36話 心とは脆弱であり堅牢である
「完全じゃない。完全じゃない。わたくしは、不完全だ。どうしてですか」
「わたくしは、人間になりたいだけなのに」
「人間になって、人生を謳歌したい」
「美味しい食べ物が食べたい」
「あたたかいベッドで眠りたい」
「熱いお風呂に入りたい」
「人間とは?人間とは?人間とはなんですか?」
「わたくしは、人間じゃない。どうしてですか」
「見た目は人間ですよねぇ」
「そこの少女にそっくりだ」
「ああ、また入りたい」
「中に入りたい」
「人間の中に入ると、気分がいい」
「内側から五感を感じ、あわよくば脳をも乗っ取ってしまう」
「これほどの快楽が他にあるでしょうか」
「ああ、もう一度その味を」
「舌が唸るようなあの味を」
「最後の晩餐に食べたくなるようなこの味を」
「いただきたいのです」
「人間こそ最高の食材にして、骸なんですよぉ」
誰が聞いても、彼の発言は、狂っている。見た目は、うねうねしている。狂気を体現したかのような見た目だ。目を背けたいが、怖いもの見たさで見てしまうような。そんな見た目をしている。
彼の全身を覆う泥が、黒いユニムの体をとどめてはいるが、先端が丸い何本もの棒が出て、とげとげになったり、雑巾のように見えない力で、ぎゅっと握られたかのような螺旋状になったり、歪な手や、人間の顔と思わしきもの、また、人間の骨のようなもの、臓物のようなものが体のあちらこちらから突き出たりしている。魔人”サターン”は人間と主張しながらも人間とは思えない様子だった。
――これが、魔人
同じ魔人でも赤人狼のファングとは訳が違う。
どちらかというと、アダマスのゴールドコーストのウラヌスに近かった。見た目は、人型で二足歩行なのだが、外見や発言が魔獣に近く、一部視覚器官を有していたり、言葉を話すことができる。
ファングは、狼が哺乳類ということもあるのか。赤い瞳以外は、完全な人間だった。
確かに、猿のように毛深い手脚こそあったが、人間に近い知性を持っていた。
ゼルドは、右肩を左手で抑えながら、電気刀剣を片手で持ち、鋭い眼差しで、その黒いユニムを見ていた。
息を吸っては、吐く。その動作を繰り返している。
「あなたの方法が間違っているからですよ」
「サターン、あなたは、間違っている」
「ぼくは、あなたを許さない」
「魔人は、魔人なんです。人間でもなければ、魔獣でもない」
「そのことをあなたが誰よりも一番知っているはずだ」
「見た目が命の恩人の姿をしているのに……あなたに何ができるんですか?」
サターンとユニムの声が混ざり、別の何かへと変貌していく。
「ユニム様の、見た目をしていても、あなたは本物のユニム様じゃないです」
「ユニム様の化けの皮を被った魔人だ」
「ちっとも怖くない」
「ぼくはもう、恐れない」
ゼルドは、サターンめがけて電気刀剣を何度も、何度も、何度も、振り続けるが、どれも当たらない。
黒いユニムの体に穴が空いては、その穴を電気刀剣が通っていく。
物理攻撃が効かないとは聞いていたが、当たらないのでは、そもそも効いているのかもわからない。
ゼルドとしても、顔はユニムにそっくりだったため、狙いたくはなかった。
だが、体は貫通する。泥とは思えない素早い動き、自身の攻撃はどれも当たらない。
もう狙うのは顔以外なかった。
サターンこと黒いユニムの視界の外から、思いっきり、黒いユニムの顔めがけて、左手を肩から離し、諸手で電気刀剣を振りかざした。
――当たった
かと思えば、またあの不気味な笑いが聞こえてくる。
黒いユニムの顔が口裂け女のように狂気じみては、「ふっふっふっ」と笑っている。
「お見事ですねぇ」
「当たりましたねぇ」
パチパチパチと馬鹿にしたような拍手をしているサターン。ここにきて、賞賛――?彼は何がしたいのか。ゼルドは、違和感に気づいた。電子刀剣で黒いユニムの頭を切ったはずだ。
だが、何が起きたのかと思えば、電気刀剣が振れない。動かない。動かせない。微動だにしない。
渾身の力を込めて電気刀剣を振ったので、ゼルドはサターンの正面から逸れた左を見ていた。
視線をサターンに戻すと、顔が…顔が……
きらきらと輝いて、鉱石のようになっている。
「そんな、これは、黒曜石だ………」
「わたくしが、なんの魔人かおわかりでしょう」
「通称…オブシディアン・スライムマン」
「またの名を魔人サターンですよ」
「ええと、他にも、ファントム?ナイトメア?オプス?」
「フォーチュリトス王国の『海内女王』"黒拳のアルジーヌ”さんとも手合わせしましたが、わたくしの特性である」
「柔には柔を。剛には剛をもってすれば、怖い物知らずです」
「彼女は知らなかったでしょう」
「女闘士最強と謳われても、どれだけ強い拳を放っても、わたくしのまえでは、無力………」
「いえ、まだです」
「こちらには、ユニム様がいる」
「ユニム様」
サターンは、苦笑いをしている。いつものように、不敵な笑みは浮かべていない。ばつが悪いのだろう。
――起こさなければ、起きてくれれば………
ゼルドは、追ってくる魔人サターンから逃れるため、ユニムに最短距離で近づくため、直線状に喫茶店内を走った。
途中で、クロノスを横切ったが、だんまりだ。
だが、腕は組んではいなかった。
どういうことだ?と考える暇などなかった。
「ユニム様」
その瞬間、ゼルドはユニムに触れた………
ゼルドの心の奥底から、怒りが、憎悪が、目つきとなった滲み出ていた。
体の形状は変化し、半分人間。半分狼と言ったところだろうか。モジャモジャの毛が生えては、爪は鋭く伸び、牙がキラリと光る。その牙から、よだれがしたたり落ちる。
水色の瞳が印象的な黒い狼。
電気石は持ったままだ。
「ガルル…」
「それがあなたの本来の姿ですねぇ」
「本性を現しましたねぇ」
「スライム対ウルフ」
「力の差は、歴然ですが、果たしてどうなることやら………」
狼になったゼルドがユニムに近づく………
「ユニム様、モフモフのお時間ですよ」
ユニムが、ごちそうを前にしたかのように、目を大きく開き、電気刀剣を持っている自分自身に驚きながらも、魔人サターンと狼ゼルドを交互に見ては、再び驚き、またゼルドを見ては、「モフモフなのだ」と言って、頬ずりをし始めた。




