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1話 鍋を喰らわばパンツまで

 ああ、そうか。

 これは、分かっていたことだ。



「はぁ……はぁはぁ……っ……はぁ………はぁ」



 相手は絶対的な強者だ。

 この世界で7人しかいない古代種の生き残りで、俺という存在を誰よりも知悉している。


 分かっていた。

 俺はアレには勝てない。


 初めから分かっていて、それでも気付かないフリをして無様にも挑み、そして逃げ出した。



「やはり、こうなりましたか」



 逃げ出した俺に残された選択肢はただ一つ。

 あの局面で逃げ出したのであれば、既に選べる選択肢などこれしかなかった。



「俺に……手を貸してください」

「いいえ。手を貸すのは貴方です」



 彼女は言う。



「以降、貴方には私の手となり足となり、悉くを滅ぼす剣となってもらいます」



 彼女は言う。

 静かに、端的に、まるで予め決められた契約書を読み上げるように。


 そうだ。

 考えてみれば、こうなることは分かっていたことじゃないか。



「改めて問います。貴方には私と共にこの世界を滅ぼす覚悟がありますか?」



 自らの能力を超える結果を求めるには、あの姉を籠絡するだけの覚悟が必要なのである。



 ◇◆◇


 俺は心底普通の人間である。


 朝起きて、学校に行って、家に帰って宿題やって、そこそこの時間に寝る。


 そんな日々を繰り返し、気付けば今年も終わりを迎えそうになっていた。


 今日は12月31日大晦日。

 テレビでは芸人さん達が生放送で今年最後の笑いを掻っ攫い、日本の夜を盛り上げようと躍起になっている。


 そんな賑やかな今年最後の夜。

 我が家の空気はあまりにも重かった。



「………ごめんなさい」



 我が姉、深見一華は26歳独身ニートの引きこもりである。

 母が亡くなってから、社畜からワールドワイドなワーカホリックへと進化を遂げた父とは何年も顔を合わせていないし、俺の家族はこの姉一人だと言っても差し支えはないかもしれない。


 俺にとって姉さんは大事な家族で、唯一信頼出来る大人である。


 そんな姉がこれでもかと指先まで丁寧に、俺の前で土下座をしていた。

 実の姉の土下座ほど見ていて虚しいものはないな。



「姉さん。俺が言いたいことは分かるよね?」

「………はい」



 こうなったのは今から2時間前。

 夕飯に鍋を出した際に、姉さんがこぼしたこんな一言に起因する。



「せっかくの年末に普通の鍋というのも物足りないし、闇鍋でもやってみない?」



 確かにいくら姉弟二人暮らしで食事が適当になりやすいとは言え、今年最後の食事がキューブ状の固形出汁をベースにしたただの鍋というのも地味かもしれない。

 一応鍋とは別に蕎麦アレルギーの姉さんのために買って来た、年越しそばならぬ年越しソーキソバの用意はあるが、最後に闇鍋をやるというのも一興だろうか。


 そう考えた俺は、姉さんの提案を受け入れることにした。



「良いけど、今から買い出しに行くの?」

「お姉ちゃんとデート。乃亜もしたいでしょ?」

「一緒に行くのは良いけど、無駄遣いはしないでよ?」

「もちろん分かっているわ。お小遣いは2千円までよね?」



 ……。

 何故にドヤ顔なのかは知らないけど、そんなことは一言も言ってないよ。



 ◇◆◇



 姉と一緒に闇鍋の材料を買いに年末だからか24時間開いているスーパーに向かい、それぞれ2千円以内で買い物を済まして、家に帰って来た。

 そして姉さんの提案で互いに相手が何を買って来たのか分からないままに、暗闇の中で闇鍋の調理を行い実食と至ったのが、ここまでの流れである。



「チョコとかシュークリームとか、1発で鍋が不味くなる物を入れなかったのは、褒めてあげるよ」

「はい………」

「ただ、これはどうかと思うんだよね」

「ええっと……女に飢えている乃亜に、お姉ちゃんからの小粋な計らいをと思った次第でして……」



 俺が鍋で掬い出したのは、洗濯機で洗えず何度か手洗いをしてやった覚えのある姉さんのパンツだった。

 無駄に派手でスケスケなパンツが、俺のお椀にしんなりと収まっている。



「姉さん。知らないかもしれないけど、人間はパンツを食べられないんだよ」

「でも、乃亜ってばJKのパンツをオカズにしたら、ご飯何杯でもいけるって呟いていたじゃない」

「今時の男子高校生はそんな頭が飛んだおっさんみたいな事言わない」

「呟いてたわよ! 本当に言ってたもん!」

「へぇ、いつ?」

「昨日の昼間よ。私が寝ようと思ったらフラフラ廊下を歩いてて、その時に」



 昨日の昼間?

