2話 流石に漏らしたくはない
12月31日 21:25。
俺と姉さんは狭いベッドに二人で横になり、暖かい暖房の風が吹き付ける中でヘッドマウントディスプレイに映るメニュー画面を眺めていた。
「これでよし。意思に合わせてカーソルは動かせるかしら?」
「うん。大丈夫だと思う」
「確認できたわ。それじゃあ一番左の『Fragments of Oblivion』を選んでちょうだい」
「えっと…忘却の破片?」
「荒廃した世界観のゲームなのよ。ちなみにnamed by 私よ」
「へぇ」
「もうちょっと興味を持って?」
「あ、何かカウント始まった」
「え!? 進めちゃったの!? えっと、最初はキャラメイクのためにプライベートルームに入るから、そこで……」
フルダイブ特有の浮遊感を感じ、意識が遠くなっていく。
姉さんが横でバタバタと騒ぐ気配を感じながら、俺は仮想世界へとダイブした。
◇◆◇
気付けば、石の台座の上だった。
すぐ横で誰かが寝ているようだが、その誰かの顔を確かめようにも身体が動かない。
筋肉に力を込めようと思っても、指一つ動かせないなんて初めての体験だ。
まるで心霊系の話でよく聞く金縛りみたいじゃないか。
この後の展開は……
なんて思ったのが間違いだったのだろうか。
ひたひたと、裸足で石の上を歩くような足音が後ろから聞こえてくる。
ムリムリムリムリ!
俺、ホラーだけはマジでムリなんだって!
ぎゅっと目を瞑ってこの場を凌ぎたいが、瞼すら動かない。
足音はひたひたと鳴り続けている。
どうやら俺が寝ている石の台座の周りを歩いているらしい。
そしてついにその時が来た。
俺の視界に、足元まで伸びた黒い髪を引きずりながら歩く、小さな少女が現れた。
その少女は何の感情も読み取れない顔で俺の顔を覗き込み、数秒ほどでまた台座の周りを歩き始める。
ひたひた。
ひたひた。
そんな足音は今度は俺の後ろで止まり、キンという金属が鳴るような音ともに急に背後で青く強い光が発生した。
それから数秒後。
俺の再度黒髪の少女が俺の視界の中に現れ、無表情な顔で俺を見下ろしている。
どうやらこの青い光は少女が持っている小さな三角柱の何かから発されているらしい。
「もう逃がさない」
彼女がそう呟き、俺の胸にその三角柱を押し付けたところまでで限界であった。
俺は文字通り指一本動かすことも出来ずに、意識を失った。
◇◆◇
目を覚ますと、薄暗い石室だった。
さっさとダイブしてしまった乃亜に遅れて、私も毎日プレイし続けている『Fragments of Oblivion』略称FoOにダイブしたところまでは良かったのだが、これはどういうことだろう。
乃亜のキャラメイクをするために、まずは私だけの亜空間であるパーソナルルームに入るようにしていたはずなんだけど……。
想定外の状況に違和感を感じつつ、まずは体を起こして周囲を見回す。
すぐそばに、乃亜の姿があった。
「…ムリムリムリムリムリ」
小声で何かを呟いていると思ったが、ギュッと目を瞑って縮こまりながらムリムリ言っている。
何かあったのかしら?
「乃亜、どうしたの?」
「ムリです」
「落ち着いて。私よ。イチカ」
「そんな人知らない」
「お姉ちゃんよ。乃亜が大好きで将来はお嫁さんにしてくれる予定のお姉ちゃん」
私が手をそっと握ってあげたら落ち着いてきたのか、乃亜がゆっくりと目を開いて私の顔を確認する。
怯えているのは可哀想だけれど、こういう乃亜はちょっぴり可愛いわね。
「……………誰?」
「だからお姉ちゃんだって。深見一華よ」
「…………俺の姉さんはこんな美人じゃない」
「え? 耳が長い以外はほとんど同じはずよ?」
何がどういう理屈でプライベートルームをすっ飛ばしたのかは分からないが、自分の体を見下ろす限りはVRGでの私の装備のままだ。
そして容姿がVRGのアバターのままなら、体は特にいじっていないから目の色と耳が長い以外は普段と何ら変わらないはずなのだけれど……。
どうして乃亜は私の顔をジッと見つめているのかしら?
