190話 未知は罪か
―― Crimson Verdict - 紅の裁定 ――
裂け目の奥で、光が脈動する。
蠢く影。
断続的に明滅する赤。
今宵も月は、紅く――裁きを帯びていた。
その紅は、裁定の白と絡み合い、濃度を増す。
冷たいはずの光が、なぜか熱を孕んでいる。
幾億もの視線が折り重なり、層を成し、渦を巻く。
声にならない残響が空間を満たし、思考そのものを圧迫した。
《集合意識領域 展開》
《感情剪定史 参照開始》
ステラロイドの紫が、わずかに揺らぐ。
SL-02の赤紫の瞳が、裂け目を見上げた。
――降臨。
それは天使だった。
蝙蝠を思わせる翼。
三つの顔。
四本の腕。
だが脚は二本のみ。
歪だ。
不完全だ。
人でもなく、神でもない。
それでも確かに、上位存在。
天と地の狭間を統べるもの。
『ゼタ=エルド、構えろ』
シンの思考電波が鋭く走る。
只事ではない。
無詠唱で『四極纏成』を展開――
だが、起動と同時に魔力が削り取られた。
奪われる。
干渉されている。
シンは理解していた。
この局面は、既にどこかで“視られている”。
ユニムとステラロイドの入れ替わり。
ゼルドとステラロイドの対話。
そして02〈ゼロツー〉の出現。
すべて、予定調和。
――ただ一人、セレストだけが欠伸をしていた。
『――かつては』
声は一つ。
だが、その奥に幾重もの怨嗟が絡みつく。
耳を塞ぎたくなる。
この嫌悪はどこへ吐き出せばいいのか。
答えのない問いを抱えたまま、二人と二体は天使を見上げる。
『我々には理性があった』
映像が流れ込む。
四王国。四大都市。炎上。
獣は赤く染まった目で地を焼き、
王と女王は思想で斬り合う。
終わらぬ対立。
誇示される権威。
愛は憎悪へと反転し、破滅へ堕ちる。
その変質の中心にいるのは――
間違いなく、目の前の存在。
“彼”が憎悪に侵食され、天使へと変貌する光景。
『対立は滅びを呼んだ』
黒き光が告げる。
『剪定は序章に過ぎぬ。
終結が必要なのだ』
その瞬間。
SL-02内部でログが弾ける。
《未定義波形 拡張》
《外部共鳴検出:測定不能》
遠方の都市。
別個体のステラロイドが停止。
排除優先度――再計算不能。
『それをこちらに渡せ』
「……どういうことですか」
ゼルドは静かに問う。
だが、掌は汗で濡れていた。
恐怖ではない。
責任だ。
――僕が、この場を収める。
『落ち着け。俺もいるぞ、ゼタ=エルド』
シンの声が背を支える。
ゼルドは一歩、前へ。
「あなた方は間違っていないのかもしれない」
視線を逸らさない。
「だが、人間は愚かじゃない。
まだ、知らないだけだ」
息を吸う。
「未知は罪ですか?
違いますよね。
教えないことこそが罪なんですよ」
沈黙。
『恐怖こそ、人の心を統べる』
「違う」
即答だった。
「導く者に必要なのは、勇敢な志だ」
士正義の伝承が脳裏に蘇る。
不思議と、笑みが浮かんだ。
SL-02がゆっくりと立ち上がる。
「再演算……正義ここにあり」
赤と紫が溶け合い、深い深紅へ。
「指導者……ゼタ=エルド」
空気が震える。
光の存在が、初めて明確にゼルドを見る。
『我々にも上位は存在する』
一拍。
『私は――ミカエルだ。
よろしく、と言っておこう』
ゼルドが手を差し伸べる。
――その瞬間。
セレストの風がゼルドを煽った。
マントが翻り、身体が仰け反る。
「えっ――」
「何をするんですか。味方ですよね」
ゼルドの抗議。
だがセレストは鼻を鳴らす。
「こっちの台詞じゃ。
ミカエルは、そんな目をせん」
裂け目が閉じる。
静寂。
未定義は、感染ではない。
――共有。
そして今。
天使の集合意識の深奥で、
初めて。
揺らぎが芽生えた。