 昨日は冬休みなのを良いことに徹夜で本を読んで3日目だった。

 ただ、流石に自分が何をやっているのか分からなくなって来たあたりで、軽く食事でもしようかとキッチンに向かっていた途中で姉さんとすれ違った覚えはある。

 覚えはあるが……。



「いや。確かにあの時は眠すぎてボーッとしてたけど、そんな事を言うわけないじゃん」

「乃亜って、自分の事を常識人だと見せようと努力しているようだけれど、中身がやばい事はちゃんと認めた方が良いわよ?」

「姉さんにだけは言われたくない」

「いくらお姉ちゃんでも、JKのパンツを食べたいとは思わないわ」

「俺だって思わないよ。ていうか、これJKのパンツじゃなくて姉さんのパンツだよね?」

「いや、お姉ちゃんがJKのパンツを持っていたら、普通に犯罪じゃない」

「鍋に自分のパンツを入れるくせに、何でそこだけ常識人っぽいの? ていうか、何も食材買ってないなら2千円返してよ」

「嫌よ! これはVRGに課金するの! 大型アプデのために使うの!」



 改めて言おう。

 我が姉、深見一華は26歳独身引きこもりスケスケパンツネコババクソニートである。


 そんな姉の唯一の取り柄は、ファンタジー風のVRG…いわゆるVRゲームの世界で、世界最強のエルフであることのみだ。

 それもそのVRGはAIに作らせたクローズドな世界であり、言ってしまえば自分のために作られたパーソナルでオフラインの一人用ゲームである。


 そりゃあ世界最強にもなれるよね。

 だってプレイヤーは姉さん一人で、他は皆AIが動かすNPCなんだもの。



「姉さん。今日から1週間、ゲーム禁止ね」

「そんな!? あまりにも非人道的だわ! 動物愛護団体に訴えてやる!」

「訴えてみたら? ついでにそのまま通報されたら良いよ」

「そういう事言うんだ!? 今度乃亜が一人でトイレに行けなくなっても、付き合ってあげないわよ!?」

「もう俺も15だよ? トイレぐらい一人で行けます」

「14でトイレに行けないなら15でもムリです〜」

「……姉さん。来年はお小遣い無しね」

「じょ、冗談じゃないですか〜。あ、今晩もおトイレご一緒しましょうか?」



 我が姉深見一華が手を揉みながら、下手な笑みを浮かべて擦り寄ってくる。

 年末だと言うのに、我が家の空気は最低であった。



 ◇◆◇



 結局姉さんのパンツ以外の食材は全て俺が用意しただけのことはあり、闇鍋とは言ってもそこそこ美味しくいただくことが出来た。

 姉さんのパンツはギャーギャーとうるさい姉さんの前に汁浸しになってお椀に入っているのだが、どうやら頭のおかしな姉さんでも、スケスケパンティはなかなか箸が進まないらしい。



「姉さん。それを食べられたら、ゲーム禁止は撤回するよ。VRGでもソシャゲでも好きにプレイしていいよ」

「え? ゲーム禁止って、ソシャゲもなの? あんなの、水分補給と同じじゃない」

「人間はソシャゲをやらなくても死なない」

「私は死んじゃうわよ?」



 姉さんの戯言は無視するに限る。

 スマホはソシャゲをするためだけの機械ではないのだ。



「………さて、まだ年越しまで時間はあるし、姉さんのVRGでもやってみようかな」

「え? 乃亜が一緒に遊んでくれるの!? やりましょうやりましょう!」



 皿洗いを終えた俺の元に姉さんが犬のように駆け寄ってくるが、相手は寝癖ボサボサの上に、何故かカップ焼きそばみたいな匂いのするアラサー女だ。

 いくら俺が春には男子高校生になる一般少年らしく彼女が欲しいお年頃で女性に飢えているとはいえ、ちっっっっっっっっっっとも可愛くない。



「違うよ。姉さんのキャラでありとあらゆるアイテムを捨てまくって、無駄に豪華な肥溜めを作るだけだよ」

「な、なんて酷い事を思いつくの? お姉ちゃん、乃亜をそんな酷い子に育てた覚えはないわよ?」

「育てたられた覚えはないし、むしろ俺が育てている方だと思うんだけど?」

「それは………そうね。いつもありがとうございます」

「どういたしまして。じゃ、VRデバイス借りるからね。あ、大掃除はやったの? 汚い部屋でプレイしたくないんだけど」



 現代のフルダイブ用のVRデバイスは少しずつ安くなってきてはいるものの、未だかなりの高額だし、我が家にあるのは姉さんがニートになる前に稼いだ初任給の全てを注ぎ込んだ一台のみだ。