お姉ちゃんの顔、そんなに珍しい?
「俺の姉さんは髪はボサボサでクマは酷いし、こんな良い匂いはしない」
「そりゃあゲームだし体は健康でしょうよ……って、匂い?」
自分のアバターの匂いなんて今まで気にしたことはないが、乃亜に言われて自分の匂いを確認してみると、確かに花の良い香りがする。
VRGに自分の匂いなんてあったかしら?
「………?」
「あぁ、なんでもないわ。大丈夫? いったい何があったの?」
気になることはあるが、今は乃亜の様子を確認することの方が重要だ。
もしかすると、プライベートルームではなくここにスポーンした理由が分かるかもしれないし。
「なんか身体が動かなくて、そしたら女の子が『もう逃さない』って言ってた」
「ええっと……私よりも先にダイブして、身体が動かない間に女の子が現れて『もう逃がさない』って言ったってこと?」
「そう。怖かった」
乃亜は石の台座の上で小さくなったままだが、私がイチカだと信じてくれたのか、私の手をギュッと握っている。
………すごく可愛い。
「えっと。ここには誰もいないわよ?」
「……本当に?」
「ええ。誰もいないわ」
そもそもが石の台座があるだけの3畳ほどの小さな部屋なのだ。
あの鉄の扉の先は分からないが、ここには私と乃亜以外に誰もいない。
「……………怖かった」
乃亜がゆっくりと体を起こし、ボソリと呟いた。
そんな乃亜を出来るだけ優しく抱きしめ、頭を撫でてあげる。
「大丈夫よ。大丈夫だからね」
「……うん」
かわえぇ。
うちの弟、マジかわえぇ~~。
普段がそっけないだけに、こういうデレタイムが何よりも甘美に思える。
「……どうしたの?」
「どうすればいつでも乃亜がハグさせてくれるのかを考えていたのよ」
「……お風呂に朝晩ちゃんと入れば良いんじゃない?」
ふふ。どうやら落ち着いてきたようね。
プルプルと震える可愛い乃亜から、私のよく知るクールである事を何よりも優先するいつもの乃亜に戻っているわ。
年頃だもの、そういうのが格好いいと思うのも無理はないけれど、もうちょっとお姉ちゃんに甘えても良いのよ?
「ふっ。乃亜は幾つになっても可愛いわね」
「は? いきなりホラゲにぶち込んでおいて、何言ってるの?」
撤回。
これはクールを装っている乃亜じゃなくて、本気で怒っているときの乃亜だった。
ま、まずいわ。
「えっと。それについては私も完全に予想外でして……」
「へぇ? それじゃあさっきのはわざとじゃないと?」
「勿論よ! 乃亜に誓えるわ!」
「そこは神に誓ってよ」
「私にとって神は乃亜よ! アーメン」
「何言ってんの?」
「ごめんなさい……」
ガチギレである。
苦手なホラーを体験しただけならまだしも、私に慰められたという事実が乃亜の羞恥心を煽ってしまったらしい。
どうしよう?
せっかく乃亜と一緒に遊びたくてVRデバイスを用意したのに、このままじゃ乃亜が一生遊んでくれなくなってしまう。
「はぁ。もう良いよ」
「……許してくれるの?」
「その様子を見れば本当にわざとじゃないみたいだし、姉さんは俺が本気で嫌がることはしないから……」
「乃亜………」
「まぁ、その。いきなり怒ってごめん」
「良いのよ! お姉ちゃんこそ、不慮の事故とは言えごめんなさい!」
「だからもう良いって。くっつかないで」
あぁ、やはり我が弟は最&高である。
決めたわ。
FoOではアイテムがどうとかステータスがどうとか理由をつけて、乃亜と結婚しましょう。
そうしましょう。
さて、そうと決まればまずは……。
「それじゃあ乃亜。予定ではプライベートルームでキャラメイクをするつもりだったのだけれど、こうなっては仕方ないわ。まずはここを出て、プライベートルームを目指しましょう!」
「それは良いけど、さっきから言ってるプライベートルームってそもそも何なの?」
「プライベートルームは、この世界とは別の場所にある小さな空間のことね。よくゲームとかにあるマイルームみたいなものかしら。FoO内から唯一システムをいじる事が出来る空間よ」
「なるほど……。そこって遠いの?」
「そうねぇ……」
乃亜と話をしながら、そっと目を閉じる。
このFoOを含め、VRの世界ならこれで現実世界の時間や、メッセージアプリの通知、それに各種メニューバーも表示される。
FoOの場合は現在位置の確認がこれで可能だ。
「…………スゥ」
「姉さん?」
あ、アレ?
