暗殺をやってのけるぐらいの姉さんが誰かに負けるとは思えないが、現に行方不明になっている訳だし、どこかでトラブルに遭っているのは間違いない。
となるとその場所を探さないといけない訳なのだが、この国でも極めて重要そうな研究施設に忍び込めるレイ・メイさんでも足取りが掴めないとなると、普通の場所にいるわけでは無いのだろう。
「…………」
「ん? どうしましたか?」
考え込む俺を、レイ・メイさんがジッと見つめていた。
何かおかしなところでもあったか?
「イチカ様が行方不明だというのに、随分と冷静なのですね」
「まぁ、姉さんはかなりダメな大人ですけど、そう易々とやられるとは思えませんからね」
「そうではなく、坊ちゃん自身のことです。この世界についての知識もなく、戦う術もないこの状況で落ち着いていられるのは、例のスキルの影響ですか?」
「……レイ・メイさん?」
ローテーブルを挟んで向かい側に座るレイ・メイさんが立ち上がり、片足をローテーブルに乗せて剣を俺に向ける。
やはり恐怖は感じないが、これは冷静に見ても明らかに脅威だ。
「私が坊ちゃんの命を奪うとは思わないのですか?」
「………奪うんですか?」
「いいえ。そのつもりはございません。ただ、イチカ様がいらっしゃらない今であれば、坊ちゃんを解体してスキルツリーという未知の技術を調べるというのも良いかもしれません」
「俺に何かあったら、姉さんが復讐に来ますよ」
「オリビアあたりに濡れ衣を着せておけばおそらく疑いを回避できるでしょう」
「そこまでしてスキルツリーについて調べたいんですか?」
「仮定の話です。しかし、現状では坊ちゃんの命を私が握っていることは理解できましたか?」
「それは……まぁ、一応」
逃げる術はない。
いいや。正確には逃亡をしようとすら思えないほどに実力差がある。
とはいえレイ・メイさんは俺が頷くと剣を納めてくれたし、今すぐにどうこうしようという気は無いらしい。
「……悪魔族って契約を大事にする種族じゃないんですか?」
「ですからこうして尚も坊ちゃんにお仕えしているではありませんか」
「スキルツリーが目当てなのにですか?」
「すぐに使えない技能に価値などありません。私が評価しているのは、愚鈍なほどに冷静である一点のみです」
「それって褒めてます?」
「はい。敬愛すべきご主人様ですから」
冗談なのか本心なのかは分からないが、レイ・メイさんが軽く笑みを浮かべた。
姉さん救出の協力を取り付けるには至っていないが、今はこの部屋を追い出されないだけでも助かる。
さて、そろそろ話を戻すとしよう。
「……質問しても良いですか?」
「どうぞ」
「姉さんほどの実力者が行方不明になる原因に心当たりはありますか?」
「あります。というより、それは坊ちゃんもご存知なのではありませんか?」
「姉さんの話では、この国のトップ層が束になったらマズイかもって話でしたけど……」
「そうではなくより普遍的な話です。イチカ様は確かに強いですが、古代種です。そしてその古代種の悉くを殺戮してまわった存在といえば?」
「裁官……」
「はい。そしてこの国で裁官の力を扱う機関は一つのみです」
「それってレイ・メイさんが昨夜潜入したっていう?」
「ええ。この国の総てを統括する帝国議会ですら知る者の少ない秘匿組織です。その組織に名前はありませんが、私は便宜上【機関】と呼んでいます」
「そこに姉さんがいるんですか?」
「確証はありませんが、現状では他に候補がございません」
「それじゃあ……」
一先ず姉さんを攫った組織に当たりはついた。
これで姉さんを探しに行ける。
そう考えてソファから立ち上がったら、レイ・メイさんがアイテムボックスから次々に美味しそうな料理を取り出していた。
「レイ・メイさん?」
「いかがなさいましたか?」
「えっと……姉さんを助けに行きたいんですけど……?」
「どうぞお好きになさってください」
「えぇ……」
厳しいけど頼りになるメイドさんのお陰で黒幕へ続く情報が手に入り盛り上がってきたのに、このまま優雅にディナーですか?
って、既にワインをグラスに注いでらっしゃいますね。
「私は坊ちゃんの従者ですが、イチカ様の捜索を手伝うとは言っていませんし、危険だと分かっていて不用意に動くつもりもございません」
「でも、それだと姉さんが…」
「第一、仮に黒幕が【機関】だとして、坊ちゃんはどのように動くおつもりなのですか?」
「それは……地道な聞き込みとか………」
「名前すら無い組織をどうやって聞き込みで探すのですか? というよりも、睡眠が不足しろくに頭が回っていないその状態では、再度オリビアあたりに拘束されるのがオチではありませんか?」
「はい……スミマセン」
「まったく……まずは座って大人しく食べてください。どうせ今日一日何も食べていないのでしょう?」
「………はい」
「食事が済んだら添い寝して差し上げますから、大人しくベッドで待っていてください。自己管理ぐらいしっかりしてくださらないと困ります」
俺のためにバランスよく食事を盛り付けたレイ・メイさんがグラスに残ったワインをキュッと飲み干し、そのままお風呂場へと歩いて行った。
そっか。姉さんと城に行ったならレイ・メイさんも徹夜だろうし、疲れてるよな。
「………って、え? なんで添い寝?」
そういえば昨夜も姉さんがいたとはいえ、3人で並んでレイ・メイさんの私物だというベッドに入ったが、今日は姉さんがいない。
つまり? レイ・メイさんと二人でさして大きくもないシングルベッドに?