 VRGをプレイしようと思ったら、必然的に姉さんの部屋にお邪魔することとなってしまう。

 汚部屋が許されるのは美少女だけなのだ。



「当然したわよ?」

「部屋の隅にゴミを積んだのは掃除とは言わないんだよ?」

「知ってるわよ! そこまで言うなら、自分で確かめたら良いじゃない」



 なんか姉さんが自信満々に俺を自分の部屋に案内しようとしている。

 どうせ自信がある割にはそれほど片付いていないんだろうな。

 だって自分のパンツを弟に食わせようとするようなヤツだし。



「はい到着。開けても良いわよ」

「……トラップとか仕掛けてたら、鍋パンツを頭に被らせて放り出すから」

「仕掛けてないから、そんなガチでやりそうな目で言わないでちょうだい」

「………」

「……え? 部屋が臭いからトラップだとか言いがかりをつけて、被らせたりしないわよね?」

「………」

「ちょっと!? 何で黙るの!? 部屋はちゃんと片付けたから、お姉ちゃんに酷いことしないで!」



 相変わらず姉さんはギャイギャイとうるさいが、暖房の効かない冬の廊下はよく冷える。

 こんなところでいつまでも立ち話をしていないで、部屋の中に入るとしよう。

 そして鍋パンツ姉さんをお巡りさんにでも出荷するのだ。



「あぁ、まだ心の準備が……」



 姉さんの呟きをよそに、部屋に入る。

 部屋の中は予想に反してかなり片付いており、悔しいことにかなり綺麗だった。


 普段の姉さんの部屋はあちこちにゴミやら漫画やらレトロゲームやらフィギュアやらが転がっているのだが、今日はそれらの影もない。

 部屋にあるのはデスクトップPCとVRデバイスとベッドだけで………。



「部屋にあった漫画とかグッズとかはどうしたの?」

「ミニマリストなのよ。私」

「嘘つけ。どうせクローゼットに詰めたんでしょ?」

「いいえ。詰めてません」

「じゃあ、そこをどいて?」



 部屋に入るなりクローゼットの前に立った姉さんに詰め寄る。

 姉さんは気まずそうに目を逸らしているが、ここで引き下がっては、数日と経たずにGがこのクローゼットから現れるに違いない。

 新年早々にG退治とか、俺は嫌だからな。



「ねぇ、乃亜。この絵面、まるで実の姉にイタズラしようとしているイケナイ弟に見えないかしら?」

「……何が言いたいの?」

「お姉ちゃんならお風呂に入れて丁寧にドライヤーを当ててブラッシングして美味しいスイーツを食べさせるなり好きにして良いから、ここだけは勘弁してちょうだい」

「うん。却下」

「きゃっ!?」


挿絵(By みてみん)


 意外にもかわいい声で悲鳴をあげた姉さんを抱えて後ろのベッドに放り投げ、ガバッとクローゼットを開く。

 そこにあったのはゴミとオタグッズの山ではなく、新品のVRデバイスだった。



「………これは?」

「…………誕生日プレゼント」

「姉さんの?」

「私の誕生日はもう過ぎたわよ」



 姉さんが枕を抱えながら、モゴモゴとそんなことを口にする。

 確かに姉さんの誕生日は12月1日だ。

 つい最近アラサー2年目おめでとうと、盛大に祝った覚えがある。

 それじゃあ、これは?



「せっかくサプライズでプレゼントしようと思ってたのに、乃亜のアホ」

「………これ、高いんじゃないの?」

「ヘッドマウントだけなら、100万ちょいよ。グッズとか漫画とか全部売って買ったの」

「…………マジか」

「……ちょっと早いけど、いつもお世話になってるから………誕生日……おめでと」



 確かに俺の誕生日までは1週間あるが、あの姉さんが俺のために………。



「……何か言いなさいよ」

「あぁ、うん。ありがとう」

「それだけ?」

「……すごく嬉しいよ」

「そ、そう………」



 ベッドに横になって枕に顔を埋めている姉さんの顔は見えないが、嬉しそうに脚がパタパタと動いている。

 部屋は綺麗だが、埃が舞っているところを見るにシーツの洗濯はまだらしい。

 なんてことを考えていたら、姉さんが急にガバリと起きた。



「そうだわ! 予定では乃亜のアバターが出来てからのつもりだったけど、せっかくだしそこから一緒にやりましょう!」

「い、良いけど……」

「それじゃあ準備するわね!」



 そうして俺の今年最後の夜はサプライズプレゼントを企画してくれていた姉さんと二人でVRGをプレイするという、ここ最近で一番楽しい思い出になるはずだった。

 だが、この夜を境に、俺の生活は欲望と契約が取り巻く世界へ激変する事となる。


お読みくださりありがとうございます。


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