何も表示されないわね。
現在位置も、現実世界の時間も、メッセージアプリの通知も、各種メニューバーも、そしてログアウトボタンも、何も表示されない。
これ、もしかして………アレ?
「…………ログアウト出来ないかもしれない」
私はダラダラと冷や汗が流れるのを感じながら、我ながらにぎこちない笑みを浮かべて乃亜に白状するのであった。
◇◆◇
「…………ログアウト出来ないかもしれない」
ゲームの世界に入ることが出来るとして、おそらく最も一般的な懸念事項がこれだろう。
というかゲームの世界に入るのみならず、フルダイブ型のVRコンテンツは漏れなくこの問題を孕んでいるし、それだけに本人の意思に関わらずに身体へ深刻な負荷がかかるような場合は、強制的にログアウトされるようになっている。
「確か、ハードウェアの方で50時間以上の連続ログインは出来ないんじゃなかったっけ?」
「え? ……あぁ、そういえばそうね。なんだ。前途ある乃亜の将来を奪っちゃったんじゃないかって、心臓が口から出るかと思ったわ」
「やめてよ。気持ち悪い」
「気持ち悪………」
ログアウト出来ないかもしれない。
それならば問題ない。
ハードウェアに管理されているのであれば、ソフトウェアにエラーがあろうが自動的に現実世界へ戻れるのだから安心だ。
ただし………。
「………姉さん。姉さんのVRデバイスってヘッドマウントタイプだけど、ダイブする前に着ていた服とかも再現できるの?」
「出来ないわよ? 顔の作りとか肌の色とか、身体構造とかは内蔵カメラとかソナーとかでスキャンするけど、服までは不可能ね。髪の長さとかも多少ズレたりするらしいわ」
「へぇ………これ、どう思う?」
今の俺はフルダイブする前のロングシャツに長いズボンに裸足と、姉さんの部屋でダイブする直前までと同じ格好をしている。
ついでに言うなら、先程まで食べていたケーキの風味が未だに口の中に残っているぐらいに、さっきのままなのだ。
「…………ま、まだ結論を出すのは早いわ。一先ず50時間プレイしてみて、それでもログアウト出来ないなら、その時に考えましょう?」
「姉さん。その様子だと姉さんも思い当たるところがあるんでしょう? ゲーム感覚で彷徨いてて、大怪我でもしたらどうするの?」
「それは………。でも、サイレントアプデかもしれないじゃない! 乃亜だってお姉ちゃんが良い匂いだと嬉しいでしょう!?」
「匂いの確認で脇を嗅がそうとしないで。気持ち悪い」
姉さんが腕を上げて俺にグイグイ近寄ってくる。
いくら混乱しているからって……いや、姉さんは普段からこんなもんか。
「お姉ちゃんでも女の子なのよ!? 2回も気持ち悪いって言われると傷つくわ!」
「女の子って、そんな歳じゃないじゃん。もう26歳でしょ?」
「26歳じゃないです~。こっちでは426歳です~」
「お婆ちゃん。ここはゲームじゃなくて現実の世界ですよ」
「そんな食事をしたのかを忘れた老人にするみたいな扱いをしないで!」
「はいはい。それじゃあ……」
それじゃあまずは、裸足の俺のために何か履けそうなものでも持ってない?
とか、質問をしようとしたその矢先だった。
中央に台座があるだけで狭い石室にある唯一の扉がギギィっと音を立てて開き、そこから薄汚れた骸骨が現れ……
「………ヒェ」
喉から薄く息が抜けるような音を聞いた直後、俺は意識を失うのであった。
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