…………ベッドに入る。→
レイ・メイさんの胸が触れる。→
気恥ずかしくて身じろぎする。→
レイ・メイさんの胸が擦れる。→
未知の感触に動けなくなる。→
レイ・メイさんの胸が密着する。→
緊張のあまり呼吸が止まる。→
DEAD END…………。
「……そうだ。ドカ食い気絶。ドカ食い気絶をしよう」
かつて姉さんが言っていたことを思い出した。
人間は糖質をガツンと一気に摂れば、幸せな眠りにつくことが出来るらしい。
この話を聞いた時には、我が姉はなんてアホなことを言っているんだと思ったが、ぶっちゃけ素性の知らない女性に添い寝しようと言われるのは、興奮するよりも先にかなり怖い。
据え膳食わぬは男の恥とは言うが、むしろ現状は俺の方が据え膳の側の気さえしてしまう。
それもお色気的な意味ではなく、純粋に肉食的な意味で。
どう表現したら良いか分からないが、要はレイ・メイさんと懇ろな関係になったら、俺は再起不能になりそうな気がするのだ。
「ありがとう姉さん。絶対助けに行くからね」
そんな誓いを胸に、俺はピザらしき食べ物に手を伸ばし、自らの貞操と理性を守るためにドカ食い気絶へとひた走るのであった。
◇◆◇
かつて姉さんにこんな話を聞かされた事がある。
曰く「年上の女性が迫って来たら、それは間違いなく下心のある悪者よ。ただ、今の乃亜の腕力だと大人の女性は振り払えないかもしれないから、お姉ちゃんを抱きしめて、女性に免疫をつけておきましょう」とのことだった。
その時の俺は中学生になりたての子供に何を言っているんだと、姉さんの脛を思いっきり蹴り飛ばしたのだが、今回はどうしたものだろうか?
「おはようございます坊ちゃん」
ピザの力でしっかりとドカ食い気絶でフィニッシュしてから一夜明け、目を覚ますとレイ・メイさんがいた。
何がとは言わないが、たわわなモノがレイ・メイさんが動くのに合わせて、俺の目の前でむにゅりと形を変えている。
「服はどうしたんですか?」
「着ていますよ?」
「下着は服にカウントしません」
今のレイ・メイさんは一つに結っている髪を解き、下着姿で俺の真横に寝そべっている。
日頃姉さんの話は8割方疑って聞いているが、今回ばかりは信じるしかないようだ。
レイ・メイさんには、俺を籠絡しようという下心がある。
だって普通の女性はこんなに胸が大きくはないし、狭いベッドで肉付きのいい脚や胸が密着して無表情でいられるはずがない。
レイ・メイさんの冷たい視線が感じさせるのかは分からないが、このおっぱいは間違いなく凶器だ。
「昨夜は坊ちゃんが先に眠ってしまって寂しかったので、人肌を温めていただいておりました」
「………ご冗談を」
「はい。単純に坊ちゃんの体温が高くて暑かっただけです。シーツを洗いますので、さっさとベッドから出てください」
「え? あれ? ハニートラップ的なアレじゃないんですか?」
「私には子供に手を出す趣味はございません。第一、色仕掛けは武力で劣る相手の矛先を逸らすための手段です。イチカ様という最強の矛がない今、坊ちゃんを喜ばせて何の価値があるのですか?」
「姉さんを救出した時に、レイ・メイさんが頼りになったって姉さんに報告するとか?」
「なんですか? そこまでして私と肉体関係を持ちたいのですか?」
「いや、それは全然」
「……………」
綽々とした態度のレイ・メイさんが固まってしまった。
一瞬だけピシッと音が聞こえた気もするほどのかたまり具合である。
「…レイ・メイさん?」
「そうでした。坊ちゃんにはイチカ様がいらっしゃいますものね。腹を立てるというのも筋違いでしょう」
俺的にはそっちの方が筋違いなのだが、一先ずレイ・メイさんに俺を籠絡しようという意思が無いことは確認できて良かったと思う。
それにあのクールなレイ・メイさんが思わず固まるシーンも目撃できたし、これ以上は怒らせそうだから話題を変えるとしよう。
あ、洗濯なら手伝いますよ。
「今日はどうしますか?」
「何をするにも坊ちゃんは非力すぎますし、鍛える以外の選択肢は無いでしょう」
「技練値を稼いでスキルを解放していくってことですよね? どうやって技練値を稼ぐんですか?」
「それは坊ちゃんがご存知なのではありませんか?」
「あぁ、それもそうですね……」
技練値の稼ぎ方は姉さんから聞いている。
確か魔物だとか裁官などの敵対者を討伐したり、今まで行ったことのない場所に行ったり、特殊な道具を作り出したり、重大な情報を知ってストーリーが進むと入手できるらしい。
「要は何をしても稼げるということですか?」
「基本的には魔物とかを狩るのが一番だそうです」
「魔物…あんなものを狩って本当に強くなれるのですか?」
「今の俺は木箱に負ける程度の実力ですし、魔物相手でも十分すぎるぐらいだと思いますよ」
「まぁ、良いでしょう。では、本日は坊ちゃんと最初にお会いした地下迷宮へ足を運びましょう」
「了解です」
異世界のダンジョンで強くなるための修行か。
ここは姉さんがプレイしていたゲームによく似ている世界とのことだったが、奇しくもRPGっぽい展開になってきたな。
お読みくださりありがとうございます。
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